2012-05-13
ゴミ置き場を出て300メートルの直線は、いつも姿を写して世話になっている玄関のマンションが、ぽつんと建っているだけだ。そこを過ぎると四つ角になる。左は50メートル先にn駅。エレベーターに乗って上に行くのが楽しみだったが、あるとき階段の手すりを使って歩くのが習慣になったものだ。
30くらいの女性が乳母車に赤ちゃんを乗せている。赤ちゃんはねんねだ。エレベーターに乗せるのだろうが、駅とは限らない。駅を通って向こう側へ降りるかもしれない。私は向こう側に階段を使って降りるだけだ。
今は四つ角を正面に向かって進む。相鉄線のガードがあるが、高さは2メートルと狭い。むかし車があったとき、こんな低いガードはありかといって思わず運転席で身を縮めたものだ。ガードをくぐってすぐ左に行く。公園でサッカー遊びだ。砂場では二人の子供とお母さん。手足を動かせて子供はうらやましい。
しばらく行って右に曲がる。高層で高価な団地がある。お婆さんが入って行くし若い男もコンビニの袋を手に持って歩いていく。実は私はこの団地にいたことがある。稼いでここにいるつもりだった。はなみずきという自治会雑誌が新鮮だった。
左手に入って横須賀線の踏切を右に曲がる。一直線で保土ヶ谷駅だ。このコースは歩きやすいが、真ん中が1キロなのでそこからは歩きがきつい。学生連れ、乳母車にお母さんとおばあさん、おっさん3人、駅を降りてよく歩く。駅に近いとコンビニ、流行っているようだ。
駅で1.6キロ。駅前を曲がらずにここでも直進する。女学生やら男子学生の顔を見ながらこの裏道を右折、右折して駅を直進する通りに合体だ。コンビ二、パーマ、マンションなど私には知らない店などが多い。花屋とドラッグストアの前、人が多数。あと少し、ようやく2キロに着いた。
この通りをしばらく行って、信号を左、右に曲がって裏道に出る。まだ時計を見ながら歩いている感じだが、そのうちに一息ついているもよう。寺の道はすがすがしい。ただここから天王町とビジネスパーク、どちらも行けるので往来はわりと多い。
四つ角に出たら左に行ってビジネスパークだ。ここから2キロある。ビジネスパークは1周900メートル。元気なころは走るメニューにしていた。プールやランニングマシーンなどの施設のある箇所があって、バイクや自転車で歩道は満員だ。私は行かないが。
ビジネスパークを抜けて天王町の駅前を通り、n駅の通りへゆく四つ角に出たら、団地。タイムを取って終わりだ。4.5キロ、一番長い。
2012-05-01
2年3ヶ月は遠くなった。みなと病院の医者はもう今ではだめだ、ペースメーカーの手続きをするといった。脳梗塞も9時間や10時間が経っていれば医者のいうとおりだろう。4,5日はオムツをしていた。その後はリハビリが続いて20日目に退院、東戸塚のリハビリ病院へ移った。
東戸塚では3ヵ月いた。その後は通院、12年3月、ちょうど2年でリハビリも辞めている。1年目のそれこそ3月に大震災があった。そのときは5弱か5強だった気がするが、大きな揺れはなくて安心した。ただテレビが落ち、本箱の上のロシアの遊び物が落ち、それにサラダ油がひっくり返って台所は油だらけになった。
リハビリの通院は週に3回から徐々に減らして1回になったが、それに関係なく朝晩の体操を行っている。歩きも朝夕4キロを2回行って体重管理に気をつけている。その歩きが少々遅い。年のせいだか分からないがもう少し奮発して歩いてみよう。
小石を蹴飛ばす、これはどこから来たのだろう。寝てるうちにか起きて朝飯を食べているときか、いつも小石を蹴飛ばすのが夢だった。歩いているときはそんなこと、できるわけがないのに。
2012-04-23
歩きが調子を出せない。どこへ行くにしても最初がだめだ。第1のポイントである帷子川の橋の250メートルがうまくいかない。途中のマンシォンである玄関の扉に姿を写しても、からだの形がゆれているようだ。
橋を渡って今は左に行く。整形外科は老人で賑わっているようだが、この医院の前の歩道は傾斜がきつい。これを乗越えて横断歩道を渡り、ここから盲人用の点線を目安に横須賀線の駅まで歩く。しかしタイムが出ない。大きいストライドで行こうが、短い歩幅で行こうがだめだ。
時計を持ってゆけないというのはもっと悪い。出かけに点検するのだが、どういうわけか時計を忘れる。気がついていたらもうゴミ置き場ということがある。時計は生命線だと肝に銘じていてもだめだ。
タイムが出ないのはもう年かと思ってしまう。でももう一息やってみたい気がする。
2012-03-31
3月いっぱいでリハビリをやめた。3月のリハビリは療法士が忙しく、月初めの1週が15分、2週が外来診療で休み、それに代わってほかの療法士が40分、3週がこれまた忙しく15分と私の専属医ではないようだった、
普通はこんなことはなく、45分をきちんとこなし全面的に信頼していた。それに中1週ずつ20分くらいの脚あるいは言語のリハビリをするのだ。ほんとにたまたまこんなことが出てきたということだろう。
4週目にリハビリをやめるだんになって、精一杯のリハビリと注意点を教えてくれた。自分でやっている体操に比べれば大した点はないようだった。ここまで腕も上がって回復したのだから、運動が下がらないように気をつけなければならないということだろう。
言語のリハビリはさすがによくしゃべるのだが、週に1回のリハビリでこれだけしゃべる、家に帰ってもラジオやテレビなど返事をしたらいい、それがリハビリだといった。
脚のリハビリの先生は最後の日は出張で、代わりに紙を用意してくれた。手足を十分に動かすという図解だった。
リハビリは後に残さない、少しでも前に進むということだ。しかしそれなら一人で出来るという結論になったわけだ。
2012-03-26
横須賀の市民デモも春をむかえた。私は今年は始めての参加だ。ただし参加者は30人そこそこ、多くはない。
Yさんがゲート前でスピーチをする。私より五つ年上の女性だ。彼女から市民宣言グループに誘われ、そのうち「たより」三十年の冊子を二人で請け負った。「たより」とは月に一つ出す20頁の総合誌だ。しかし「たより」に何か投稿でもしようかとした矢先、脳梗塞におそわれたわけだ。
Yさんのスピーチは英語で訴えるが、何をいうかはデモのときに日本語で語ってくれる。3人でやっているから、3ヶ月にいっぺんの気持ちで負担も大したことでもないと思っていたが、実際は大変だそうだ。昨日は夜3時まで掛かったという。
「気が重い」といいながら「私がやめたらグループを追い出される」と冗談をいう。
スピーチは同じことを言うといって、cvn no を繰り返した。
2012-03-19
近頃は午前中、天王町―保土ヶ谷駅を歩いている。家を出て700メートルくらいで天王町駅、それから800メートル歩いて保土ヶ谷駅付近に着く。ここでやめれば往復3キロだが、帰りを松原商店街まで行くと4キロになる。
天王町から保土ヶ谷駅はずいぶん変わった。駐車場が整備されていたのが、白い金網で区切られて入れなくなっているのが2箇所、保育園とマンションだ。同時にスタートか。
帰りは道路の向こう側を歩く。白い覆いをかぶったマンションに、これは駐車場の工事か、そのまま天王町の駅に着く。そこから狭い道を行って国道の交差点を渡れば松原商店街だ。
松原は安いが今はほとんど買わない。商店街のスーパーで済ます。スーパーでは千円札と、百円十円玉の入る大きなサイフが便利だ。これ以外に一円玉が入る小さいサイフを持ち歩く。この場合百円十円玉はどのように出すのか不便を被ったが、今は慣れている。
今日は松原で何も買わず、家まで急ごう。
2012-03-09
今日は8時半ころゴミと傘を持って下のゴミ置き場に行った。傘を持っていったのには訳があって、天気予報を信じたのだ。雨の本番は昼過ぎだが、10時ころからはポツポツ降るという。ゴミを出して、まあこれから3キロというときに突然降ってきた。ポツリという雨だ。せっかくの傘もやはりまずいかもしれない。
18,19度という日もあったが、そんな日は例外で寒い日が多い。それに雨だ。今日は思い切って歩こうと思ったがヤメにしよう。
寒い日はコタツに入って読書でもするか。本棚を見渡して2度目の本を読んでいる。今は「ロシア農民生活誌」。20年前の本だが2500円と高い。スターリンと農民の闘い。結局、意気地のない農民の何にもない、何でもない生活を描いている。もうすぐ終わりだが、革命後20年前半の熱気はどこにもない。
岩波の白版、青版も数は多くないが、2度目はもうそろそろおしまいだ。次は何にしようか、本棚を見るのが楽しみだ。
2012-02-23
2月の月例デモは26日だ。1月はあまりにも寒いので休んだ。こんな寒さは異常で、連絡する人にオーケーをとった。彼女は、無理をしないでまた来てくださいといった。
デモはピースバンドをメインに、後は好き好きに歩く。その間に自衛隊総監部でのアピール、米軍ゲート前での英語スピーチ、それに駅前商店街をその月にあった言葉で訴えて、1時間で終わりだ。
実は1月は寒いのはいいとして、休みを取る必要はなかった。なぜ休みを取ったのか。いやになりかかってきたのだ。足の運びが悪い、右手の自由が利かない、これらが重なって、もういい、2月は2月で考えようという気になった。
足や手の自由が利かないことはデモに大きなハンデとなる。大きなデモではいるかもしれない。小さなデモでも車椅子の人はいるだろう。彼らはそれなりの考えがある。しかし私には手足の不自由なハンデを強いて考えなかった。
これが重荷になったといえよう。
2月のデモが近づいてカレンダーを見ると26日は最高気温が9度だった。2月も1月と同じで寒さで休もうと思った。ところが気温の変化が激しくて26日は13度となっていた。これで1月と同じとはいえない。
なぜか。考えた。考えに考えてフウーと思った。2月はやって、3月はどうするかはそのとき考える。月例デモでも入る入らないは自由だ。毎年10月に横須賀の公園でピースフェスティバルが開かれる。昨年は休んでしまったが、これも参加は自由だ。
気楽になれるだろう。
2012-02-18
リハビリの先生は私の右手の親指にできた小さな斑点について、大丈夫ですか、血が流れていませんか、決して怪我せず大事にしてくださいといった。先週は絆創膏を巻いていたから気がつかなかったが、今週は絆創膏を剥ぎ取っていたので気がついたわけだ。
病院を出てひょいと斑点をいじってみたら、小さな汚点がすっかりとれて治っていた。これで安心と思った。するとしばらくして右手の親指がジャンパーのチャック部分にあたって赤い斑点ができていた。前の点から少しずれている。
前と同じように斑点がチャックとあたると痛い。昨日治ったのは2週間かかったから、1週間はあたると痛いだろう。痛まないのもリハビリだ。
2012-02-10
最高気温が1桁だとやる気がうせる。2桁になるまで休もうかと思っていたが、2月も中ごろになっても1桁が続くので晴れの日を選んで思い切って歩いた。午前は2キロ、午後は4キロだ。
気温は低くても歩いていると熱くなる。特に午後、暑い日を浴びていると気温はとっくに2桁になっている感じだ。家へ帰るとランニングシャツとその上の長袖シャツが汗びっしょりだった。
歩くときの格好は上に書いた2枚のほか、セーターと防寒コートだ。こう書くと熱そうだが、セーターを取れば寒いし、防寒コートを取れば走るみたいに思える。しばらくはこれで、寒さがじょじょに過ぎればセーターを脱いで、そのうちにコートも脱げるだろう。
午前も午後も4キロずつが目標だ。
2012-02-02
女の先生が入る前の、以前の男の先生に戻った。まず私が「女の先生は1月で辞める予定であったのですか」と聞いた。すると男の先生は「そんな予定ははじめてです」と心外そうなそぶりだった。
はじめのころ、すぐ時間が来てしまい次の足の先生に時間を融通してもらったこと、次の週は言語の先生に融通してもらい、そこで二人の先生から11時までの時間を厳守するようきつくいわれたことを私は思い出した。きっといずらかったのだろうと思った。
3ヶ月のうちに辛いこともあって辞める決心をしたのだろう。それはそうとして患者はどうなるのか。先生はわからぬことが多い。
男の先生は最初に熱湯をボールにいれて持ってきて右手の手首を暖めた。これだけは女の先生のまねだが、あとは従来どおりのやり方だった。それでいい。まねしても無駄だ。おもいどおりやってくれるだろう。
2012-01-26
最後のリハビリは、空いているベッドが1つもなくなって、しかたないから椅子で行った。大きなタオルを左手で取ってそれを8等分まできれいに整頓する。今度は右手で同じようにするというのだ。しかし私の左手があまりうまくいきすぎ簡単にできてしまうので、折り目をもっときちんとするというのを課題にだすくらいだった。
左手の訓練じゃあるまいし、どうということじゃないと思った。そこをなんとかやって、右手で試みた。なかなかできない。先生はできるはずだ、肩に力をいれないといって辛抱する。タオルの一折目ができたくらいだった。
先生にさようならをいった。つぎの足の先生が来たときベッドが空いてきたので、ベッドに横になった。そしたら辞めてゆく前の先生が隣でリハビリをやっていた。
2012-01-20
やめてゆく女の先生になぜ近所の病院に行くのか聞いてみた。
「私の得意は脳血管が細胞に与える病気を治すことです。あなたと同じ病気ですが、脳の病院に近い専門病院です。そこでもう1度やってみたい」。
私はあなたもどうですかといわれると思ったがそれは遠慮しているようだった。でも遠慮をしていない様子かもしれない。それは分からない。
彼女は鹿児島大学の先生のように腕の脈をみて直すという方法ではないようだ。患者の信念を待つというか患者一人一人の様態を見極めて治すらしい。私は彼女に任せたい気持ちと前の男の先生に任せたい気持ちが半々あるが、男の先生に任す気持ちが強いような気がする。鹿児島大学の先生のような方法は強いに違いないが、今は遠い話だ。
女の先生は咳をしていた。まっさきに「私は喉の病気です。うつることはありません」といった。辞めてゆくのも大変だと思った。
2012-01-15
いま手のリハビリを受けている女の先生が1月で交代することになった。3ヶ月目でリハビリ病院を退職し、そんなに遠くない病院に行く。
3ヶ月前、今までの男の先生と代わってきたときは要領がまるで違って、やりおえたリハビリの運動が忘れられるのではないかと心配したものだった。男の先生は決まったリハビリをやって今日はいいとか悪いということを教えてくれた。しかし女の先生は次々にリハビリをやっていった。だからちよっと復習してくれよと内心では思っていたものだ。
あと2回でどうできるものでもないが、また最初の男の先生は彼女のやりかたを復習するのだろうか。彼女はちゃんと男の先生にもやりかたを伝授したといっているのだが。
2011-12-30
リハビリの先生は、少し程度が速いかしら、といった。私もそう願っていたからもってこいだった。目をつぶって指を盤上の積み木にのせ、ひとつひとつ取っては袋に入れるのだが、積み木を取るとき右手の親指がなかなかひとりぽっちに離れず、積み木を取るのに苦労する。そこを指摘したのだ。
どういうことになるのかこれからの楽しみだが、むずかしい話しよりもやりやすければいい。
歩きのほうは気温が10度を切ってはお休みだ。昨年はどうしたか忘れてしまったが、今年は休みで来年は1月に何日かは歩ける日があるだろう。
月例デモは12月25日でおしまい。来年は1月29日だ。
今年は何とか歩きに元気を持ちたかった。しかしまだまだだ。マンションの入り口にあるドアーに自分の姿を映しても、偏った足がすぐ目に付く。来年はなくしたいものだ。
2011-12-12
右足の小指に血まめができてきた。
血まめになる前は恐る恐る運動靴に足をつっこんでいた。足が小指の側面に当たらぬように気をつけた。しかしどうしても当たってしまう。血まめになってひとまず安心だ。
小指のふくらみに血まめができて、もうこれでいいよといっているようだ。タイムは同じだがこれからは更新したい。
2011-12-03
リハビリの先生は私の手に、出来てます、いい感じですという。私はそうかなと思うが、先生のいうことだから正しいだろう。前の担当の及川先生がきたとき、先生は及川さんの前で私の手を自慢した。今までのステップを振り返って誇りに思う点を説明したかったのだろう。
及川先生はなるほどと聞いていた。しかし、手と足の名医だといっても、たかが45分にもみたない診察で医者の見解がわかるのだろうか。寒さを前にして大きなバケツを用意して大変だ。そのとき前にやった練習をしてくれるといい。
でも次の練習もほしい。どんどん新しい練習をするが、もう少し待つとするか。
2011-11-22
2キロを27分25秒で歩いた。それはいいのだが、右足の小指が痛む。傷をつけないように親指に力を入れようとするのだが、それは無理だ。2,3歩で元に戻ってしまう。
500メートルぐらいで小指の痛みも忘れて4キロを完走する。これを繰り返しだが、靴下をぬぐと真っ赤に腫れている。しかし家にいるときは小指を使わないからなんともない。
ただし風呂から出るとき注意しても、それが及ばないときがある。風呂場の入り口が一段高いため、たまにぶつかるのだ。この痛さは並ではない。しばらく痛みがおさまるのを待つだけだ。
1ヶ月は小指が痛んでいる。そろそろ指の中に痛みが引いてくれるといいのだが。
2011-11-12
新しいリハビリの先生の2回目は11時からの分も先生が受け持って1時間行った。今日はすべて私を目隠しし、手のひらの感覚を養った。
目隠ししているから目の前にどんな用具が置いてあるか分からないが、軽石のような軽いものを取って落としてという練習、どこに置いてあるか分からないおはじきを探り出し、それをまっすぐ前に落とす練習などだ。
練習が終わったとき目の前にいろんな機材があったが、使ったのはたしか2,3種類だ。簡単に終われば4つや5つもできただろうが、初めての器具なので時間が掛かったのだろう。
2回終わって感じることは進度がはやいと思う。いろいろやるのはいいが、次の時間にも入れてくれないと脳が忘れてしまうのではないか。たとえば1回目の、腕を振って後ろから手を押さえて前に行かない練習はリハビリにはいいと思うが、その感覚を忘れないように工夫が欲しい。
とはいっても、私は素人だから先生がやりたいことをやってほしいと思ってしまう。少し我慢してみようか。
2011-11-05
手のリハビリの及川さんが休みのとき代わりに来た長富さんが、新たなリハビリの先生になった。彼女は1回限りの先生ではなく、先月の最終週に今後の薬をもらうときロビーで一緒になって、いろんな話をしたあと手を見せてくださいといった因縁がある。
彼女がリハビリを終わって患者を病室に運んでいるあいだ、及川さんが長富さんとの話し合いを説明し、決して逃げるわけではなくいつもリハビリルームにいて、特に食べ物について話を聞きたいことを述べた。
長富さんとの話し合いは、彼女が前の病院で手の回復に大きな成果をあげた点を評価したという。私は及川さんでずっと一緒にいたいと思っていたが、先日のロビーの話で最後に及川さんと相談してみるといったことが頭に残っていた。だから長富さんの主導で話が進んだだろう。私はOKした。
初回の日、私の手の状態について質問をするのだと思っていた。ところが彼女は私の体の中心をチェックし、小さな円から大きな円までの絵を私の手で描かせてそれを正し、今度は立って右手が後ろに来るように歩いた。それらは一つ一つが間違いを直して正常値にきた。
11時20分を経過していた。15分ころ次の先生が来て、もう今日はできないからいいですよといった。長富さんはそれが理解できていないようだ。リハビリが終了してあの先生はどこにいるのか探していた。私はこれでお終いだといった。私の礼を受けるとすぐに彼女は自分の患者がいる5階の病室へ慌てて飛んでいった
2011-11-01
2キロを28分10秒や20秒で歩いていたのだが、やっと27分55秒で歩いた。10秒や20秒がいかに大変かはマラソンでも同じだ。
今までは歩幅を大きめに取っていたが、今回はさらに大きめに取った。これだと1.5キロからは歩幅が落ちるのだが、最後の0.5キロを落とさずに歩いた。
2キロを歩いたとき30分を3分速めて27分で歩いたような感じだった。
今日はマラソンの人が多かった。よく考えてみれば横浜マラソンが近い。その影響だろうと思う。一緒に走ろうと思うのだが、あっと思う間のなく通り過ぎる。女性でも同じだ。そんなに速くはないのだが、現役には勝てない。
2011-10-25
にんじんは洗って包丁で丸く切るか、皮を切って使う。皮を切るときはまな板の釘に差し込み、100円shopで売っている皮むきを使う。皮が切れたら一般の包丁で丸く切るか、縦に切る。今日は丸く切る。
さつまいもは洗って丸く切る。
たまねぎは1個を3等分して、その1個を使う。たまねぎの皮は3等分してあると楽に取れる。頭と尻尾が残るがこれも簡単だ。そして縦に4等分くらいにわける。
フライパンにサラダ油をしき、にんじんは真ん中に、さつまいもをその周囲に、たまねぎはにんじんの上において弱火で暖める。できあがったら大皿に取る。
次に緑色野菜。ほうれんそう、しゅんぎく、ピーマンにする。ほうれんそうは足を切り取りいくつかに切る。しゅんぎくも同じ。ピーマンは足を切ったら4等分する。この3種類をざるに取り3回洗う。
これをフライパンにいれ、熱い火で炒める。炒め終わったら皿に取るのだが、今日はにんじんなどの大皿を半分にして、残りの半分を緑色野菜にする。緑色野菜の部分には瀬戸内海のちりめんを掛ける。
さんまは二つに切ってフライパンにいれる。中火にして両面焼いたら皿に取る。
大豆を煮たものは小皿に取る。
ごはんを出してアミをかける。できあがりだ。
食べる時間は25分から30分。
なかなかうまそうだ。
2011-10-20
2キロを28分10秒で歩いた。
このような速さなら女性に軽く追い越される。女性も年を取ってくると12分くらいだろうか。あれらの女性にはかなわないと思うのだが、いつか12分で歩きたいものだ。
1キロ14分ちょっとの歩きはわき目を振ることはない。ただひたすら歩くだけだ。横断歩道で左右を確認する。それはほんの少しだけ。両眼に車がいなければ歩道を直進だ。車がいれば手を上げて車の停止を待つ。待つのはこの時だけだ。
足の痛さは感じない。2キロ歩いて、足はどうだったかなと思って上から見るが、歩き終わってみるとなんでもない。歩いているとき夢中だから痛みを感じる暇がないのだろうか。
右足の親指が人差し指と触れあうか、あるいは親指が勢いよく靴に当たって親指の爪がさらに死ぬか、おそらくこのようなものだが、右足に触れる、死ぬという感覚は見当たらぬ。結局夢中で歩くという感じは痛さにはつながらないものだろう。
帰りは0.5キロから1.5キロまで1キロを14分20秒で歩いた。歩き疲れというものがあるだろう。これも14分で歩かないといけないか。
2011-10-16
いつのまにか大皿に何でも入れて食べる癖が出た。
たとえば今までのはこうだ。にんじん、さつまいも、たまねぎを炒って大皿に入れる。なす、ピーマン、小松菜を鍋に醤油を入れて少し煮て、別の皿に入れる。それにトリを炒めたのを皿に取り、あとは豆腐とわかめを具にして味噌を入れる。だいたいそんなものだ。
ところが上のものは一品と味噌汁だけになった。
なぜそうなったか。にんじんなどに、なすなどを炒め、それにトリを加えるのをいっぺんにやると時間の節約になる。もちろんうまい。
これはたまにはいいかもしれない。しかし癖になる。最初に書いたように別に入れるほうがいい。なす、ピーマン、小松菜を同時に入れなくてもいいかもしれない。なすは醤油と砂糖を入れて煮ればいいだろう。
にんじん、さつまいも、たまねぎはセットで炒めるのにしてあるが、これを止めると次が出てこない。これはそのままにしておこう。
2011-10-13
バスに乗ると右半身あるいは左半身が不自由な人を見かける。脳梗塞を患っている患者だ。本人は気長な旅で、人から席をゆずられてもすいませんと言って座っている。もっともバスの前の方の席は老人を除けば空いている場合が多い。
私はバスを降りて、駅ではない側、すなわち積水ハウスの前に立ち小さな病院行きのバスを待っていた。すると通りの向こうに片半身不随の患者が歩いていた。彼が右利きか左利きか分からないが、リュックサックを両肩に背負っている。さっそうと歩道を歩いていた。時折リュックが右肩から滑り落ちそうなのをその場で直している。
彼はあるビルの階段に差し掛かった。この階段は外からでも見える構造だ。彼はちょっと考えた。それから階段を上がった。右側に手すりがあったらしい。よろけて手すりを取って身を支えた。また手すりを離した。これを5回ばかりやって頂上に上がった。
私は彼を見て、なんて私に似ているのだろうと思った。歩道と階段は私のほうが上かとも思った。そしてバスが来て歩き始めたとき私は気がついた。私には足首さえ満足に動かせないんだ。
人には他人のからだを批判する自由はある。そのとき自分はその人より上か下か、それを知っておくことが大事なようだ。
2011-10-07
右足はほとんど痛まなくなった。2キロで28分30秒。まずまずの記録だと思う。
前日雨が降った。にもかかわらず午後みなと赤十字病院へペースメーカーの診断のため行った。帰りはびしょびしょの雨に変わった。
バスを降りてみなと赤十字病院までの1キロを15分ばかりで歩いた。一緒にいた下の娘が、歩くのが早いねといった。帰りはそばやに入り、イトーヨーカドーの中を巡ってバスに乗った。バス停で降り、暗いなかを家まで1キロを15分くらいで歩いた。後ろを振り返り、よく歩いたものだと我ながら感心した。娘がハンカチを取り出し、上着がびしょ濡れだよと拭いてくれた。
2キロを28分で歩くのはたぶん達成できるだろう。
2011-10-04
20日くらい前だったろうか、右足の親指の爪がねずみ色に変色しはじめた。親指がそれほど強く靴の上部に掛かっているわけでもないが、押すと痛みがある。歩くとき右足をていねいに出して痛みをおさえた。
親指の感触が痛くてしようがないというほどでもなく、歩くには歩ける。家にいるときズボンは親指にふれないようにし、寝るときは親指を毛布に当たらないようにした。
速さは1キロ15分を基準にして、3分から4分くらい掛かった。
親指の爪が死ぬと新たな爪が小さく出てくるが、そこまでは先が長い。今は15分に30秒くらいだ。
2011-09-26
3年前の9月25日朝、原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀港に着岸した。それ以来ジョージ・ワシントンは横須賀を母港として、太平洋上で大規模な訓練を行っている。また横須賀ではあまり見ることはできないが、日本にいるときにはいつも80機にもおよぶ艦載機を大島付近から厚木基地に運ぶ。原子力空母と艦載機は横須賀と厚木基地をダメにしている、そう思える。
今日9月25日、横須賀ベルニー公園には午前中に社民党系が1500人、午後共産党系が4500人、集会とデモを行った。残念ながら私は右手と右足の不調から参加できず、その日の4時に40数名が集まり月例デモを行っただけだ。
社民党も共産党もそれなりの抵抗力をもっている。一方4時に集まった40数名は今年最大でもあった。最小は先月の22人。この倍の、40数人という数はジョージ・ワシントンの存在をなくしたい人たちの気持ちだっただろう。
ジョージ・ワシントンは日本に来るには手続きが曖昧だった。それを政府はアメリカ軍のいいなりに補った。今年の大地震と津浪でジョージ・ワシントンは一度はビビッたはずだ。この経験はジョージ・ワシントンを日本の沿岸に置けないことにならないか。月例デモだけでもしようとする私の話だが。
2011-09-20
忍野八海へ行った。おしのはっかいというらしい。友達の車で、東名を通り御殿場からおりて行ったのだが、この富士山へ向かう道路が込んでいた。途中で雨が降り出してはまた止んで、山行きはこんなものかと思った。
山中湖あたりは晴れていたが、富士山はどこにあるのかと言った調子。ボートが波打ち際にぷかぷか浮いていて、湖を見ると波が大きいようだった。家族連れも遠慮するのだろう。
忍野村はその先にあった。八海といっても小さな湖のようだからボート乗りには適当かと思った。駐車場に車をとめて案内図を見ると八つの池のようだ。一番大きいのが何とか池で、10メートル四方。これが真ん中にあるのだから、ボートなどあったものではない。
八つの池を巡った。巡ったといても歩いていくだけだった。どこを見ても中国語と韓国語の看板があった。池の案内のほかポイ捨て注意のがあっておもしろかった。富士山を思い出して空を見上げたが、これも雲におおわれてどこが富士だかわからない。富士がなければこんなものだろうか。
帰りは渋滞なしで4時ころ家に戻った。
2011-09-15
2キロを29分45秒で歩いた。帰りはちょっと時間がかかったが、まずまずのペースだと思う。
あまり足に気をつけるわけでもないが、靴を見ると左足の親指の部分上部に穴があいていた。右足の踵部分に穴があく時は、靴底をみせてあれっと思うほど大きな穴をみつけるのだが、左足上部に穴があくとは驚きだ。
なぜ穴があくのだろう。左足を酷使するわけでもなし、理由がわからない。歩くのをやめるとき右足で左足を蹴って脱ぐのだが、その蹴り方がオーバーにしているわけでもない。今後左足をよくみたいと思う。
いずれにしても靴の左足に穴があいても歩くのに支障があるわけではない。右足が勝負だ。
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