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2019-08-18

日めくり12


日めくり12

8月12日月曜日 朝6時 ゴミ置き場で一休み。1棟奧のおじいさんが戻ってきた。私はケアプラザのほうへ行き、下り上りをクリアーして休む。金網を使って手足の運動をして、集合ポストから家に帰った。

8月13日火曜日 朝4時 便。 午前5時半 中央玄関を通って車3台を通過中に1棟裏のおじいさんがごみ袋を持って行ってくれた。今日は帰ろうと思ったら、雨が降ってきた。あと車1台分のところでからだがびしゃびしゃになった。やっとのことで家に着いた。あのおじいさんはどうしたのだろう。

8月14日水曜日 朝5時半 プラごみを持ってごみ置き場に行く。休んでいたら1棟裏のおじいさんが来た。もう帰りだ。昨日はありがとうございました。タッチの差で雨にぬれました、といった。おじいさんは、私も雨にぬれたといった。私は坂を降りて1棟の壁沿いに家へ帰った。

8月15日木曜日 朝6時 1棟の外れまで行こうと思ったが、108が終ったところで引き返すことにした。家に着いたが苦しかった。

8月16日金曜日 朝6時 外へ出たらすごい風だった。これではだめなので家に戻った。
午前7時 便。

8月17日土曜日 朝7時 ごみを持ってごみ置き場に行く。相当暑いと思う。帰りは坂を下って1棟の窓下を歩いて家に着いた。

8月18日日曜日 朝2時半 便。 午前5時半 ごみ置き場に行く。日曜日だからか、誰もいない。ケアプラザのほうへいって、下り上りをクリアーして休憩。あとは集合ポストから家に帰った。

2019-08-11

日めくり11


日めくり11

8月5日月曜日 朝5時 150メートルの食料品屋の前まで来た。1棟裏のおじさんに2回目といわれたほどだ。帰りも厄介であら。ごみ置き場から家に帰った。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

8月6日火曜日 朝4時 便。午前5時半 ごみ袋を持ってごみ置き場へ行く。あと10メートルぐらいのところで1棟裏のおじいさんが持って行ってくれた。今は帰りだから朝が早かったのだろう。私はしばらく休んでからケアプラザのほうへ行き、下り上りをやっとこなし白い破線で休憩して家に帰った。

8月7日水曜日 朝5時 プラごみを持ってごみ置き場に行く。しばらく休んだら1棟の軒下を歩いて帰った。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

8月8日木曜日 朝3時半 便。 午前5時半 郵便物をもってポストへ行く。ごみ置き場でからだを回して道路を渡り、この先一直線だけど足もとは凸凹だ。ポストに郵便物を入れて、来た道を帰りごみ置き場で一休み。1棟奧のおじいさんが挨拶した。もう帰りだ。私もここで帰った。

8月9日金曜日 朝5時半 紙ごみを持って中央玄関の置き場に行く。その後ごみ置き場で一休みしてから、ケアプラザのほうへ行き、下りと上りを何とかして白い線で休憩。右腕を体操してから、集合ポストに行き家に帰った。

8月10日土曜日 朝5時半 ごみ袋を持ってごみ置き場に行く。ようやく向こうにたどり着いたところで、どこかのおばさんがごみ袋を持って行ってくれた。私はしばらく休んでから、花の道を通って家に帰った。

8月11日日曜日 朝4時 便。 午前5時 ゴミ置き場に行って休憩した後、ケアプラザのほうへ行き、下り上りをクリアーして家に帰った。
 

2019-08-04

日めくり10


日めくり10

7月29日月曜日 朝5時半ごみ置き場に行ったが、コンビニ方面はいまいち乗り気が出ないので、ケアプラザのほうに行った。ずっと足が小股使いで何とか下り上りの波をくぐりぬけた。休憩した後で中央玄関を通って花の道へ向かう。それから小さな下りを抜けて家に着いた。
午後12時 階段を2階まで行った。それを4往復した。

7月30日火曜日 朝5時 ごみ置き場に行く。せっかく来たのに、ごみ袋を忘れてしまった。ケアプラザのほうへ行き, 下り上りを何とかクリアーして白い線で休む。今日は調子がいまいちだから集合ポストから家に帰った。
午前7時45分 ごみ袋を持って中央玄関を通って駐車場を歩いていたら、迎えの車が来た。運転手がごみを持って行ってくれた。あと10メートル足りなくてこんな目にあった。

7月31日水曜日 朝4時 便。 午前5時半 中央玄関を通って駐車場からごみ置き場に行った。そこからコンビニ方面へ向かう。今日は100メートルでUターンだ。ごみ置き場で一休みしたら家に帰った。

8月1日木曜日 朝5時半 今日はごみ置き場から120,30メートル先のごみ置き場まで行った。4棟のサラリーマンに会う。帰りはゆっくりだ。1棟奧のおじいさんと会う。続いて4棟のおじいさんにも会う。私はしばらく休憩した後、坂を下って1棟の軒の下を歩いて帰った。

8月2日金曜日 朝4時 便。 午前5時 昨日から5メートル先の赤い車の前でUターン。4棟のサラリーマンと1棟裏のおじいさんと会う。まだ帰りだという快感がない。4棟のおじいさんに会う。ごみ置き場で休憩して家に帰った。

8月3日土曜日 朝5時半 今日は暑いので遠くに行くのはやめて、しばらくごみ置き場で休憩する。道路には誰もいない。ケアプラザから下り上りをクリアして、集合ポストから家に帰った。

8月4日日曜日 朝5時 右足の運びが悪くごみ置き場で少し休み、それからコンビニ方面に行ったが100メートルがせいぜいだった。1棟奧の人に会う。続いて4棟の人に会う。Uターンしてごみ置き場で休んだら家に帰った。

2019-07-28

日めくり9


日めくり9

7月22日月曜日 朝2時 便。 朝5時半 雨が降っていないと思っていたが、表に出るとかすかに降っていた。しかし手は雨粒がないも同様なのでごみ置き場に行った。ビンカンペっとボトルを置き場において、そとにでることも、コンクリートで休むこともしないで、坂を下って一休み。それから家に帰った。
午前9時半 医者が来る。続いて上の娘の車でサミットに行く。
午後2時半 訪問マッサージ来る。GMが気になった。マッサージがいい方向に行っているようだ。

7月23日火曜日 朝5時 便。 5時半あまり重くないのでごみ袋をもって行く。ごみ置き場に置いて休憩。今にも降りそうな空模様だ。すぐ切り上げて家に帰った。
午前8時 迎えの車でリハビリに行く。12時半に戻る。GMから買った昼食がテーブルにのっていた。
午後からは晴れて梅雨が明けたみたいだ。

7月24日水曜日 朝6時 プラごみ袋を持ってごみ置き場に行く。小学生があの家この家からラジオ体操に向かう。私はケアプラザの前を通って白い金網で休憩。ちょっと前の坂道で、1棟裏のおじさんにおはようと言われたときはびっくりして金網にしがみついてしまった。そのまま家に帰る。
午後1時 1棟の101まで行こうとしたが、訪問マッサージが来ることを思い出し、集合ポストから家に帰った。

7月25日木曜日 朝4時 便。 5時半 中央玄関を通ってごみ置き場に出た。道路に出て花壇わきの坂道を苦労しながら行くと、あとは楽でごみ置き場に着いた。4棟のサラリーマンがおはようといった。帰りは時間がかかるがごみ置き場に着いた。4棟のおじさんが行った。ここから中央玄関を通って家に着いた。25分だ。
午後12時半 小袋を手にもって集合ポストから10ⅹまで行く。ドアの入り口を開けようとしたらそのドアが開いて、私の小袋をもっていってくれた。私は集合ポストから家に帰った。

7月26日金曜日 朝5時 中央玄関を通ってごみ置き場からコンビニ方面へ行く。今日は右足を先頭に来るように歩き、疲れると左足が先頭になるよう歩いた。ごみ置き場から5メートル先に行ってUターンした。4棟のサラリーマンが挨拶する。そのうち1棟裏のおじいさんがおはようといい、4棟のおじさんがおはようといって通り過ぎた。私は1棟のごみ置き場で休憩して家に帰った。
午後12時 便。
午後2時 訪問マッサージ来る。

7月27日土曜日 朝5時半 雨が降っている。集合ポストから家に帰った。
午前7時 集合ポストから家に。 午前11時 外に出たら風が強すぎて家に帰った。

7月28日日曜日 朝4時半 便。 朝6時 集合ポストから家に帰る。
午前8時 雨は上がったが、エレベーターから101方面はまだ雨の残りがあるので、108から戻ってきた。
午後1時 階段を1階だけ行った。階段に行くまでの小さな坂も行けた。

2019-07-21

日めくり8


日めくり8

7月15日月曜日 朝5時半 ドアを開けて外に出る。集合ポストに着き、小雨のため1棟の向こう側が雨でぬれている。108まで歩いてそのまま帰った。
今日は雨の休日だ。外は静かだ。上の娘が来て8時40分にサミットに行く。途中で下の娘が乗る。約1時間。
2時半訪問マッサージ来る。
午後5時半下の娘が来て、右の足首に薬を塗る。手足をマッサージして帰る。

7月16日火曜日 朝5時半 集合ポストから108へ行った。予報そのまま通路は雨にぬれていた。家に帰った。
午前8時 迎えの車に乗ってリハビリに行く。午後12時半 帰る。

7月17日水曜日 朝5時半 中央玄関を通ってごみ置き場に行く。ポツリポツリと雨が降ってきた。おそらく大丈夫だろうと思ってポリのごみ袋を置いて、道路に出た。あまり調子は良くないが、そのうち何とかなるだろうと思って歩き続けた。しかし雨が大粒になってきた。花壇のところでUターンした。
本物の雨だ。ごみ置き場から坂を下って101の軒下に着いた。1棟のH(名前)おばあさんに会った。本物の雨になったという。私はしばらく休んでから家に着いた。
午前11時 中央玄関を通って駐車場の前を行き、ごみ置き場に着いて一休み。幅の広い坂を行こうとしたが、今日はそのままケアプラザのほうへ行き、坂を下って上って休憩。それから家に帰った。

7月18日木曜日 朝5時半 中央玄関を通ってごみ置き場に行く。そこから道路に出てコンビニ方面に向かう。調子はいいようだ。1棟裏のおじいさんにあう。早いですねと言ったら、早めに起きたからと答えた。100メートルを超えて10メートル行ったらUターン。やはり厳しい。4棟のサラリーマンに会う。今日は早めだ。
1棟のごみ置き場に着いた。ここから50メートル先のおばあさんに会う。二人でコンクリートに座る。千葉さん、どうしたんですかと聞いてきた。私の知っていることを伝えた。早く治ればいいのにといって帰っていった。私も家に帰った。
午前11時 ごみ置き場に10メートルというところでコンクリートの椅子におばあさんが座った。見たこともない。1棟の裏の人だろう。私は少し離れたところに座った。大変ですねという。まだお若いから。もう若い年じゃないですと私。しばらくしたらおばあさんは帰ったので、私もちょっと下がってまた幅広の坂を上がった。
そしてケアプラザ方面に行って坂を下って上って休憩。それから集合ポストから家に帰った。
7月19日金曜日 朝5時半 集合ポストから102まで行き坂を上ってごみ置き場に来た。1棟裏のおじいさんが通った。私は風が強いからいかないといった。雨が降ってきた。急いで坂を下って1棟の横で空を見ていた。それから家に帰った。
午前11時 ごみ置き場で休憩していると、2時からくる訪問マッサージが、やあと言ってきた。この辺の住民がマッサージに、訪問に来てほしいからといった。私は幅の広い坂を下ってそのまま集合ポストから家に帰った。

7月20日土曜日 朝5時半 中央玄関を通ってごみ置き場に行く。道路に出る。調子はあまり良くないが、花壇の坂道を過ぎたら調子が戻ったみたいだ。100メートルの駐車場を過ぎて昨日より5メートル先まで行ってUターン。帰りに4棟のおじいさんと1棟裏のおじいさんに会う。
ごみ置き場で休憩していたら1棟2階のおじいさんが来て、一人でしゃべっていた。来る人に挨拶している。1棟裏の画家のようだ。私は駐車場と中央玄関を通って家に帰った。

7月21日日曜日 朝5時半 ごみ置き場を通ってコンビニ方面へ向かう。最近はタイムが出ない。昨日より5メートル増やした。坂道のごみ置き場まで5メートルもない。帰り、4棟の人に会う。続いて1棟裏のおじいさんに会う。1棟のごみ置き場で休憩。誰もいない。中央玄関を通って家に着いた。23分だ。
午前11時 集合ポストから101に行って右折し、選挙へ行こうとしたら案内人が車いすを持ってきてくれた。私が応援した人は受かるか。

2019-07-14

日めくり7


日めくり7

7月8日月曜日 朝5時  集合ポストまで行って戻ってきた。そして6時に洗濯、7時に朝食をとる。9時に先生が来て9時半にサミットだ。
午前11時 108まで行って帰る。2時半訪問マッサージ。

7月9日火曜日 朝5時半 通路を101まで行き、右に曲がって外に出る坂を上がった。上がったら左に曲がってごみ置き場で休憩。それから外に出て坂の花壇入り口でUターン。あとはごみ置き場から駐車場の前を通って家に着いた。
午前8時迎えの車に乗ってリハビリに行く。午後12時半に帰る。急いで昼めしを食う。 1時半薬局が薬を持ってくる。 2時訪問マッサージの社長が来る。患者(私)の容態の説明と医師の同意書をどこに聞くかを求めに来た。 2時半佐川急便来る。 2時40分二人の娘に訪問マッサージの社長の話をメールする。 5時下の娘が来る。その時訪問マッサージの社長から電話、私がいま受けているリハビリを辞めないと無理だという。私は断った。

7月10日水曜日 朝5時半 集合ポストから駐車場を通ってごみ置き場に来た。ここから坂の終わりまで来た。置き場から40メートルだ。帰りはごみ置き場から駐車場を通って家に着いた。
午前10時半 ごみ置き場に着いたら少し戻って坂を下り、通路を101まで行って右に折れ、幅の広い坂道を上った。それを過ぎたらケアプラザのほうへ行き、坂道を下って上って休憩。少し休んだらポストから家に帰った。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

7月11日木曜日 朝5時半 集合ポストから駐車場を通ってごみ置き場に着く。道路に出て50メートル行った。帰りはごみ置き場で休憩してから、少し歩いて幅の広い坂を行って101の横で休憩した。それから家に帰った。
午前10時半 便。
午後12時半 集合ポストから右折して崖の上で休憩。それから2,3メートル先の電柱を一巡りして元に戻る。足の屈伸20回やって家に帰った。

7月12日金曜日 朝5時半 紙ごみ、牛乳瓶などを置きに中央玄関に行く。段ボールがあるのでもう1回行った。
午後12時半 通路を通って101へ行こうとしたが、108から向こうの通路がぬれているので、そのまま家に帰った。
午後2時 訪問マッサージ来る。
午後2時半 101は無理だから108でUターンして家に帰る。

7月13日土曜日 朝5時半 中央玄関を通って駐車場の前を苦労しながら進み、ごみ置き場に着いた。辛い、辛いと言いながらごみ置き場から100メートルの地点でUターン。帰りも厳しいながらもごみ置き場の裏のコンクリートで一休み。1棟の2階に住んでいる小柄なy氏としゃべる。
y氏は18回目で入居したそうだ。余程暇なのか、たばこを4本立て続けに吸った。おまけに帰りは8時だった。
午前11時、ごみ置き場から少し戻って坂を下り、今度は101を通って幅3メートルの坂道を登って行った。それを過ぎて下りの階段、人任せの上り道をやっと上がって休憩。それから集合ポストから家に帰った。

7月14日日曜日 朝から雨で湿っぽい。午前11時半 108の前まで行く。やはり舗道は雨にぬれていた。帰りはそのまま、しかし舗道の終点まで行った。

2019-07-07

日めくり6 & ドイツ基本法70年 


日めくり6

ドイツ基本法70年 憲法が愛されるわけ

 ドイツで、制定から70年の節目を迎えた基本法(憲法)、100年のワイマール憲法を巡る論議が盛んだ。協調を脅かすトランプ米大統領の登場や、ポピュリズムの台頭を背景に、人権や自由の保障を基調とする基本法の意義を評価する声は、ますます高まっているようだ。
 連邦議会(下院)で5月に開かれた基本法についての討論会では、メルケル首相与党の保守、キリスト教民主同盟は「東西ドイツ統一への道筋を指し示した」と指摘し、環境政党、緑の党は「欧州にドイツをつなぎ留める碇」になぞらえた。反難民・移民で異端視される右派政党「ドイツのための選択肢」までもが、「ドイツ史の中で最大の成功」と基本法をたたえた。
 基本法は敗戦4年後の西ドイツ時代、米英仏の占領軍が示した原則に基づき制定し、認可も必要だったが、「押し付け憲法」といった批判は聞かれない。
 なぜか。空襲や地上戦で戦後ドイツは廃墟となった。ホロコーストの残虐も明らかになった。
 国土に加え精神まで荒廃させた体制に郷愁などあるはずもない。ナチとは対照的な社会を目指す基本法が受け入れられる余地は大きかった。
 基本法には、民主的とされながらヒトラーの登場を許したワイマール憲法への反省も盛り込んだ。ヒンデンブルク大統領による緊急令乱発で議会制民主主義が骨抜きにされたことを踏まえ、個人への権限集中を避けた。現在の独大統領は政治的実権を持たない。
 ドイツ統一までの暫定との意味合いで、憲法ではなく基本法と呼ばれているが、その呼称のまま、社会の指針として定着している。
 過去60回改正されてきたが、変えてはならない基本原則は明示されている。特に重要視されているのが、第一条の「人間の尊厳不可侵」。
 ハンブルクでスポーツ紙を発行するオリバー・ブルムさんは昨年八月、旧東独地域ケムニッツでの極右による外国人排斥デモで、この条文を「人間の尊厳は侵害できる」と書き換えたプラカードを見つけて危機感を強め、基本法を雑誌の形で発行した。表紙に「人間の尊厳は不可侵である」の条文をあしらう異例の体裁にした。駅の売店などで販売され、売れ行きは好調という。
 変える変えないの境界線が明確にされているためか、基本法論議は活発だ。議会討論では、キリスト教民主同盟や中道勢力が、インターネットについての条項の必要性を訴える一方、緑の党は、温暖化対策や子どもの権利条項を盛り込むよう求め、ドイツのための選択肢は、少数意見の保護こそ重要だと強調した。政治姿勢や思惑の反映だが、基本法に対する夢を語り合っているようにも聞こえる。
 肩肘張らない自由闊達な議論。強引な改憲論でギスギスしがちな憲法論議に比べ、うらやましくもある。(熊倉逸男)

 注) 引用者
ポピュリズム  エリートではなく、民衆の意見や選好をもとに政治を行う考え方。いろいろな意味に使われるが、ヨーロッパでは極右政党に用いられる。
ホロコースト  ナチスドイツがユダヤ人に対して組織的に行った大量虐殺。
ワイマール憲法  第1次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって、ドイツ帝国が崩壊した後に制定されたドイツの憲法。
ヒンデンブルク大統領  ワイマール憲法下で大統領権限を行使し、1933年、ヒトラーを首相に任命した。

日めくり6
7月1日月曜日 朝6時 集合ポストから101のほうへ行く。帰りも同じ。苦しくないが足が上がらない。家に着いたら玄関や通路周辺の虫退治をした。
娘の車でサミットへ行く。下の娘と母親も一緒。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

7月2日火曜日 朝5時半 玄関前で虫を退治する。 8時迎えの車でリハビリに行く。

7月3日水曜日 朝5時 便。 6時 プラごみを持ってごみ置き場に行く。あと7,8メートルのところで1棟のおばさんがごみを持って行ってくれた。ごみ置き場のコンクリートに座って外を眺める。4棟のおばさんが、からだの悪い人が毎日歩いているんだもの、私も頑張らなくちゃといった。
20分は休憩していただろうか、そのまま家に帰った。
午前11時 集合ポストから右に曲がって白い電線まで行った。しばらくいてから家に帰った。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

7月4日木曜日 朝5時半 集合ポストを過ぎて101まで行く。帰りは坂を上がって通路沿いに行こうと思ったが、足のことを考えて廊下沿いにした。玄関前で虫を処理して家に入る。7時半ころから風雨激しく、1時間ほど部屋の中にいても窓がどんどん響いていた。その後雨は止んだが風が強かった。

7月5日金曜日 朝4時 便。 5時半 集合ポストをでてごみ置き場に着く。そこから道路に出て7,8メートル行った。右足が笑い出すほど上がらなかった。明日はもう少し行こう。
午後12時半 通路に沿ってまっすぐ行き、108の前で帰ることにした。

7月6日土曜日 朝5時半 通路に出て101まで行こうとしたが、雨のせいで通路がぬれているので108まで行って帰ってきた。
午前8時 下の娘が来て帰りにごみ置き場に行った。帰りに坂道を下り、101のほうへ行って大きな坂を上がった。ここは初めてだ。帰りもそこを降りて家に帰った。下の娘が感心していた。

7月7日日曜日 朝 雨と風、雨が止んだら風が強すぎる。

2019-06-30

日めくり5


日めくり5

6月24日月曜日 朝5時 便。 ずっと雨。風も強い。
午前10時半 在宅の先生が来る。午後1時ごろ 空が晴れてきた。 2時半訪問マッサージ来る。

6月25日火曜日 朝8時15分 迎えの車に乗ってリハビリに行く。12時半に帰宅。食事をして、風呂に入って、出るところで娘が来た。玄関の外回りをきれいにしてくれた。その後、手足のリハビリをした。

6月26日水曜日 朝5時 プラごみを持ってごみ置き場に行く。中央玄関とごみ置き場の中間くらいで1棟のおばさんが持ってくれた。ごみ置き場横でしばらく外を見ていた。それから時間がかかったが家に着いた。
今日は友達が来る日だ。車で中華を食べ、公園でコーヒーを飲みながら休憩した。
午後2時半 訪問マッサージ来る。

6月27日木曜日 朝4時 便。 5時半 玄関前の虫を退治して、中央玄関へ行く。外へ出るには足が辛いのでそのまま帰る。
午前10時半 虫退治してから、集合ポストを通って1棟のある部屋に自治会費を届けてから、そのまま家に帰った。
午後1時 虫退治をする。 部屋に戻って風呂を浴びたら、下の娘が来た。手足のリハビリをする。

6月28日金曜日 朝6時 新聞紙と牛乳パックをもって中央玄関まで行き、それらを置き、外へ出ようと思ったが、ちょっと無理なのでそのまま帰った。
午後1時に集合ポストへ行こうと思ったが、全然足が上がらず玄関前の虫退治をした。

6月29日土曜日 朝4時 便。 2度玄関前の虫退治をしてきれいになった。
午後3時 下の娘が来て足の体操をしてから、玄関を出て集合ポストから表に出ようとしたが、かすかに雨が降ってきたので101まで行った。行きも帰りも調子が出ない。1時間かかった。
あと1週間、梅雨が明けたらと思っていたが、梅雨時に体を動かさないと、梅雨が明けても体は元のままだ。梅雨時でもしっかりしよう。

6月30日日曜日 朝6時 玄関を出て集合ポスト方面に向かう。そのまま101へ行こうと思ったが、歩道が雨にぬれているので108から家に帰った。
午後はすごい風。

2019-06-23

日めくり


日めくり4

6月17日月曜日 朝6時 管理室の郵便ポストにカードを入れておく。3日ぶりで歩いた。そのまま帰ったが、そろそろ歩く距離を長くしないといけない。
午前10時 便。午前11時 集合ポストから101まで行こうとしたが、今日は108でおしまいだ。少しずつ歩く距離をのばしていこう。
午後2時半 訪問マッサージ来る。腕中心だった。

6月18日火曜日 朝5時 集合ポストに行った。外に出ようとしたが、まあやめておこう。明日からは何とかしよう。
午前8時リハビリへ車で行く。今日はまずまずだ。午後12時20分、帰る。

6月19日水曜日 朝5時半 プラごみを持ってごみ置き場へ行こうとしたら、駐車場の2台目くらいのところで、もっていってあげましょうと言って、私のところと集合ポストの間の真ん中の人がごみを持って行ってくれた。今朝は調子が良くない。途中で休みながらごみ置き場に着いた。
20分くらいいただろうか、ケアプラザのほうへ歩いた。最後の下り上りを何とかこなして
白い鉄線で休憩。それから中央玄関を通り抜け花の道を通って家に着いた。
午前9時 銀行へ行く。半年記帳なしだ。続いてサミット。
午後2時半、訪問マッサージ来る。右足が効かないというと、右足を揉んでくれた。自信になるだろう。

6月20日木曜日 朝4時 便。 通路を出てごみ置き場に出るつもりだったが、全然足が上がらず、行くのはやめにした。自分の部屋に面した通路を、玄関から浴室まで5往復歩いた。2階へ上がる階段まで行こうとしたが、2歩目が上がらなかった。

6月21日金曜日 朝5時 中央玄関まで行く。そこから表に出てごみ置き場まで行こうとしたが、自信がないので引き返し、今度は花の道へ行こうとした。5メートルくらい行ったが、まるで自信がないので元に戻って家に帰ることにした。
午前11時 集合ポス強調文トへ行ってそのまま帰る。
午後1時 下の娘が来て、帰るとき、娘に両手を持ってもらって右足を膝が宙に来るように上げた。腰が曲がっているのでまっすぐと言って、私が右足を上げると、膝が胸まで上が
った。この日を生涯忘れないだろう。

6月22日土曜日 朝5時半 集合ポストへ行き、そのまま帰る。あまり調子は良くない。
午前6時半 便。 午前11時 集合ポストへ行き、帰る。

6月23日日曜日 朝5時 集合ポストから中央玄関を通って花の道に行く。中央玄関を通って5メートルぐらいが苦しい。花の道はそれほど苦しくはなかった。
午前11時 玄関を出る。101まで行きたかったが、108でUターンした。

2019-06-16

日めくり3


日めくり3

6月10日月曜日 今日も1日雨だ。家にいた。9時在宅クリニックの先生が来た。高血圧ぽいが、通所リハビリテーションの記録を見せてほしいというので、毎日の検査結果を持ってきた。血圧の最高値が上下しているので先生は何とも言えないといった。とりあえず次回の結果を待つことにした。
先生が帰ってから私は娘に、睡眠不足と高血圧は関係があるのかと聞いた。ひと月、睡眠時間が5時間だ。何かやばいらしい。昼寝ができればいいのだが。

2時半訪問マッサージの先生が来た。テレビを見ているときの訓練を指導したが、患者には荷が重い気がした。

6月11日火曜日 午前8時 中央玄関に行き迎えのワゴン車に乗る。途中3人を乗せ目指す建物に着く。今日は1人休んで9人だ。私の場合、準備体操、黄色い手ぬぐいでからだをひねるもの、ボールを使った体操、マッサージ、両足の袋状に空気を入れるもの、マシンで手足を鍛えるもの、平行棒の順序だ。
12時に来た車で帰る。

6月12日水曜日 午前6時プラごみを持ってごみ置き場に行く。捨てたら休憩。右足がうしろ後ろにあると普通に歩けるが、右足が前にあるとバランスがとれない。歩くのはしばらくぶりだ。午後もう一度やろう。この天気では無理か。
午後1時40分 訪問マッサージ。特別に早く来た。前の人が、ケアマネが気に入らないとかいうことで別の日にしてくれとのこと。

6月13日木曜日 朝6時 1棟の玄関前の通路を101まで行く。帰りも同じ。調子は良くない。
午後1時半階段を上って2階を歩こうとしたら、小さな坂が上り切れなくて止めた。

6月14日金曜日 朝6時 紙類と牛乳のパックを中央玄関において、ごみ置き場へ行く。1棟奧のおじさんと会う。これから公園に行くところ。今日は遅くなったとおじさんは言っていた。私はケアプラザのほうへ行く。最後の下り上りをやっと乗り切って休憩。その後集合ポストから家に帰った。

6月15日土曜日 雨のため、1日家の中にいる。

6月16日日曜日 強風。玄関前の通路に体長5,6ミリの虫がよってたかっていた。南のベランダからほうきとちり取りをもってきて、一匹ずつ杖の先で殺してほうきでちり取りに入れた。6時のことだが、10時にも残りの虫を退治した。梅雨の季節に大量に発生すると子供が言っていた。明日からも同じような虫退治が続くだろう。

2019-06-09

日めくり2

no2

no1

そろそろ雑草を何とかするころかな。

日めくり2

6月3日月曜日 朝3時半 便。 5時半 パラパラと雨が降ってきた。右足の調子がいま一つ、足が短くなった印象だ。108まで行って帰ってきた。
午後2時半訪問マッサージ来る。あと1回だ。終わったら彼に着いて行こうと思った。医療行為だから面倒なことはないはずだ。今度きいてみよう。

6月4日火曜日 朝5時 ごみ置き場で休憩。1棟裏のおじさんに会う。もう行ってきたのというから、今日は足の具合が悪いと答えた。立ち上がってケアプラザ方面へ行く。最後の下り上りをクリアーしてまた休憩。そして集合ポストから家に帰った。
8時15分車の出迎えに乗る。10時ごろ娘が来る。次週から訪問マッサージに代わる人がいろいろやってくれるが、言葉が多いので少し分かりずらい。

6月5日水曜日 朝5時 ごみ置き場で休む。昨日より足の調子が良くないようだ。中央玄関を渡ったところで小柄なおばさんにプラごみを持っていってもらった。休んでいるとき1棟奧のおじさんに、足の調子が悪いのでコンビニ方面は行かないといった後、画家はどうしたのかと聞いた。おじさんはここが悪いので入院しているといった。こことは頭のことである。

画家は頭がおかしくなった。普段から誰にでも声をかけ、コンビニで買ったものを与えていた。それが前兆とは思えない。画家に特有のスランプだろうか。彼の少女じみた絵にそんなものが感じられるだろうか。酒を飲む。朝まで飲むらしい。これが前兆かもしれない。早く治ればいいが。

6月6日木曜日 朝3時半 便。 5時 ゴミ袋置き場で休憩する。1棟裏のおじさんにあいさつする。20分ぐらい休んだら、ケアプラザのほうへ行った。最後の下り上りをクリアーして休憩。そして集合ポストから家に着いた。

6月7日金曜日 朝5時半 ごみを中央玄関に置いてごみ置き場で休憩。それからケアプラザ方面に行く。最後の下り上りをクリアーして少し休む。1棟裏のおじさんの姿が足元の道路にあった。おじさんは見上げて、行ったのというから、今日もやめたと答えた。あとは集合ポストから家に帰った。

6月8日土曜日 朝4時 便。午前中は雨、午後は晴れたが家にいた。

6月9日日曜日 朝から雨のち曇りで、1日中家にいた。

2019-06-02

日めくり


日めくり1

5月28日火曜日 朝3時 便。
真夏日もようやく収まった。風が強く吹いている。1棟の外れまで歩いて行った。片道20分ぐらいだ。8時15分アシスト保土ヶ谷へ車で行く。2週雨だったから今日は9人揃った。しかし12時には雨が降ってきてみんな大変だ。アシスト保土ヶ谷は9時から12時までだ。家に帰ったら、雨風が強いので外の散歩は中止だ。

5月29日水曜日 朝6時 便。
7時過ぎに雨は止んだようだから、ゴミ袋をもってごみ置き場に行く。ごみ袋を持った左手を石段の向こうに置いた時、どこかの奥さんが、持ちましょうかと言ってくれて、私は助かった。帰りは坂道を下って、1棟の通路を歩く。あと4,5件というところで、娘に会う。そしてGTと一緒にスーパーに行く。

10時半に介護マネージャーが来る。この夏に介護の段階が上がるらしい。2時半に訪問マッサージのTさん来る。あと2回でお別れだ。次はもっと遠くの事務所に移るそうだ。残念。

5月30日木曜日 朝5時ごみ置き場からコンビニ方面に行く。どういう訳か右足が動かない。右足を伸ばしたり、縮めたりしてもだめだ。結局白い電柱でUターンした。1棟のごみ置き場で休憩したらケアプラザのほうへ行く。最後の下り上りはきつかった。今日は集合ポストから表に出て花の道へ行った。

5月31日金曜日 朝5時 ごみ置き場からコンビニ方面へ。昨日とは違ってまずまずのペース。駐車場の電柱を過ぎ、坂道へ行く。八百屋(本当はただの食料品店)の向こう、ジュースの自動販売機までがきつかった。帰りはひたすら歩いてごみ置き場で休憩。1棟裏のおじさんに会う。4棟のサラリーマンにも会う。

4棟のおじさんにも会い、これで三人揃った。一休みしたら花の道を通って帰った。

6月1日土曜日 朝4時 便。 5時 ゴミ置き場からコンビニ方面へ行く。今日は調子よくない。駐車場の電柱からごみ置き場へ行き、坂を上って駐車場の電柱から50メートルでUターン。これで精一杯だ。帰りは1棟のごみ置き場横で休憩。1棟裏のおじさんに会う。続いて4棟のおじさん、50メートルコンビニよりのおばさんに会う。

これで会う人は終わりだ。花の道へ行って家に着いた。

6月2日日曜日 朝3時半 便。 5時 ごみ置き場からコンビニ方面へ行く。昨日より調子がいい。ごみ置き場から坂道を行く。八百屋の向こう側、ジュースの自動販売機まで到達。坂道はかなり厳しい。Uターンして1号棟へ戻る。1棟裏のおじさん、4棟のおじさん、二人とも保土ヶ谷公園の行きと帰りに会う。

花の道を通って帰る。明日は今日より5メートル先までだが、勾配が続く。

2019-05-27

日誌43


日誌43

5月6日月曜日 朝5時半 10×に自治会費を届ける。そのまま左の坂を上ってごみ置き場で休憩。帰りも同じ道で帰る。

午前11時半 部屋の前の階段を2階まで行き、そこから1直線で向こうの階段まで行き、そこで景色を見る。次に階段で3階へ行き、しばらく景色を堪能したら、向こうの階段まで行った。そして階段を降りて平地に出た。そこからは家に入る。

午後2時半 訪問マッサージ

5月7日火曜日 朝5時 集合ポストからごみ置き場に行く。それからコンビニ方面に向かう。全体に調子がいまいち。1棟裏のおじさんに会う。駐車場でUターン。2棟のサラリーマンに会う。ごみ置き場で少し休憩。それから家へ帰る。
家からごみ置き場まで24分
ごみ置き場から駐車場の電柱まで26分
駐車場の電柱からごみ置き場まで22分
ごみ置き場から家まで20分

午前9時 マッサージのため行きと帰りで100メートル。どんなことを行ったか。まずマッサージ、続いて下半身を布で覆って真空治療、平行棒、今日は両足を平行になるまで上げる。あとは機械を使った練習。そのほかに準備体操、ゴムひもやボールを使った練習、などである。

5月8日水曜日 朝5時 便。 5時半集合ポストからごみ置き場に行く。段差を降りてコンビニ方面へ行く。駐車場の電柱の電柱でUターン。団地の方に歩いていると4棟(2棟は間違えた)のおじさんにあいさつしながら追い越された。続いて1棟裏のおじさんが、いい天気だけどちょっと寒いと言ってケアプラザのほうへ歩いて行った。

私はごみ置き場横で一休みしていたが、久しぶりにケアプラザのほうへ行くことにした。最後の下り上りは苦しかったが、ふうふういいながら白いネットで休憩。それから集合ポストで左折して家に帰った。

午後12時半 すぐそばの階段で3階まで行き、そこから歩いて終点で休んでから、2階に降りて今度はエレベーター前の階段を降りて1階に行き、家に着いた。

5月9日木曜日 朝5時50分 集合ポストからごみ置き場に行く。20分。4棟のサラリーマンに会う。駐車場の電柱まで22分。4棟のおじさんおよび少し遅れて1棟裏のおじさんに会う。ごみ置き場横で休憩。しばらくしてケアプラザの方に行く。最後の下り上りをこなして白いネットで休憩。20分。

それから集合ポストをまわって家に着いた。

午前11時 2階へ行って終点まで歩く。そこから3階まで行って終点まで歩く。それで階段を降りて1階に着く。3階の外れから外れまで18分だった。

5月10日金曜日 朝4時 便。 5時50分集合ポストからごみ置き場まで歩く。それから駐車場の電柱で一休み。調子が良くない。帰りも変わらず。4棟のおじさんと会う。ごみ置き場で休憩。1棟奧のおじさんとはだいぶ前に会った。早く眼が覚めるときは早くウオーキングに出ると言っていった。

休憩したら元気を出そう。集合ポストから家に着くまで21分だった。

午後1時 2階まで階段で行き終点まで歩く。そこで階段に体を預けて3階に行く。そこから終点まで歩く。3階の直線20分だった。3階から1階まで下って家に着いた。

5月11日土曜日 朝4時 便。 5時半 集合ポストからごみ置き場まで行き、コンビニ方面へいく。駐車場の電柱でUターン。1棟裏のおじさんに会う。今まで、行きは苦しかったが、帰りはまあいい方だ。ごみ置き場で休憩。それからケアプラザの方にいく。最後の下り上りのところで1棟裏のおじさんに追い越される。

白い線で休憩したら集合ポストをまわって家に着く。

昼12時 2棟の横を通って4棟の駐車場、はじから3番目でUターン。ここからは上りだからきつい。坂をやっと終わったと思ったら、段差まで緩やかな上りだ。やっとごみ置き場横で休憩。これからは花の道を行く。やっぱり30センチほどの石を詰めているが、石と石の間の雑草が足に絡まる。

それをどけて、家に着いた。

5月12日日曜日 朝3時半 便。 5時半集合ポストからごみ置き場まで行き、そこから駐車場の電柱でUターン。帰りもおなじコース。ごみ置き場で休憩する。1棟の裏のおじさんに会う。私も彼の後に着いて行った。最後の下り上りをやっとクリアーして一休み。それから集合ポストを通って家に着く。

家からごみ置き場までおよびその逆も22分。
ごみ置き場から駐車場の電柱までおよびその逆も24分。

午前11時半 4棟へ行こうとしたら風が強いのでごみ置き場で休憩したら、そのまま帰るが、花の道を通った。

2019-05-27

日誌45



コントロールするときに失敗した。日誌44はなし。

日誌45

5月22日水曜日 朝4時 便。 5時半 中央玄関を通ってごみ置き場でプラごみを出し、コンビニ方面に行く。時計を忘れてしまったのでタイムは計らず。駐車場の電柱を過ぎ八百屋の一軒手前でUターン。ごみを捨てているおばさんに会う。4棟のサラリーマンが出勤の途中だ。帰りは1棟のごみ置き場で休憩。

1棟裏のおじさんに会う。続いて4棟のおじさんが挨拶していった。私は花の道を通って家に帰った。

午前11時 ごみ置き場からケアプラザ前を通って最後の下り上りを終え、一休みしたら集合ポストから家に帰った。

5月23日木曜日 朝5時半 ごみ置き場を出たらコンビニのほうへ行く。八百屋の手前でUタ~ン。段々距離が長くなっている。明日は八百屋の店の中央まで行こうか。4棟のおじさんと1棟裏のおじさんに会う。ごみ置き場で休んだら花の道へ行って家に帰った。

午前11時 階段を上り下り。3階3セット。

5月24日金曜日 朝4時 便。 5時 今日は八百屋の中央までと思っていたが、ちょっと辛いから八百屋の一番手前、軽トラックの置き場まで行った。帰りは1棟のごみ置き場で休憩。そこから花の道を通って家に着いた。

5月25日土曜日 朝5時 八百屋の軽トラックを過ぎて、その隣のジュースの自動販売機まで行った。それからそこでUターンして帰る。1棟のごみ置き場で休憩して花の道を通って帰る。帰りに休憩しているとき、4棟のおじさんに会う。

5月26日日曜日 朝4時 便。6時 今日は八百屋の真ん中まで行った。明日は八百屋の向こうはじ、やはりジュースの自動販売機あたりだ。少し下ったところで1棟裏のおじさんに会う。続いて4棟のおじさんに会う。帰りは疲れた。1棟のごみ置き場で休んだ後、花の道を通った。


2019-05-05

日誌42


日誌42

4月29日月曜日午前5時半 集合ポストからごみ置き場に行き、ケアプラザへ出た。200メートル最後の奮闘で一休み。その後ポストから家に帰った。

午後1時 便。

4月30日火曜日 朝5時半 エレベーター前を通って1棟の終点まで行った。雨が降っていたが風がないのでぬれずにすんだ。

朝8時 車に乗って休日診療所前のマッサージへ行ったので、昼12時20分の帰りも含めて100メートル歩いた。

5月1日水曜日 午前10時半 集合ポストからごみ置き場に行き、しばらく休んだらケアプラザの前を行く。白い金網で休憩したら、下の道路を自転車に乗った1棟奧のおじさんとあいさつを交わした。それから集合ポストを通って家に着いた。

午後1時 便。

5月2日木曜日 午前5時半 便。 朝6時集合ポストからごみ置き場に行く。段差を下り姿勢を正してコンビニの方へ向かう。部屋からごみ置き場まで22分。ごみ置き場から駐車場の電柱まで28分。帰りは22分。2棟のおじさんに会う。ごみ置き場から家まで22分。上りで調子が狂ったようだ。

昼12時 1棟の終点まで行って、そこから小さな、だけどきつい坂道を上り、道路に出てケアプラザの方に行く。最後の坂道を下って坂道を上って白い電線で休憩。それから集合ポストを通り家に着いた。

5月3日金曜日 朝5時半集合ポストからごみ置き場に行く。段差を降り、コンビニ方面に向かう。部屋からごみ置き場まで23分。ごみ置き場から駐車場の電柱まで28分。帰りもまた28分。2棟のおじさんに会う。続いて1棟裏のおじさんに会う。この二人、一緒に歩かないのか。

ごみ置き場から家まで25分。今日は全然だめだ。特にごみ置き場から駐車場の電柱までの往復がやばい。22分ぐらいにならないか。

昼12時半 集合ポストからごみ置き場に行き、ケアプラザの前を行く。朝と違って調子いい。最後の下り坂も上りの坂道もよくできたと思う。今日は集合ポストから花の道へ行く。辛いが何とかできた。家に帰る。

5月4日土曜日 朝5時 便。5時半 集合ポストからごみ置き場に行く。段差を下ってコンビニ方面へ。家からごみ置き場まで20分だ。次はどのぐらいで行けるか。調子がいいから昨日のことはあるまい。駐車場の電柱まで23分。5分はいい。Uターンして帰り。1棟裏のおじさんに会う。いつもより遅いから、何かあったのか。

下りは23分。少し油断したようだ。ごみ置き場から家まで20分。20分を切ったと思ったが。明日からは今日の記録を目標にしよう。

午後1時半 1棟の終点まで行って階段を3階まで上り、そこから1直線で反対の終点まで行った。3階から1階まで下りそのまま部屋に帰った。

5月5日日曜日 朝5時半 集合ポストからごみ置き場に行く。ここまで18分。道路に出る。割と調子いい。駐車場の電柱まで23分。1棟裏のおじさんに会う。Uターンしてごみ置き場まで23分。そこから家まで19分。

午後12時半 2棟のほうへ行く。集合ポストからごみ置き場に行き、段差を下って道路を渡り、段差を上って2棟に入る。最初はいいが、下りにかかると進まなくなる。段差を下り次に上り、4棟前の駐車場の3台目でUターン。帰りが厄介だ。上りが厳しいし、わずかな傾斜が足を奪う。

1棟が見えるところで段差を下りそして上り、ごみ置き場で休憩。それから集合ポストまで行き、あとはもうすぐ家だ。ごみ置き場から4棟の駐車場へ行って、またごみ置き場へ戻る200メートルはちょうど1時間だ。

2019-04-28

時代を読む(内山 節) & 日誌41 その他


時代を読む 内山 節 「お金に支配される「もろさ」」

グローバル化とは、ひとつの価値観やシステムが世界に広がっていくことを意味している。情報や交通の発達のよって、国際的な動きが活発になることではない。
振り返ってみれば、民主主義、人権といったヨーロッパで生まれた近代的な価値観が、世界に広がっていくのもひとつのグローバル化だった。資本主義や近代国家というシステムが広がっていくのも、グローバル化である。
ところがこれらの動きは、そう簡単には実現しなかった。なぜなら、どこの国にも伝統的な価値観やシステムがあって、それらが有形、無形の抵抗をしていたからである。千年以上も王制を続けた国に、突然民主主義を導入してもうまくいかないし、他人を助けることを美徳としてきた社会に、資本主義的な競争システムを導入しても、人々の価値観がその定着を妨げる。だから資本主義が広がっても、均質な資本主義が展開したわけではなく、国ごとに独自性のある、たとえば日本的な資本主義とかイタリア的な資本主義といったものが、生まれた。
とすると、二十世紀末ごろからいわれはじめた今日のグローバル化とは、何を意味しているのだろうか。それは資本主義から伝統的な価値観やシステムを排除していこうという動きだった。世界規模の均質な資本主義をつくろうとする試みである。ところがこの試みには高い壁がある。伝統的な価値観やシステムを完全に排除するのは、容易ではないのである。たとえば、社会によって人々の労働観も消費観も異なっている。この困難を克服するには、誰もが認めざるをえないグローバルな価値観を確立する必要がある。この価値観の役割を果たすのがお金だった。
考えてみればお金ほどグローバルなものはないのである。十㌦は世界中どこに行っても十㌦である。こうして、今日のグローバル化は、金融と企業の経営システムの統一、お金に換算された利益を最大化するためのシステム統一としてすすめられた。
だがそうなれば、お金は単なる道具ではなくなる。お金を増殖させることが目的になり、企業システムも人々の労働、消費も、すべてがお金のための道具になっていく。お金が最高権力として人間や社会を支配するという転倒が、生じてしまうのである。
ところがそのお金は虚構でしかない。今日のお金は各国の中央銀行が印刷した紙切れにすぎず、私たちがそれをお金という特別なものだと信用することによってのみ成り立っている。いわば共同幻想によって支えられた虚構でしかないのである。
とすると、お金が支配する時代とは、虚構が現実を支配する時代だということになる。そしてこのことが今日の世界を劣悪にした。偉大なるアメリカという虚構の復活、アメリカを壊している不法移民という虚構を掲げて当選したのがトランプ大統領だ。強い国家の存在がわれわれを守るという虚構が、今日ではヨーロッパの国家主義勢力を伸長させ、日本の政府もまた、アベノミクスという虚構や、強い軍事力や安保法制の整備などが社会を守るという虚構を、政権維持に使っている。
グローバル化が叫ばれるようになってから、なぜ世界は劣化していったのか。その理由は虚構が支配する時代をつくりだしたからだということを、私たちは注視しておく必要があるのだろう。(哲学者)

 グローバル化とは価値観が広がることで、広がるスピードではないということに注意しよう。その価値観の役割はお金である。ところでお金は虚構である。その虚構に世界は劣化した。
 お金を問題にするもう一つの考えを岩垂弘が示している。日誌41の後に写した。拝金主義の横行である。


日誌41
4月22日月曜日 朝5時半 ごみ置き場へ行く。そこでちょっと待って2棟に行くことにした。段差を下り道路を横切り段差を上り態勢を整える。先日と同じ、足が出ない。坂道を下って段差を下り通路を渡り段差を上った。100メートルの地点でUターン。段差の先のごみ置き場周辺が魔物だ。

舗装されているが、全体に凸凹が多い。おまけにマテバシイだろうか、葉が垂れて私の胸ぐらいまである。そこを避けるのもきつい。行きは下りだったが、帰りは上りだ。この坂が長    いので団地一番のヤマだ。8合目ぐらいがきつい。上りが終ってもかすかな上りが続く。右足左足を交互に出して進む。

1棟のごみ置き場から家に着いた。1時間50分。2棟の方が往復1時間かかった。

午前11時ごみ置き場からケアプラザの前を通って白い電線の終点まで行く。それで集合ポストから家に着いた。

4月23日火曜日 朝4時 便。 5時半ごみ置き場からコンビニの方へ行く。道路の上は調子いいみたい。駐車場にある電柱でUターン。帰りも同じ。2棟のおじさんと1棟奧のおじさんには会わなかった。帰りに2棟のサラリーマンに会った。1時間36分。道路の上を歩くのに少しスピードがあってもいい。

4月24日水曜日 朝5時半 ごみ置き場からケアプラザの前を通って白い電線の終点まで着いた。そこから集合ポストを通って家に着いた。

4月25日木曜日 午前11時 ごみ置き場1周した。

午後2時 玄関に出て左手の通路の1番外れからごみ置き場まで行き、そのまま帰った。

4月26日金曜日 朝4時半 便。 6時新聞紙と牛乳パックをもって集合ポスト前のごみ置き場に行く。ごみを置いたら先の通路は雨でぬれていたのでそのまま帰った。

4月27日土曜日 午前8時 ごみ置き場へゴミをもっていく。段差を下ってというところで、どこかの知らないおばさんが、もっていきましょうと言って、ゴミをもっていってくれた。帰りはそのまま集合ポストから家に着いた。

11時 ゴム置き場からケアプラザをまわってと思ったが、風が強く集合ポストまで行って、帰ってきた。

4月28日日曜日 朝5時半 ごみ置き場から駐車場の電柱まで行く。たまに人に会うだけだ。帰りの北川さんち付近で1棟裏のおじさんに会う。続いて2棟のおじさんにも会う。今日は1時間55秒と調子が悪かった。

午後12時半 ごみ置き場からケアプラザの方に行く。最後の下りと上りが辛かった。



リベラル21
私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民のメディア、リベラル21を創った。
2019.04.20 「今だけ、金だけ、自分だけ」に傾斜した社会
平成とはどんな時代だったか
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 あとわずかで「平成」時代が終わり、「令和」時代となる。平成は30年で幕を閉じるわけだが、平成とは結局、どんな時代だったのだろうか。そうした設問に答えるには、多面的な角度から総合的に分析すべきだろうが、そうした作業は専門家に任せて、ここでは、平成の世の巷の一角で生きてきた1人の人間として、過ぎ去りゆく時代への表層的な印象を書いておきたい。

 「平成」末期にある日本の世相を一言でいうとどうなるか。私には、「『今だけ、金だけ、自分だけ』という『3だけ主義』がまんえんする社会」という表現が一番ぴったりするのではないか、と思えてならない。

 私が「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズを耳にしたり、メディアで散見するようになったのは、ここ2、3年のことのような気がする。日本農業新聞によれば、「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズは、東京大学大学院の鈴木宣弘教授が『食の戦争』(文春新書、2013年)の中で使ってから広まったという。
 ともあれ、「今だけ」とは、将来のことは考えず、目先のことだけしか見ない、考えないという刹那的、近視眼的な思考・行動のことであり、「金だけ」とは、全てを金銭面だけからとらえるという拝金主義的な生き方のことだろう。そして、「自分だけ」とは、自分のことしか考えず、他人や社会のことには目もくれない、つまり、自分ファースト的な生き方のことを指すとみていいだろう。

 こうした「3だけ主義」が人びとの間で次第に強くなっていったのが「平成」という時代の主要な一側面だったんではないか、というのが私の実感だ。これには、さまざまな要因があったと思われる。

 まず「今だけ」という行動パターンが人びとの間に浸透していったのには、その背景に経済的要因があったからではないか。
世界でも稀にみる連続的な高度成長を続けてきた日本経済が失速したのは、平成3年(1991年)のことだ。いわゆる「バブル崩壊」である。これを境に日本経済は停滞期に突入する。しかも、それは予想を超えた長期のものとなり、その後「失われた20年」と呼ばれるようになる。安倍政権によるアベノミクスも日本経済が低迷から脱出する決定打とならず、最近では「日本経済は今や“失われた30年”に向かいつつある」と述べる経済学者も現れる始末だ。
 この間、日本経済の沈滞を強烈に印象づける出来事があった。それまで世界2位の地位を維持してきた日本のGDP(国内総生産)が、中国に抜かれて世界3位になってしまったことだ。平成23年(2011年)のことである。

 省みると、バブルの崩壊までは、すなわち昭和の時代までは、人びとは「経済は無限に右肩上がりの成長を続ける」と信じ込んでいた。このため、将来に明るい展望を持つことができた。ところが、平成時代に入って経済の停滞が長期にわたるようになると、未来に明るい展望を持てなくなった。むしろ、不安に襲われるようになった。これでは、人びとが「将来のことを考えてあくせくするよりも今の今を大切にしよう」という生き方に傾いていったのも当然というものだろう。

 平成に入ってまもなく起きた世界的な出来事もこの傾向に拍車をかけた。平成3年(1991年)のソ連消滅である。
 第2次世界大戦後、世界を支配してきたのは、2大超大国の米国とソ連だった。米国は資本主義陣営の、ソ連は社会主義陣営のリーダー。両国は「東西冷戦」で対決し、時には核戦争の危機さえ到来した。が、ソ連の消滅により、世界は一つ、それも米国一極の体制に変わった。地球はグローバルな世界となり、人と物が国境を越えて移動可能になったから、巨大な経済力で世界経済を支配するようになったのは多国籍企業だった。日本の企業もグローバル化に対応するための効率化を迫られ、合理化が進んだ。

 それまでの日本企業の成長を支えてきたのは終身雇用・定年退職・企業内組合の三つだった。グローバル化で効率化を迫られた企業は終身雇用と定年退職をやめた。この結果、労働者の身分と生活は不安定になった。なぜなら、終身雇用制度と定年制があったからこそ、労働者の暮らしは安定し、将来を見越して生活設計ができたからである。
 労働形態も「正規」と「非正規」に分断された。非正規社員は正規社員より労働条件が悪いから、その日暮らしに精一杯で、とても将来に向けて生活設計をする余裕などない。
 こうした労働環境の変化も、人びとを「今だけ」にこだわらざるを得ない状況に追い込んでいったと言える。

 「金だけ」がはびこるようになったのはなぜか。私の見方はこうだ。
 第2次大戦後の日本が高度な経済成長を遂げるようになったのは、私の感覚では昭和35年(1960年)以降のような気がする。この年、60年安保闘争(日米安保条約の改定に反対する運動)があり、闘争直後に発足した池田勇人内閣が「高度経済成長・所得倍増」の実現を掲げたことが、高度経済成長に向けて突進するきっかけとなった。その後、日本経済は年々、平均10%以上の経済成長を達成する。まさに「奇跡」だった。
 これに伴い、人びとの価値観も変わった。「金があれば何でも手に入る」「金がすべて」といった、金に至上の価値を置く考え方が人びとの心をとらえ、拝金主義が広がった。高度経済成長が始まる前の日本社会では、金品への崇拝はあったものの、その一方で、学識とかモラルにも高い価値を認める規範みたようなものが存在していたように思う。
 拝金主義の横行は、人びとの心をすさんだものにした。金をめぐる犯罪は平成になって増えたように思う。
 社会保障が十分でないことも、人びとを金に執着させるようになった一因だろう。

 では、「自分だけ」をモットーとする人がなぜ増えたのか。私は、連帯感が国民の間で次第に薄れていったからではないか、と考える。
 昭和時代は、さまざまな分野で大規模な社会運動が発生し、高揚した。1945年の敗戦直後から70年代半ばにかけては、労働運動、学生運動、原水爆禁止運動、日米安保条約反対運動、ベトナム反戦運動、沖縄返還運動、公害反対・環境保護運動などといった運動が連続的に展開され、国民的な関心を集めた。
 この時期、さまざまな問題が国民の生活を脅かした。これに対し、国民は1人ひとりでこれに立ち向かうのでなく、同じ要求、願いをもつ者同士が手を携え、団結してこれらの問題を解決しようと立ち上がったのだった。問題は1人では解決できない。だから、連帯の力で解決しようと、人びとは考えたのである。

 しかし、1980年代後半から、社会運動は沈滞し、平成に入ると、さらに勢いを失った。なぜか。一つには、問題のいくつかが解決に向かったということがあった。が、それよりも、それまでの社会運動の中核にあって運動を先導し、広範な人びとの結集軸となっていた労働組合が力を失ったことが大きかった。そのことを象徴するのが、労組の全国センターであった総評(日本労働組合総評議会)の解散である。平成元年(1989年)のことだ。
 なぜ、労組は力を失ったか。それは、労組の力を削ぐことに全力を傾けてきた自民党政府・資本との闘いに敗れたからである。
 総評が消滅し、労組の組織率も低下したことから、労働者の結集軸がなくなり、労働者はパラバラになった。経済のグローバル化で労働者が正規社員と非正規社員に分断されたことも、労働者の結集を難しくした。

 学生運動も姿を消した。だから、政治的課題や経済的要求で学生たちが共同して行動を起こすようなことは、もうみられない。そればかりでない。学生たちは幼いころから受験競争などの生存競争を強いられてきたから、同世代の仲間たちへの連帯感は希薄だ。むしろ、競争社会の申し子だから、共同行動には拒否感を示す。
地域でも、自治組織の町内会に加入する住民は年々減る一方だ。住民同士の連帯感は薄れ、今や、町内会は存続できるかどうかの危機を迎えている。

 これでは、人びとの間で「頼りになるのは自分だけ」「自分の利益だけを考えていればいいんだ」という内向きの心情が強まっていったのも当然というものだ。
 それに、通信手段の発達が、人びとの生き方に革命的変化をもたらした。とくに「スマホ」の普及が、人びとの内向き指向に拍車をかけた。今や、「スマホ」でほとんどあらゆる情報を入手することが可能となり、情報を得るために他の人や組織に依存しなくても済むようになったから、「自分だけ」の世界に没頭して生きてゆけるのだ

 「自分だけ」の深化は、選挙の投票率に端的に現れている。国政選挙の投票率は戦後ずっと低落傾向にあり、最新の投票率は、衆院選だと平成29年の53・68%、参院選だと平成28年の54・70%である。今や、国民の半数近くが投票所に足を運ばないのだ。民主主義の根幹が揺らいでいると思えてならない。

 バラバラの国民。孤立化を深める国民。なのに、平成末期の政治は「ますます結束を固める保守政党対ますます細分化する野党プラス大同団結にほど遠い大衆団体」といった構図である。令和時代になってもこの構図が続くのか、それとも別の構図に変わるのか。少なくとも人びとが他者との連帯感を取り戻すよう願わずにはいられない。

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2019-04-21

ハナミズキと日誌40

19415

ハナミズキが咲き始めた。今では満開だ。右隣りの赤い花、いや葉が赤く染まったものだ。

日誌40

4月15日月曜日朝5時 便。 5時半少々雨が降っていた。玄関を出て1棟の外れまで行く。それほど調子は悪くない。金網まで23分。休憩して帰りは22分。

11時ごみ置き場に行く。中央玄関をでて集合ポストを通り、駐車場の前を1台ずつこなしごみ置き場に着いた。そこからケアプラザの方へ向かう。坂道を下り平坦な歩道を歩いて、坂道を下りついでに上って白い金網で休憩。あとは集合ポストから家に帰る。

午後2時階段を上り下りする。3階3セット。

4月16日火曜日 朝5時50分集合ポストから駐車場の前を通りごみ置き場に着いた。コンビニ方面に行くか、ケアプラザの対面を行くか迷ったが、コンビニに行くことにした。22分かかった。この先駐車場の電柱まで30分切るくらい、帰りのタイムは24分。ごみ置き場から家まで24分だ。

私が坂道で苦労しているとき、1棟奧のおじさんに抜かれた。今日は遅いな。続いて2棟のサラリーマンにおはようと言われた。帰りの駐車場の前で2棟のおじさんに会った。

11時ごみ置き場まで行ってケアプラザの前を行く。終点の白い金網まで22分。あとは家まで14分。

4月17日水曜日 午前5時半 プラごみを捨てる。ごみ置き場からコンビニ方面へ行く。23分だからまずまずだ。段差を降りて足を取られながら行くが、調子が良くないときどうも足がおかしい、そういう時と同じで、坂道が嫌だなと思いながら時計を見ると、今の状態ではいいほうだ。

1棟裏のおじさんに会う。コンビニの袋を持っているからその帰りだろう。駐車場の電柱でUターン。2棟のおじさんに会う。続いて2棟のサラリーマンと会う。ごみ置き場から集合ポストに来て家に帰る。

4月18日木曜日 朝5時 便。5時半ごみ置き場から2棟へ行く。段差を降りて道路を渡り、段差を上って2棟の入り口に。やはり勾配がきついようだ。平坦にしか見えないが、右足が絡まる。坂道が私には無理だと思わせたが、ゆっくり行った。段差を下り道路を横切って段差を上る。

ここから結構きつい。Uターンした。帰りも同じ。坂道がきつい。何とか上った。2棟のおじさんに会う。かすかな上りの勾配を過ぎて、段差を下り道路を渡って段差を上ってごみ置き場に着く。これから家に向かう。1時間55分。だいぶ時間が掛った。

午後1時 玄関を出てまっすぐ行き、外れの階段で2階に上る。それから1階と反対方向に行く。エレベーターのところで2階の真上の当たるおばあさんと会う。えらいとほめていた。階段を降りて家に着く。

4月19日金曜日 朝5時半ごみ置き場から段差を降りてコンビニ方面に向かう。家からごみ置き場まで20分、ごみ置き場から駐車場の電柱まで30分。右足が動かなくなった。Uターンしてごみ置き場まで21分。ごみ置き場から家まで23分。

朝11時 家を出て1棟の外れまで行く。昨日は2階だったから今日は3階にしよう。右足に気をつけながら3階に着く。ここから終点までだ。エレベーターホールから3階の終点に着く。2階分降りて家に着いた。

4月20日土曜日 朝5時半 あんまり風が強いのでコンビニ方面に行くのはやめて、1棟の終点までにした。44分。

午前11時 ごみ置き場からケアプラザ前を通って白い電線に向かった。ケアプラザの畑中さんが後ろからやってきた。無理はしないでね、という。電線を離れ集合ポストから家に帰った。

4月21日日曜日 朝5時半集合ポストからコンビニ方面に向かう。ごみ置き場まで25分。ごみ置き場から駐車場の電柱まで25分。Uターンしてごみ置き場まで25分。最後の家まで27分。Uターンしたころ2棟のおじさんに会う。続いて1棟裏のおじさんに会う。

午前10時半集合ポストからごみ置き場まで来た。2棟に行こうかと思ったが、足があまり良くないのでケアプラザ前に出た。坂道を下って上って平坦を歩き、坂道を下って最後の上りを歩いた。それから集合ポストから家に着いた。

午後2時 階段3階3セット。6分11秒、6分9秒、6分7秒。そのあと花の道で遊歩道を1周した。

2019-04-14

日誌39


日誌39

4月5日金曜日 朝5時 便。 6時半玄関を出て集合ポストの向かい側で新聞紙と
牛乳パックを置いた。それから駐車場に沿って歩み、ごみ置き場に着いた。ここから100メートル歩く。左端に見える細長い花壇を通って坂道を上り、50メートルの北川さんちから電柱までやっと来た。

帰りは足を交互に出してごみ置き場に着く。それからいつもの通り駐車場から集合ポストへ戻り家に着いた。

4月6日土曜日 朝5時半 ごみ置き場から100メートル先の電柱まで行く。昨日とどうかなと思ったが、今朝の方が少し時間がかかった。帰りは左右交互に踏ん張りごみ置き場、集合ポストを通って家に着いた。

昼12時 ごみ置き場へ行き、1棟の南側を通って階段、下り坂、上り坂を行って休憩。それから渡り廊下を進み、集合ポストに出たら家に着く。

4月7日日曜日 朝5時 便。 6時半集合ポストから外に出て駐車場の前を進み、ごみ置き場に出た。段差を降りてコンビニの方へからだを立て直す。調子は良さそうだが、前回と同じかな。富士山が見える場所、つまり電柱でUターン。帰りは明らかに早い。行きは30分だが、今回は20分だ。

ごみ置き場のコンクリートでは休憩しないで、駐車場の前から1棟の玄関に入り、そのまま家の前でゴールした。

午前10時半 隣の体育館で投票に行った。家から101の中通路を通り、体育館の前に出た。そこから坂を下って運動場に入り、体育館の入り口に入る。今回、坂を下って運動場に入ったら、見知らぬおばあさんが、車いすを呼びましょうかといった。私はその場で待っていると、車いすがやってきた。

車いすで投票し、エレベーターで1階に行き車いすを降りた。私は礼を言った。ケアプラザの前の通路で、坂を下り続いて坂を上り、終点で一休み。そこから吹き抜けを通って集合ポ
ストに着いたらそのまま歩いて家に入る。

4月8日月曜日 午前11時 ごみ置き場からプラザ前の通路に行く。ごみ置き場まで23分。調子よかった。最後の足を踏ん張るところ、これがうまくいけば20分も夢じゃない。後半のプラザ前、24分。これはだめだ。もっと精を出さなくちゃ。吹き抜けを渡って集合ポストから家に着いた。

4月9日火曜日 朝5時半 集合ポストからごみ置き場を出て、そこから100メートルの駐車場の電柱へ来た。そこでUターン。帰りも行きと同じ。1時間44分だった。

4月10日水曜日 雨、風、体が心まで冷える。

4月11日木曜日 朝6時 玄関を出て外れの金網まで1直線に歩く。帰りも同じ。

4月12日金曜日 朝3時半 便。 5時半 集合ポストから外に出て、ごみ置き場に着く。そこからレオプラザ前の通路を下がって上って平坦に出て、今度は坂を下って上って休憩。それから集合ポストから家に帰った。

4月13日土曜日 朝3時半 便。5時半集合ポストから駐車場の前を通ってごみ置き場に着く。そこから右足を気遣いながら花壇を通って駐車場の電柱に着く。Uターンして元のコースを行き、ごみ置き場に戻った。あとは中央玄関を通って家に着いた。

朝8時45分 床屋のため中央玄関まで歩く。帰りも同様。

4月14日日曜日 朝5時半 集合ポストから駐車場前を通ってごみ置き場に着く。そこから段差を降りてコンビニ方面に向かう。調子はあまり良くない。50メートルを過ぎ駐車場の電柱まで着いた。しばらく書いてなかったが富士山がきれいだ。これから先、と言っても調子が悪いのでやめる。

帰りは並みとまではいかない。ごみ置き場でちょっと休んだ後、駐車場の前を通り中央玄関の中に入り、家に着いた。いつもは1時間45分だが、今日は2時間かかった。強調文

午後2時 玄関を出て1棟の外れまで行く。南風が強い。四つある通り抜け通路で風が激しい。帰りは奮発して家に着いた。

2019-04-04

開花 & 日誌38

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オオシマサクラが開花した。テレビで話題になっているソメイヨシノと同じ日だ。今は満開で庭の先を埋め尽くす。2本あるかな。その右にあるサクラ、これも葉を伴っている。やはり2本。こちらの方はオオシマサクラの5日後に2輪咲き始めた。枝が空に向かっている。
友達が来て、ずっとサクラを見入っていた。



日誌38

3月25日月曜日 朝7時 集合ポストから108と107の間を通って坂道の下に出た。これを上って白い金網で一休み。それから集合ポストからわが家へ着いた。

昼12時 中央玄関を出て駐車場沿いにごみ置き場へ到達。帰りは辛い。そのうち娘が来て家までついてきてくれた。

午後2時 階段の下で一呼吸。3階3セット。

3月26日火曜日 朝5時 便。 7時 集合ポストから106を曲がろうとしたら、雨が降ってきたので108で家に帰る。

午前11時半 集合ポストからごみ置き場に行く。帰りも全く同じ。

3月27日水曜日 朝6時半 ごみ置き場へプラスチックごみを出しに行く。軽いが大きいのでごみを持つのに時間がかかる。帰りは楽だ。1時間くらいかかったかな。

3月28日木曜日 朝6時 集合ポストで引っ返す。Ⅿが来る。

3月29日金曜日 朝6時半 新聞紙と牛乳パックをもって集合ポストの前に行く。ごみを捨てて108の坂道を上がり、階段を下っていつもの道に行く。右に曲がって坂道をのぼる。これからバイクが邪魔だが集合ポストに着いて、あとはドアまで行く。

午後3時通路の一番外れまで行くつもりだ。集合ポストからまっすぐ行こうと思ったら、102あたりで引っ越しをしていた。106で折り返し帰った。

3月30日土曜日 朝4時 便。 6時半 集合ポストから108の通路を通ってケアプラザが見える道路に出る。そこを右に曲がって坂道を上がる。終点になったら一休み。今日はバイクがいないから楽だ。集合ポストから家に帰った。

3月31日日曜日 朝3時 便。6時半集合ポストから108の通路を通ってケアプラザの側道に出る。右折して坂道を上る。終点に来たら休憩。帰りは集合ポストまで歩き、そこから家に帰った。

午前11時半 集合ポストから外に出て駐車場の前を行ったが、調子はすこぶる悪い。コンクリートで休憩したら、そのまま帰る。

4月1日月曜日朝6時半 108の通路を通ってケアプラザ前を通る道に出た。右折して坂道を上がる。終点で一休み。バイクがいついるのかいないのか、何とかしてほしい。集合ポストから家に帰る。

昼11時半集合ポスト前の出入り口を抜けて、駐車場からごみ置き場に着いた。ちょっと休んだ後、道路に出て花壇の方へ行く。途中例のおばあさんが、あんた、どこに住んでいるのと聞いた。相変わらずだな。私は、団地と答えた。今日は足が良くない。左手の花壇の先端まで行ってUターン。

帰りはごみ置き場のコンクリートで一休みした後、家へ帰る。

4月2日火曜日 朝3時半 便。6時半106の通路を渡ってケアプラザの前に着いた。さっそく下り坂。続いてなじみの登坂。終点で休憩。次いで集合ポストにつき左手に替えて家の前に着いた。

午前9時半 歯医者。集合ポストまで合わせて100メートル。

4月3日水曜日 朝6時半 ごみ置き場へ行く。駐車場の前は、プラスチックのため荷が大きく歩きにくく、時間がかかった。
昼12時 便。 午後2時 階段。風があったので2階6セット。

4月4日木曜日 午前6時半 玄関を出て集合ポストからごみ置き場に着く。最近は時間がかかる。道路に出て北川さんという一軒家を目指す。まだ駄目だな。足があまり動かない。北川さんの前でUターン。帰りはごみ置き場で休憩して、その後は足音に気を付けながら家の玄関に着く。

昼12時 午前中は悩みが多かったので、今度はタイムを計ってみよう。時計を出しだら集合ポストでいつもより遅い。ごみ置き場から午前と同じコース。Uターンまで朝と同じだ。今はこんなものか。ごみ置き場から集合ポストを通って玄関に着く。


2019-03-24

英国の悩み & 日誌37


英国の悩み 

「合意ある離脱」とはイギリスのEUに対する責任である。どうしてこうなってしまったのか。

混乱続く英国  EU嫌いの思念の果て
ボリス・ジョンソン前外相は「EUは、ヒトラーが目指したものと同様の目的を追求している。超大国の創造だ」と訴えて、離脱キャンペーンを主導。国の過半数がこれに乗っかり、離脱が決まった。

ドイツ民族という絆で国の拡大を図った点では、ドイツ統一とヒトラーの大ドイツには共通点はあるのかもしれない。しかし、民族や文化が違う国家を統合したEUはナチスとは真逆の思想に基づく。加盟国が使用する二十四の言語をEU公用語とする多言語主義を取る。どの言葉も使用人口の区別なく原則対等に扱う。

英国は植民地拡大で英語を世界中に流通させ、どこでも自分たちだけで事足りるようになった。そして多言語、多文化主義にのっとったEUへの理解も進まず、ヒトラーとEUをごっちゃにしてしまうのだろうか。

それともロンドンなどを独空軍に狙い撃ちされた英国のトラウマは、われわれの想像以上に深いのだろうか。だが戦勝国にはなったはずだ。

三月末のEU離脱期限はひとまず延期される。EU離脱で本当にいいのか、もう一度考えるべきだ。

東京新聞の熊倉逸男による文の抜粋だ。熊倉が書いているように、合意なき離脱に至る懸念はなお大きい。イギリスでホンダが工場を閉鎖するにあたって、是非残ってくれというデモがあった。イギリスは開発途上国なのかという変な気持ちがわいた。ホンダは撤退するだろう。閉鎖になった工場はどんな感情をデモの人たちに与えるのか。


3月18日月曜日 午前10時半 1棟の外れの終着点まで行く。集合ポストを過ぎたら足が重なり乱れてしまう。時間がかかったのではないかな。帰りも右足、左足を交互に出すが、足取りは変わらない。やっと玄関に着いた。

午後1時 階段を行く。3階3セット。6分50秒程度だ。

3月19日火曜日朝7時 玄関を出てポストへ向かう。そこから右折して白い網戸に着いた。そこで左折して下り坂を行き、最後の網戸へ着いた。Uターンして元の網戸で休憩。そして集合ポストから家に着いた。

午前11時 集合ポストから駐車場の方に行く。そこからごみ置き場に行き、コンクリートにつかまって段差を降り道路の正面に立ったが風が強すぎて引返した。それから中央玄関を通って家の玄関に着いた。

午後2時 階段の下で深呼吸。3階3セット。5分32秒、6分7秒、6分12秒。続いて花の道から中央玄関へ。それからポストを通って家に帰る。
     
3月20日水曜日 朝4時半 便。 7時 玄関を出て集合ポストに向かう。そこで右折して白い金網で一休み。そこから左折して下り坂を白い金網の終着点まで行った。そこから108の通路まではちょっと無理なので元に戻る。ちょっと休んで集合ポストまで行き、そこから玄関に帰る。

午前10時半 玄関を出て集合ポストまで行く。そこから通路まっすぐに108を通って終点まで行く。調子が悪い。階段の下でUターンした。自転車置き場のコンクリートは今日は休み。2メートルおき左右交互に行ってエレベーターに来たらそこを左に曲がって白い金網で一休み。

下の通路には誰もいない。戻ってポストからわが家へ帰った。 午後1時 リハビリのため病院に行く。行きかえり併せて100メートル。

3月21日木曜日 朝6時 便。 7時 集合ポストまで行く。もっと行こうと思ったが、106でUターン。そのまま帰る。調子は良くなかった。
 
午前11時 集合ポスト往復。

3月22日金曜日 朝7時 集合ポストから右に曲がって白い金網で休む。そこから左に曲がって坂を下る。金網の終点に来たら勇気を出して108の階段に向かう。107と108の通路を通ってエレベーターの方に向かう。よくできたと思う。それから家の玄関に着く。

午前11時45分 通路の先端まで行く。エレベーターを過ぎるといつも調子が悪い。108から先はみっともないくらい足が踊っている。帰りも同じ。ようやく家に戻った。

午後2時 階段の下に行く。3階3セット。1セット5分35秒、5分55秒、6分5秒。階段を終わったら花の道を行く。帰りが辛かった。

3月23日土曜日 朝 7時集合ポストまで行く。終点まで行こうと思ったが雨が降ってきたのでやめた。 8時 便。

午前11時 朝と全く同じ。雨が降り出したのでポストから帰る。

3月24日日曜日 朝7時 集合ポストから右に曲がって白い金網で一休み。それから左に曲がって坂道を下る。金網の終点に来たら107と108の間の通路に向かう。5,6段の階段を上っていつもの通路に出る。エレベーターを通過して集合ポストから家に帰る。

午前11時 ごみ置き場に向かう。コンクリートで休んでいたら、50メートル先のおばあさんがやってきた。コンクリートの私の隣に座って家族の話を聞いた。私は、行こうかなと言って、段差を降りて正面に立った。調子が悪いがそのうちに調子が出るだろう。左手の花壇を過ぎて坂道を上り、50メートルの地点へ着いた。

そこでUターン。帰りはコンクリートで休んでそれから家に帰った。

2019-03-14

花田清輝展 & 日誌36


花田清輝展 & 日誌36 3月17日日曜日

神奈川近代文学館で花田清輝展を見た。新聞に出ていたのでだいぶ前から知っていたが、下の娘と彼女の母親がパンフレットをもってきて、私たちは見に行ってきたから私にも行けという。残念ながら私にそういった気力はないよと答えた。上の娘が車で連れて行ってくれるのにと言いながら彼女たちは帰った。



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私はパンフレットを読み花田清輝についての謎かけを答えながら、文学館に行ってもいいかなと思った。上の娘に返事を聞くと、いいよという。花田清輝生誕110年と新聞に書いてあった。110年が何を意味するのか私は知らない。閉館日の3日前に車は駐車場に着いた。守衛が車いすを用意してくれた。

長い廊下を渡りエレベーターを乗り継いで受付に着いた。身障者カードを見せると私と娘は無料、一緒についてきた母親は年齢の分かる紙か何かを出すと半額だった。観客はまばらだ。じっくり見られるのでこれでよい。車いすは小さめで私には車輪を回すことができない。娘が私の合図で行ったり止まったりした。

私は花田清輝の本を「花田清輝著作集」および単行本14,5冊持っている。しかし全集を買っていないので生い立ちなど詳しいことは何も知らない。花田清輝展で学生時代までの生い立ちと活動、写真を見て、若き日の彼の雰囲気を十分に堪能することができた。余談だが、彼が結婚していること、妻もまた台所にかまけていないことを知ることができた(「大衆のエネルギー」)。

埴谷雄高宛ての花田清輝のはがきが数枚置かれていた。結構便りを出すのだなと思った。また埴谷雄高や吉本隆明などの論争の後で、一区切りついたら食事に招待する(?)ことも意外だった。佐々木基一が弔辞を書いている。緻密にして壮大な論理的思考、鋭い詩的直観を持った文学者、芸術家と評している。

花田清輝の文は独特である。「前近代的なものを否定的媒介として近代を超える」という「近代の超克」、「過去の必然と未来の可能とを弁証法的に統一したものが現実」といった表現「大衆のエネルギーから『落書精神』」。誰でも真似しようとして結局真似できない文だ。「翻って考えってみる」は文章を外側から埋めていくやり方だ。

今またまず「大衆のエネルギー」「二つの世界」を読み始めた。


日誌36

3月11日月曜日 朝12時半 ごみ置き場に行く。コンクリートで一休みしたら、道路に出た。あまり調子が良くない。10メートルぐらいでUターン。帰りも足が言うことを聞かず段差を上がってコンクリートで中休み。2棟のサラリーマンと会う。しばらく見ないと言っていた。私は帰り道を左足右足慎重に歩いて玄関に着いた。

昼2時 階段の下に着く。3階3セット。時計を忘れたが調子は良くない。階段を終えたら花の道から1棟の中央玄関まで行き、玄関に帰る。

3月12日火曜日 朝5時半 便。 7時15分 集合ポストから右に曲がって白い金網まで行った。そこから左に曲がって坂を下りる。3分の2くらいまで行き、Uターンして元に戻る。それから集合ポストまで行き、左折して玄関に着く。

朝10時半 集合ポストからごみ置き場に行く。そこから道路に出て12,3メートルばかり歩く。左手に花を見てからUターン。Uターン後が辛い。両足が揃ってしまう。コンクリートに着いたらしばらく休む。名前は憶えていないが犬を連れた40ぐらいの女性に会う。久しぶりですねと言っていた。

続いて2棟のサラリーマンに会う。ずいぶん久しぶりだ。元気といった。私は歩けなかったという。別れて玄関まで帰る。

3月13日水曜日 午前7時15分 集合ポストへ行く。右折して白い金網で一休み。ここで左折して電柱の周りをまわって元に戻る。帰りはいつもと同じ、集合ポストから自宅の玄関へ帰る。

3月14日木曜日 朝5時 便。 7時集合ポストへ行く。そこで右折して白い金網で一休み。次に左側の坂道を下る。平坦なところまであと1メートルだ。この1メートルはちょっと急で今は無理だ。Uターンして坂道を上りもと来た白い金網で一休み。あとは集合ポストから左折して玄関に着く。

昼12時 玄関を出てこの道の終点まで行く。エレベーター前から足がおかしい。右足が前に出ず、信号待ちかと間違えられる。金網までそれで行った。帰りは右足10メートル、左足10メートルと調子が出ている。エレベーター前からも同じペースで玄関に着いた。

3月15日金曜日 朝7時 新聞紙と牛乳パックをもって集合ポスト前に行く。ごみを捨て、背中の方に回って白い金網で一休み。それから金網に沿って坂道を下り、あと1メートル残してUターン。帰りは楽で電柱を通って金網で休む。そして結構つらい中道を通って集合ポストで左折し、玄関に着いた。

昼11時半 集合ポストから玄関を抜けて駐車場で足色を直す。ごみ置き場から段差を降りて車道に出る。今日は左手に見える小さな花を通ってその花壇の終点まで行ってUターン。帰りは辛いが1棟のコンクリートで一休み。それから中央玄関に入り、玄関に着く。帰りのコンクリートから自宅まで23分だった。

昼2時 階段下に着く。風があるので2階6セット。それで帰る。

3月16日土曜日朝5時半 便。 11時 通路の終点まで行く。中途から足が乱れて調子悪い。帰りは右足を前に、右足を後ろにと調子をつけて歩く。集合ポストに着いたら後は玄関まで1直線だ。

2時 階段の下に着いて、3階3セット。カラスが3階のベランダ状の手すりに座ってかあかあ鳴いている。だから2,3階の途中で引っ返した。2セット目の時はいなくなったので、2,3階の途中から3階へは2回やった。

3月17日日曜日 朝7時 風もなく天気がいいのでごみ置き場から段差を降りて道路に向かう。90何歳かのおばあさんがやってくる。あんた、うちはどこと聞いた。何回答えただろうか。しかしそれを言ってはいけない。市営住宅と答えた。どこまで行くのというから、ここから50メートルぐらいかなと答える。

50メートルは左手の花壇から坂がある。それを過ぎると左手に1メートルぐらいの下り坂があって、その家の玄関になっている。玄関を通り過ぎて電柱へ来たら50メートルだ。ちょっと休んだら元へ戻る。25メートルぐらいまでは平坦で気持ちいい。下り坂になったら今までの気兼ねがない。

段差を上がってコンクリートで一休み。引っ越しだろうか、5,6人の男女が入れ替わり1棟の駐車場にいてはまたいなくなっている。それが済んで運転手が乗って何分かして男女が車に乗る。全部で20分ちょっとかな、やっと出た。さあ休憩も終わりだ。中央玄関からそのまま玄関に向かう。














2019-03-10

日誌35


日誌35

3月4日月曜日 朝6時 便。 1日雨。

3月5日火曜日 朝9時と10時歯医者に行くため集合ポスト往復。

午後12時半 集合ポストを経てこの道の終点まで行く。行きはまずまずだが、帰りは時間がかかった。玄関へ入る。

3月6日水曜日 朝10時 便。 10時半ドアーを出て終着まで行く。行きは時計を見なかったが、帰りは18分だった。まずまずだった。

午後1時 病院に行くため、および病院から帰るため、あわせて100メートル。

3月7日木曜日 朝8時半 便。今日は1日中風が強かった。

3月8日金曜日 花田清輝展を見に行く。集合ポストまで往復。

3月9日土曜日 午前10時半 集合ポストの前から中央玄関を通り、駐車場に行くとき、こんにちはと男の声がした。犬2匹を連れた道路わきの大きな家のおじさんだ。歩けなくなっちゃってと言ったら、そんなことないよ、歩いてくださいよとおじさんは言った。ああ、そんなに歩けたらとおじさんを見送りながら思った。

ごみ置き場に着いたら道路に出て少し歩いたら、風が強くてそのまま引っ返した。コンクリートのふちで休憩したら、家に帰った。

午後2時 玄関を出て通路に足を踏み出す。集合ポストに着いたら中央玄関を出て、花の道へ行こうとしたら、やはり風が強くて引き替えした。

3月10日日曜日 朝10時半ごみ置き場へ行く。駐車場前を通ってコンクリートで一休み。この時間は割と人が多い。道路に出たくなった。行けるところまで行ってみよう。右足左足をゆっくり上げ下げして道路の左側に小さい花が出てきたら、そこでUターンだ。帰りは行きより足が揃って苦労が多い。

段差を上ってコンクリートで休憩。画家が来た。最近買ったCDの女性ボーカルにはまっているらしい。私にCDを2枚くれたので、うちに来るように言った。ただし今は調子が良くないのでそのうちに声をかけるよとも言った。調子が良かったら飲もうと彼は答えた。それで別れて私は家に帰った。

2時 階段の下に行く。3階3セット。それを終えて帰る。

2019-02-25

椿、日誌34



ずっと山茶花だと思っていたが、実は椿だった。花が地面にそのまま落ちていた。裸の花水木の背後にある。

日誌34

2月25日月曜日 朝6時 便。 午前11時 ごみ置き場へ行く。置き場で休憩したら道路へ出た。歩いている人を見て絶対挑戦してみようと思っていた。坂の手前、15メートルぐらい歩いた。足はあやふやだが、怖いという印象ではない。帰りが少々きつい感じがする。段差まで来て10センチほどの渡りを行って休憩した。

帰りはいつもと同じ建物沿いだが、今度は駐車場寄りにしてみよう。

午後2時 階段を行く。3階3セット。6分、6分半、6分45秒。階段が終わったら、花の道を行く。昨日は4分の3だったから、今日は外れまでと思っていたら、ついでだからそのまま道路に出て、1棟の玄関に出た。それからはいつもの通りポストを通って玄関に着いた。

2月26日火曜日 朝9時、10時半 100メートル(歯医者の行きかえり)。午後12時半1棟の終点まで行く予定だったが、風が強く集合ポストで引っ返した。

2月27日水曜日 午後1時、3時半 病院へ行くため集合ポストまで行って、また帰る。

2月28日木曜日 朝4時 便。 午前11時半 集合ポストまで行く。ポストに着いたらその先の終点まで行こうとしたが、雨が今にも降りそうなのでそのまま帰った。

3月1日金曜日 朝8時 ごみをもって集合ポスト前へ行く。新聞の折り込み広告と牛乳パックを置いたら、そのまま家に帰った。

午後1時 ごみ置き場まで行く。今日は駐車場の前を進む。置き場に着いたら段差を降りて道路に立つ。この間と同じ、電信柱でUターンした。帰りは段差を上り、足元に気を付けながら家の玄関に着いた。

3月2日土曜日 朝4時 便。午前10時半 玄関を出て終点まで行こうと思ったが、106あたりで風が強く、そのまま引っ返した。

午後12時半 風も収まったようだ。集合ポストを過ぎて108から終点に向かう。終点の金網から引返し、エレベーターから左に曲がってなじみの道を行き、終点で一休み。それから集合ポストまで行って左に曲がって帰った。

午後2時階段下に着く。3階3セット。5分50秒、6分5秒、6分30秒。終わったら道の終点へ行った。手すりがないのでやめた。

3月3日日曜日 今日は雨で寒い。

3月3日夕方7時

2019-02-24

増殖を続ける米軍



増殖を続ける米軍

 防衛省は米空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)施設として、鹿児島県西之表市の馬毛島を取得することを決めた。米軍基地はとめどなく広がるのだろうか。
 実例がある。昨年三月、米空母艦載機が神奈川県の厚木基地から山口県の岩国基地へ移駐した。だが、日本政府が求めていないことから厚木基地は一平方メートルも返還されていない。岩国基地には日本政府のカネで移駐に伴う各種施設が造られており、米軍は労せずして艦載機が利用できる厚木、岩国という二つの基地を手に入れたことになる。
 馬毛島にFCLP施設ができれば、岩国から遠い硫黄島のFCLP施設は使われなくなるだろうが、米軍は手放さない。厚木同様、おそらく日本側が返還を求めないからだ。
 沖縄の普天間飛行場だって変わりない。
 二〇一七年六月、稲田朋美防衛相(当時)は普天間飛行場の返還をめぐり、参院外交防衛委で「(緊急時の民間施設の利用について)米側と協議、調整が整わない限り、返還がなされないことになる」と明言した。
 条件が整わなければ、普天間返還が実現しないのだとすれば、安倍晋三政権がやるべきは辺野古新基地の建設強行ではない。米政府に沖縄の民意を伝え、どうすれば普天間返還が実現するか誠実に協議することである。
 米政府の圧力を地元につけ回すだけの政府でいいはずがない。(半田滋)

日誌33
2月18日月曜日 午後12時半 玄関を出てとりあえず集合ポストに向かう。だんだんやる気が出てきて、表に出ると建物側に位置し、足をかばいながら徒歩を続ける。とうとうコンクリートに座った。帰りは右左と足をかばって玄関に着いた。

2月19日火曜日 朝4時 便。 午前11時 玄関を出て集合ポストまで向かう。ポストを過ぎたらそのまままっすぐ進んだ。1棟の終点に着いたら一休みして、帰りは2軒ずつをひとまとめにしてエレベーターに着いた。それからは左右交互に歩いて玄関に着いた。

午後2時階段を上る。3階2セット。2セット目の下り2階のすぐそばで足が利かなくなり、2段ほど1段ずつになった。その後は普段通りに2段で行った。足がおかしいので2セットで終了した。

2月20日水曜日 朝10時50分 便。 午前11時玄関を出て集合ポストまで行く。風もないので終点まで行こうか。さすがにちょっぴり厳しい。ふうふう言いながら終点に着いた。帰りはもっと厳しい。エレベーター前で少し調子に乗れて玄関までたどり着いた。

午後2時 階段を行く。風が出てきたので2階6セット。まずまずだった。

2月21日木曜日 午前11時集合ポストまで行く。ここからさらにと思ったが、風が強くてそのまま引っ返した。

午後1時 集合ポストまで行ったが、相変わらず風が強くて引っ返す。

2月22日金曜日 朝7時30分 ごみをもって集合ポストまで行く。今日も大きな荷物のツケか、 段ボールがいくつかあった。新聞紙と牛乳パックを置いて、帰った。

午後12時半 集合ポストから外へ出て、建物沿いに進む。途中足が乱れてそのたびに靴を元に戻す感じ。ごみ置き場に着いた。休憩したら画家が来た。何がいいかなとCDを選ぶようだ。今度はフランスの歌手のような幾分ロックを外したものがいいらしい。私がフランス人がいいといったからだ。

画家が行ったら今度はおばさんが来た。最近見ないけどどうしたの、という。いい人がいっぱいいる。おばさんが帰ったら私も帰ろう。

2月23日土曜日 朝6時 便。1日中風が強かった。

2月24日日曜日 午前11時 ごみ置き場へ向かう。中央玄関を通って建物沿いに歩く。調子は良くないが、置き場のコンクリートに腰を下ろした。ライトバンを荷台にした何でも屋が団地の老人を集めている。そのうち画家が来た。バスで行って富士ガーデンへ行ったようだ。

それから帰りはまたバスに乗ってコンビニへ向かい、いつもの買い物をする。近頃は、朝は家にいて昼頃買い物するらしい。画家が帰ったら私も帰る。辛くはないが遅い。

午後2時 階段へ向かう。3階3セット。階段を終えたら、階段の向こうの花の道へ向かう。4分の3まで来たらUターンして元へ帰った。

2019-02-17

日誌32


日誌32

2月11日月曜日 雪、その後寒い。

2月12日火曜日 朝6時 便。11時玄関を出てまっすぐ終点を目指す。中央玄関前の緩い傾斜が足にこたえる。107あたりを歩いていると、画家にあった。クリスマス用のハードロックの次は何がいいかな、と問うので、私は、最初のほうがいいと答えた。それじゃそうしようといった。

かなりきついが右足を踏ん張って終点に着いた。帰りはわき目も振らずに玄関に着いた。19分だった。近頃では最高のタイムだ。

14時階段を行く。タイムを計らなかったが、いつもより時計がかかったようだ。3階3セット。

2月13日水曜日 朝7時 便。 寒い。

2月14日木曜日 朝6時 便。 11時玄関を出てまっすぐ進む。そんなに足が悪くはないが、風が強すぎて集合ポストで引っ返す。帰りは左右石段3つずつだが、疲れた。

昼1時半 午前は100メートルだったので、もう一度集合ポストまで往復した。

2月15日金曜日 朝8時 中央玄関に新聞紙と牛乳パックを置いてくる。

2月16日土曜日 朝5時半 便。 11時玄関を出て集合ポストへ向かう。そこから右折して白い網戸に着く。通りには誰もいない。帰りは集合ポストから左折して玄関へ行く。玄関を通り過ぎて終点まで来たら、そこで一回りして玄関に着いた。

午後2時 階段へ向かう。3階3セット。6分、6分、6分半。3セット目は時間がかかったようだ。

2月17日日曜日 午前10時半 玄関を出て集合ポストへ。まっすぐ終点まで行くか、集合ポストで右に曲がるか、迷ったが、集合ポストで右に曲がり白い線で一休み。今日はこれから左に曲がって鉄柱を過ぎ、下りにかかって坂の4分の1のところでUターンした。帰りは足の具合を確かめながらゆっくり行った。

集合ポストで左に曲がり、玄関へ向かう。玄関を過ぎたら終点まで行きUターンして玄関に着いた。

午後2時 階段に向かう。1番下で深呼吸して上り始める。3階3セット。1セット目は5分半、2セット目は5分半、3セット目は6分15秒。この日が1番良かった。しばらく休んでから石段の方に行く。石段の切れ目でUターン。それから玄関に入った。

2019-02-11

日誌31


日誌31

2月4日月曜日 朝11時郵便ポストから右へ曲がろうとしたら、あまりにも風が強くてあきらめた。玄関に戻った。

午後2時 階段の下に出る。3階3セット。1セット6分30秒。

2月5日火曜日朝6時 便。 11時玄関を出て1棟の終点まで行く。郵便ポストからは足元が乱れて、102あたりで右左が分からなくなってしまったが、何とか終点に着いた。帰りはもっとひどいが、小さい歩幅でエレベーターに着き、やっと玄関に来た。

14時階段の下に来て、3階3セットを行う。1セットずつ時計を計った。6分、6分半、7分だった。3セット目は1セット目より1分遅い。何とかしよう。

2月6日水曜日 昼1時郵便ポストまで往復。100メートル。

2月7日木曜日 朝11時 ごみ置き場に行く。中央玄関を出て建物側の道路を進む。途中で足が乱れた。休憩したらまた歩く。4回休憩したか、コンクリートで休む。帰りは左足を右足より前に出すが、なかなかそのようにはいかない。中央玄関からはいつもの通り右左交互に出して、玄関に着いた。

2月8日金曜日 朝6時 便。 8時ごみを出しに中央玄関へ行く。風が強い。郵便ポスト前の緩い坂を渡って、ごみを置く。帰りは、歩きは怖くないが風が本当に強かった。

午後2時 階段下に着く。風が強いため2階までとした。6往復である。

2月9日土曜日 今日は1日、雪に斜体文なりそうだった。

2月10日日曜日 午前11時 中央玄関へ行こうとしたが、あまりの風の強さに途中で引き返した。50メートル。

2019-02-03

日誌30





日誌30

1月28日月曜日 朝8時半 玄関を出て郵便ポストまで行く。膝が曲がらないので着いたら帰る。予想通り50メートル歩いても足の状態は変わらなかった。玄関に入る。

午後は強風になった。

1月29日火曜日 1日 強い風が吹いていた。

1月30日水曜日 午前11時 玄関を出る。久しぶりだ。最初は右足を左足が上まったが、そのうち左足が後方のままになる。郵便ポストを右に曲がって白い線まで行く。そこで休憩して帰り道だ。郵便ポストから家まで1直線。玄関に着いた。

午後1時 病院往復100メートル

1月31日木曜日 午前11時 玄関を出て郵便ポストまで行く。帰りも同じだが、玄関を過ぎて通路の外れまで行く。1回転してもう一度と思ったが、玄関に吸い込まれた。

2月1日金曜日 朝7時半ごみ捨てに出た。中央玄関でごみを置こうとしたら、強風でごみをしばるセロハンテープがほどけて、最初の2枚がとんで行ってしまった。どうしようか考えていたら、離れたところで老人と話をしていた若者がとんできて、ごみを隣の袋に入れ、とんで行った紙を拾ってくれた。

私はその若者に礼を言って帰った。

昼1時 階段に向かう。今日は3階まで3セットだ。いつもより足元が乱れるようだ。3セットが終わった。

2月2日土曜日 朝11時郵便ポストから右へ行く。どうも良くないが白い線まで行った。帰りもフーフー言う。郵便ポストから玄関へ帰った。

昼2時 階段に向かう。3階まで行く。降りて1階で休憩してあと2セットする。

2月3日日曜日 朝7時 便 。11時玄関を出てまっすぐ終点まで行く。郵便ポストから108を通って101まで行き、残りの3メートルを左右3回ずつ使って終点に着いた。帰りは右足を先に、右足を後にと、通路の路面通りに歩いた。郵便ポストからは楽になった。左右相互に歩いていると、私の名前が聞こえた。

振り向くと画家だった。どこで私を見つけたのか、表通りを歩いているとき私の姿が目に入り、あとを追ってきたのだ。私はクリスマスにくれたCDの礼を言った。彼は気に入ってくれてよかったといった。それで別れて私は玄関に入った。

昼2時階段へ行く。3階3セット。この調子でいい。

2019-01-27

日誌29


日誌29

1月21日月曜日 朝6時半 便(3日ぶり)。 11時半玄関を出る。今日はこの道の終点までいく。郵便ポストまでは苦しいなりにたどり着いた。ここは足の乱れを気にせず108へ突入。106は最初のカギだ。左右交互に歩む。ここから苦しい道のりで終点に着いた。ちょっと休憩してから帰りに向かう。

右足を左足より前に出したり、同じになったり、エレベーターの前まで来た。それから玄関まで一直線だ。

昼1時半 階段を行く。玄関を出て少しのぼりを上がって、階段の下に着く。上りは以前より厳しい。何とか2階、3階に着いた。これから下り。以前と変わらず。下までついて玄関に入る。

1月22日火曜日 朝9時 10時半 合わせて100メートル。

昼2時 玄関を出て通路の一番外れまで行く。郵便ポストからエレベーター前を通って108へ行くのがつらい。足が上がらない感じがする。106をクリアーして終点まで死に物狂いだ。終点で休憩する。帰りはコンクリートの線から左右交互に行ってエレベーターまで1直線だ。

郵便ポストから景気をつけて玄関に入る。

1月23日水曜日 昼1時 病院の行きかえり100メートル。

1月24日木曜日 昼11時 玄関を出て通路の終点まで行く予定だったが、風が強すぎて郵便ポストで引き返した。帰りは通路の区切り線に沿って、右足を前、後ろと交互に行って玄関に着いた。

昼1時 玄関を出て左に少し行って上りを行けば階段に出る。3階まで行って降りる。これを3セット。風が相変わらず強いのでしっかり階段の手すりに手を握らせている。特に2階では1メートルばかり階段の手すりがないので、風を見計らって相手のほうに左手を出して手すりに預ける。

3セットだから3回あった。しかし全体として足は大丈夫だ。

1月25日金曜日 朝7時45分新聞紙と牛乳パックをもって玄関を出る。3軒隣の部屋で職人が何かを取りに行っている間に、ドアーを開けておいたので部屋の中を見た。リビングは広いし畳の部屋も布団を敷いても、まだまだ空いているようだった。もちろん玄関から見える範囲だが居住者は文句を言えないだろう。

郵便ポストでごみを出し、このまま真っすぐ終点まで行く。終点に着いたら少し休憩し、1軒に2つあるコンクリートを目安にして左右交互に歩く。エレベーターの付近に着いたらあとは左足を中心に右足をなるべく遅れないようにして、玄関に着いた。

午後3時玄関を出て少し左の方に行って上りをこなし、階段の下に来た。今日は風がないから少しは楽だろう。3階まで行って戻る、それを3セットした。

1月26日土曜日 風が強く1日家にいた。

1月27日日曜日 朝8時 ごみ置き場まで行く。中央玄関を出て表を団地の建物側に歩を進める。途中で4回休んだ。やっと道路に着いた。人は誰もいなかった。帰りは右足を先頭に左足を右足を追い越すほど大きく出すが、そのうち右足と同じに、そして少し遅れるくらいになった。

やはり4回休んで中央玄関まで行き、あとは知った道であり、玄関に着いた。時計を見たら後半25分だった。

昼12時半 階段の下まで行って呼吸を整える。風があるので2階の踊り場は杖もないので厳しい。3階まで3セットする。1セット7分だ。

2019-01-20

日誌28


日誌28

1月14日月曜日 昼2時 玄関を出る。まず左へ行ってアスファルトの終点まで行ったら、位置を変えて郵便ポストまで行く。通路の標識3つ分を一くぐりにして、左右交代に歩く。ポストに着いたら右に曲って白い線まで行く。そこまでは左右交代といってもなかなか厳しい。何とか終点に着いた。

そこから左に2メートルぐらい行って、電柱でUターンして元に戻る。これから帰りだ。この通路は久しぶりだから、足が利かない。ようやく郵便ポストに着いて、ここから玄関まで行った。全部で150メートルぐらいかな。


1月15日火曜日 昼12時 便。 1時玄関を出る。昨日とは違ってすぐ右の郵便ポストまで行く。通路の標識2つずつだ。右、左と交互に歩く。ちょっと苦しいようだ。ポストに着いたら右へ曲がる。ここも苦しい。右、左1回ずつで白い線に着いた。両膝を曲げる運動10回やる。

帰りは一番苦しい。ポストに着いたら玄関めがけてフーフー言いながら着いた。

1月16日水曜日 朝5時半 便。 病院にリハビリに行く。

1月17日木曜日 昼11時半 玄関を出る。とりあえず郵便ポストまで行く。ここからどうするか。右に曲がって白い線まで行くのか、あるいはまっすぐ行くのか、ここではまっすぐにした。左右交互に歩く。106あたりで足元が乱れる。ここで引っ返そうか、それとももっと行くか、もっと行こう。

とうとう1号棟の外れまで来た。2週間ぶりかな。帰りは2軒ずつ左右交代で行く。そこが通路になっている。108へ来たらエレベーターの前で態勢を整え、郵便ポストへ行きそこから玄関まで行った。

1月18日金曜日 6時 便。 7時半玄関を出る。中央玄関に新聞紙と牛乳パックを置きに行った。行きも帰りも左右交互にやろうとするが、足並みが揃わない。何とか玄関に着いた。

昼11時半玄関を出て1号棟の外れまで行く。郵便ポストまでは普通に歩いていたが、ポストを過ぎると足並みが乱れる。108からは足の不便を気にしないで、左右交互に頑張っていく。外れまで着いた。ここから帰りだ。左足が右足を超える、それがうまくできない。だから左右交互に歩く。

郵便ポストに着いたら、あとは右足前に、右足平行線、右足後ろと、気分良く歩いた。玄関でゴールだ。

1月19日土曜日 朝10時 ごみをもって玄関を出る。ごみの重さと足の重さが重なって全然進めなかった。ドアを開けてごみを置き手ぶらで行ったが、2軒先でUターンした。そのまま玄関に入る。

昼12時半 下の娘が来て、車いすでごみ置き場まで行き、そこで降りてコンビニ方面に行くという案を娘が出した。私が歩いている間に彼女はごみをもってGTに行く。GTから帰ると私がどこまで行けるかだ。私は久しぶりに段差を降りた。そこから歩く。最初のうちはまずまずだった。

そのうち上りになると足が乱れる。なるべくリズムをとり左足は右足を超えて出す。そのうち右足と同じになり、とうとう左足は右足に追い付かなくなる。あと少しで50メートルだが、車が止まっていた。ちょうどその時、娘がやってきた。まだ収集車が来てなかったので、ごみは大丈夫だといった。

私はそこで車いすに乗った。100メートルでUターンした。今日は晴れて気持ちがいい。富士山も白い峰がくっきり見える。私が車いすに乗ったところで、おじさんが、どこまで行くのですかと聞いた。少し歩いては休み、腰を下ろしてしまう。帰るのだというと、私は神経痛でこの通りだ。辛いという。

辛いだろうと私は思う。娘に年を聞いたら、70だと言っていたとのこと。私も負けないように頑張らなくちゃ。私はまた車いすを降りて歩き出した。帰りはあまり調子が良くない。道路が平坦になったところで車いすに乗った。また段差のところで車いすを降り、上ったらまた車いすに乗った。

団地の中の通路は天国みたいだ。玄関を開けた。

1月20日日曜日 昼12時半 玄関を出て郵便ポストでUターンした。そのまま帰った。

昼2時 下の娘が来てリハビリをやっている間、私は朝はごみ置き場まで1周し、昼は階段を3階まで行き、戻ってくる、これをやろうとしたが、できなかった。私の夢を語った。

2019-01-13

現代のユマニスト・メルケル首相


現代のユマニスト・メルケル首相
 帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」から

 帚木蓬生の「三たびの海峡」を読んだ。韓国が舞台で日本との交流を扱ったものである。日本人では書けない韓国人を、釜山に住んでいたかのように緻密に書き上げていた。ここで取り上げる「ネガティブ・ケイパビリティ」は彼のエッセーである。「ネガティブ・ケイパビリティ」には重要な要素が数多く出てきて、帚木蓬生が精神科医として診療室を立ててもいる尊敬すべき人間であることもわかる。

 帚木蓬生は「第十章 寛容とネガティブ・ケイパビリティ」でドイツのメルケル首相を取り上げた。彼はメルケル首相を現代のユマニストと呼んでいる。彼女は1年の間に三度もあったEUの危機で、敢然とした態度をとっている。その政策を彼の「第十章」の中で紹介する。

一回目は、EUの一国ギリシャが財政危機に瀕した際に、あくまでもギリシャを排除せず、救済策とともに改革案を突きつけたときでした。膨大な赤字を負ったギリシャを切り離せば、EUの理念が崩れ去ります。他国の赤字を救うのに税金を使われてはかなわないと、不満をもらすドイツ国民をまず説き伏せます。一方で放漫な国家運営で赤字を膨らませたギリシャ政府には、血のにじむ緊縮財政策を突きつけました。結局この説得が功を奏し、他のEU諸国はメルケル首相のあとに続くしかなかったのです。
 
二回目は、ロシアのプーチン大統領が指揮したウクライナ領クリミア半島への侵攻に際し、直ちにロシアへの経済封鎖という対抗策を打ち出し、他の欧米諸国も足並を揃えました。ロシアのクリミア侵入は、まさしく一九世紀風の野心であり、二十一世紀の近代国家のやる振舞いではないからです。
 
そして三回目が、中東からの避難民に対していち早く受け入れを表明した決断です。半年後にもうこれ以上受け入れは無理だと声明を出したものの、結局は二〇一五年中に百万人もの避難民がドイツで新生活を始めました。避難民による犯罪が多発したとき、首相の決断への非難は最高潮に達しました。しかしメルケル首相は怯むどころか、百万人の避難民が将来必ずドイツのために働いてくれると確信しているようでした。その後、避難民を嫌う人々に極右の党が訴え、フランスでもドイツでも票を大幅に伸ばしました。しかしそれでもメルケル首相は、自分の決断が正しかったと思っているでしょう。私もそう思います。

 避難民の受容に反対するドイツ国民の怒りに対処するメルケル首相の態度には、ネガティブ・ケイパビリティを感じます。非難されながらも一線は譲らず、相手を静かに説得し、理性をもって結論を導くやり方に、時が経つと反対派もいつの間にか矛を収めているのです。避難民の多くは、現在語学教育や職業訓練に励んでいることでしょう。メルケル首相が受け入れた百数十万人は、今後十年後二十年後にはドイツの底力を担うとともに、出身国の復興を支える人材になっているでしょう。

 以上が、2015年の「タイム」誌の「今年の人」として二十九年ぶりに女性を選んだ、メルケル首相の中身である。日本でもメルケル首相の来歴が紹介されているが、彼女の今までの政策がドイツの将来に役立つよう祈っている。


1月7日月曜日 昼12時 便。 14時玄関を出る。久しぶりだから歩きがぎくしゃくだ。113辺りで右足が利かなくなった。115では両足厳しい。何とか踏ん張って郵便ポストに着く。一番外れにカードを入れる。帰りは余計厄介。左足、右足を交互にやって玄関に着く。明日はもう少し楽になるだろう。

1月8日火曜日 昼2時 玄関を出る。112辺りで足が乱れる。郵便ポストまで行ったら、行けるところまでと思ってまっすぐ行った。106辺りで足が利かなくなり、Uターン。帰りは厳しい。足が動かないまま、エレベイターにて休憩。その後何とか家のドアまで行った。

1月9日水曜日 病院へリハビリに行く。

1月10日木曜日 1日家にいる。

1月11日金曜日 朝6時 便(3日ぶり)。

1月12日土曜日 午後1時 便。

1月13日日曜日 朝8時玄関を出る。外を歩くのは何日ぶりか。道路の区切りを2つずつ交代で歩いた。郵便ポストでUターンして同様に歩く。左右交代で家に着いた。


こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の栄です今日のテーマは「今年の年末年始はどう過ごしますか?」です今年もあっという間に終わりですね、1年間お疲れさまでした。年末年始は、いつもより時間をゆったり使うことができて、毎年おなじみのテレビの特番を見たり、おせち料理を楽しんだりと楽しいことが盛りだくさんですね栄の年末年始は初の餅つきをやります!みなさんは今年の年末年始はどう過ごしますかたくさんの回答...
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