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2022-06-06

雑草かりはいつか

雑草除去はいつになることか。去年は年に一度しか行われず、九月の末か十月の始めだったように思う。その前は年に二回だった。

2022-05-27

うっそうとした森(3)

左側の桜は大きな葉っぱにおおわれていて、桜の葉の思かけもない。庭は2メートルはあろうかという草といろいろな雑草が生えていて、全体として森と草がひしめきあっている。

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2022-05-19

うっそうとした森(2)

木々の森ともう1メートルは超えている雑草、見るに耐えない姿だ。写真の左端に白いものが見えているが、去年からぶら下がっているつるのかけらだ。その右側に白く見えるのが今年の大きな葉っぱ、そのうち全体を覆うだろう。写真の右側にある木はハナミズキだ


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2022-05-07

うっそうとした森

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私の部屋から見える庭はうっそうとした森のようだ。左から右まで緑に覆われいる。冬なら見通せた木々の間の遠景も今は全く見えない。正にうっそうとした森である。ただ残念なことに枝のようなつるが木々の表面を被っているのだ。ベランダから木々までの地面も草が1メートルほど背を伸ばし全く見るほどもない。

2022-04-07

残りの桜満開

机から見える桜は細い枝のようなもので見る影もないが、ちょっと目を右に向けるともう無残に消えてしまった桜の木があっという間に満開になっていた。いつかもしれない桜だったのに。いやまったく驚いてしまった。
緑の葉の隣にまっしろな桜だ。その桜の下に葉が真っ赤に染まった木、隣に二十個ぐらいの花をつけている椿の木、そして庭のはじっこに植えてある花みづきの枝に芽吹いている可憐な花、これらは奥深い景色だ。

2022-04-02

桜散る

おおしまざくらはてっぺんの枝を花にかえる前に、全体が散り始めた。左右のヤマザクラももうちるころだ。右隅のヤマザクラも花にかわることもなくおしまいだ。枝のようなものがてっぺんから垂れ下がっている。他のサクラもすべてそうだ。今年はこれで終わりだ。

2022-03-28

背が高いヤマザクラ

おおしまざくらは八分咲き、ヤマザクラは六分から七分咲きになった。おおしまざくらの右側に一本背が高いヤマザクラがあって頂上近く枝が二つに分かれている。そのヤマザクラが五分咲きになった。
枝のようなものがさくらのてっぺんから覆いかぶさっている。見た目にはサクラの花が台無しだ。何とか取れないものか。
さくらはもう一つある。おおしまさくらの右隅だが、今は開花には程遠い。ひょっとしたら頂上から垂れている枝のようなものが原因かもしれない。

2022-03-26

やまざくら

昼ごろヤマザクラを見たら開花していた。おおしまざくらの左側の桜だ。一枝、二枝に5,6輪のさくらがでていた。もう明日には二分、三分咲きになっているかもしれない。
おおしまざくらも五分咲きになっていた。葉っぱはさくらのまんなかにちょこんとついていた。

2022-03-23

おおしまさくら

3月20日に東京でソメイヨシノが開花したと発表されたが、3月22日にわが家のおおしまさくらも枝の上に5輪のさくらが咲いていた。暖かい日が続けばさくらが満開になるだろう。葉と花がマッチしている。
おおしまさくらの左右にあるやまさくらは1週間もすれば花が咲くだろう。

2022-03-16

桜前夜

桜前夜

サクラもそろそろだが、今年は気にかかることがある。桜の木全体に靄のような細い枯れ枝がかかっているのだ。サクラの花に大きな影響を及ぼすと話に聞いていた。枝の蕾がかわいそうだ。一週間もしたら咲くだろうが、どんな具合だろう。

2021-11-30

裏庭がきれいに


1年以上もほったらかしにしていた裏庭がやっと庭師によってきれいになった。雑草が高さ3メートルにも達し猫も入れないジャングル状態だった庭が地面をあらわした。見ている方も肩の荷が下りたようだ。しかしよく見ると向こうの垣根のふちが雑草に覆われていまいちよくない。庭師は二人とも60代の人で根気がなくなったのだろうか。それはそれとしておじさんに礼をいおう。

2021-08-29

足が腫れた

脚が腫れた

2週間くらい前から足が腫れてきた。左足がひどい。水ぶくれが腫れたようだ。患部に軟膏を塗って包帯をしている。最近足の具合がよくなっているみたいだ。写真を添付する。





2021-07-12

口の開け方

口の開け方

月曜日のリハビリの人が、私の言葉のしゃべりがうまくないと感じていたのだろううちのところに言語の専門家がいるといった。私の方ではもっとうまくしゃべれないかと思っていたので言語のリハビリの人を紹介してもらった。最初だから二人来てくれた。
言語のリハビリの人は好青年で、私を相手に口の開け方や喉の使い方をやってくれた。私は水曜日ならいつでもいいと思っていたが、週に1回だと何か都合がよくないと向こうがいった。ケアマネージャーと相談したいとのことだ。いずれにしても隔週なら問題がないそうだ。
言語の問題とは関係ないが、突然歯が痛くなった。歯医者に来てもらったが虫歯の根もとが腐っているので大きな病院に行って手術してもらった方がいいという。そこで土曜日に病院に行った。医者は上の2本と下の1本が悪いので来週の金曜日に抜くといった。
上の歯は腫れているので、薬局に行って治療薬を飲むようにいった。抜くのは麻酔を使うので痛くはないらしい。口腔外科は平日なら混んでいるのだろか。

2021-06-13

エアコン


エアコン

今週の始めにエアコンが来た。朝早く電器店のおじさんが来て、腰に様々な用具をぶら下げ、エアコンと外につける機器を部屋の中に置いた。エアコンと外の機器をつなぐ配線に時間を取られているようだった。1時間45分ぐらいだろうか、新品のエアコンが完成した。
エアコンが来た次の日は30℃を超える暑い日だったので、朝からエアコンをつけた。26℃にして、15時に切るようリモコンを設定した。6畳二間とリビングを開放しておいた。ちょうどいいようだ。

2021-05-29

『愛を読むひと』 

『愛を読むひと』

今回パソコンでこの映画を見たが、もっと前はテレビで見たような記憶がある。しかし15歳の少年と40歳に近い女性が、会うたびに裸を見せるという映像が必要かどうか、私には疑問であった。ところが後半のナチスの裁判が登場すると、そのような疑問は吹き飛んでしまった。
『愛を読むひと』は市電の車掌をしている女性が、彼女の熱心な態度を評価されて事務職に栄転したことから物語が始まる。一方少年は道路上でからだの具合が悪く、女性に助けてもらった縁で関係をもつようになった。少年が必要以上に女性のからだを求め、女性は全く一人の女として少年を利用してゆく。
彼女のアパートは二部屋である。台所の隅にバスタブが置かれていた。1950年代の話だ。私には非常におかしな感じがした。一人部屋なら可能であるが、二人世帯ならどうなるのか。少年の目から見てもおかしな感じがしたであろう。そんな部屋のベッドで少年は女性の願いで学校の教材から彼の好みの本を朗読してやった。
ある日、女性がアパートを出て行った。部屋を訪ねた少年には突然のことだった。私から見てもどうしてそうなるのかはっきりしない。彼女の特別な事情があるのだろう。そして3年がすぎた。彼女は反ナチの裁判にかけられる。
少年の気持ちはどうなのか、彼女がナチの関係者だとは全く気付いていない。それどころか『オデュッセイア』や『犬を連れた奥さん』などの本を朗読してあげている。裁判の傍聴席で少年の顔が涙でにじんでいるように見えた。彼女は必死に自分を正当化するが、多くの人々を収容所に送ったことを認めざるをえなかった。
この裁判の過程で知りえたことがあった。彼女は文盲だったのである。監獄の部屋で一つ二つと文字を追っていた、少年は判決の後、何冊かの本を届けていた。彼女の部屋には分厚い本が並んでいた。こつこつ読み込んでいたのであろう。20年後、彼女は自らの身を知って自殺した。

2021-05-03

四か月ぶり


リハビリの専門員が私を外に連れ出した。まずスリッパから靴に履き替えなければならない。車椅子に乗ったままうろうろしていると、専門員が手助けしてくれた。玄関に立ってドアを開け外に出た。何と四か月ぶりだ。目を左にもっていくと木々が新緑に映えて全く美しい。右側の1号棟の外れへと続く通路も何ともいえないおとなしさがあふれている。私の三軒隣の部屋は人が住んでいなかったが、今は入っているようだ。Hさん、Sさんも相変わらず自分の部屋に入るようだ。左の杖が重々しく、右足がきつくなりはじめた。
一号棟は1から17室だが、中央のところにポストがついている。私が止まるのも当然だと思って足踏みしていると、専門員はここまでですかと言って、15分30秒かかったという。四か月前は10分だった。こんなものかな。それより外を歩いた心地よさだ。帰りは15分だった。

次の日は専門員の言葉にそって休みにしたが、その次の日は朝早く起きて外を歩くことにした。車椅子に乗ってスリッパを靴に履き替えた。車椅子のままじゃ立てない。靴箱のふたを少し開けて手をそこにおき、反動をつけて立ち上がった。それからドアを開けて外に出た。まっすぐ前を見た。この通路を行くのだと心に言い聞かせた。ポストまで14分だった。それから小さい坂を上った。普通なら中央口から表に出るのだが、中央口を止めて通路をまっすぐにした。そしてエレベーターの前でUターンした。小さい坂を上るのが一苦労だった。帰りは13分30秒だった。

それから毎日少しずつ行き先を延ばし、今ではエレベーターの前から数えて四つの部屋の前に来ている

2021-04-20

足の状態

足の状態

月曜日のケアの専門員が、そろそろ外に出てもいいのではないかといった。彼はベッドで足と手の運動の練習をしているのだが、一通り終わると私を起きるように言って歩行器でテレビの椅子から洗面所の手洗いまで行かせる。その運動が大分安定してきたので外へ歩くことをいいだしたのだ。ただ歩行器で歩かされることがメインなので木曜日のケア専門員にいってほしいといわれた。
木曜日のケア専門員はベッドが主だ。手足の運動が終わるとベッドに座り姿勢を正して立ち上がりの練習だ。彼に話してみよう。
そういえば昨日ケアマネージャーがきて印鑑を押すよういわれたが、彼女が帰るときドアの新聞受けの小さな鍵をかけて行った。私はその後夕刊を取りに行ったが、何といつもちゅうぶらりんになっている蓋が閉まっていたのだ。それには苦労したものだ。彼女に言っておこう。
さていつから外に出られるか。

2021-04-13

桜は散った

桜は散った

オオシマザクラは散り、ヤマザクラもすっかり散ってしまった。そのかわりハナミズキが白い花をつけてほぼ満開になった。それに薄赤色の花が二輪咲いている。大きさはサクラどころではない。バラのようだ。普通なら枝が見えるのだがこの10ヶ月庭の手入れをしていないのでまるでわからない。
市営住宅も新年度になったのだから早く雑草刈りをしてもらえないか。セイタカアワダチソウのような雑草がまだ2メートルを超えて幹だけがニョキニョキたっている。
庭の白い柵の左側に小山のように草が生い茂っているが、そこにも幹だけが数本天に届くように生い茂っている。
葉桜と花水木をめでるのに少し邪魔だな。

2021-03-29

春の嵐

春の嵐

ヤマザクラが開花し今や八分咲きをこえて、満開でる。オオシマザクラとならんで見事なものだったが、28日の風雨でオオシマザクラは見る影もなかった。今、ヤマザクラが満開の花を競っている。

この写真はオオシマザクラが満開の姿だ。右側のサクラがヤマザクラである。私が撮ったのではない。娘に撮ってもらった。
右側に赤い花が九つ十と咲いているのが山茶花である。


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2021-03-24

サクラサク

サクラサク

サクラが一輪咲きだした。16日のことだ。ソメイヨシノは15日に一輪咲いたと東京ではいっている。ピンクの花だ。この庭のはずれにあるサクラはオオシマザクラといって真っ白い花である。翌日にはちらほら咲いている。開花だ。
オオシマザクラはもう一つある。18日に一輪咲いた。19日には開花だろう。満開も早そうだ。

オオシマザクラの右側にヤマザクラがある。23日に開花した。3本ある。満開がもうすぐだ。

2021-03-08

春の訪れか

春の訪れか     

この前紹介したベッド、車いす、歩行器を写真でブログに移そうとしたが、うまくいかなくて残念なことをした。あれこれ考えているうちに外を見ると、桜の木のあちこちに伸びている棒状の枝に、つぼみが並んでいた。
今日は三月八日だが、去年もそうだったか。いくら何でも早すぎる。今年は特別なのだろう。枝のつぼみはもうどこでも桜全体に散らばっている。開花はすぐそこだ。

2021-02-13

便利なベッド

便利なベッド

新しいベッドは前のベッドに比べると性能が段違いにすぐれている。ベッドのマットを敷いた平面は床上20センチから60センチと高低差をつけるこができる。もちろんリモコンでだ。一番高い60センチだと腰を下ろすというより立っている気分だ。私の場合は40センチにした。
ベッドには上半分だけ手すりがついていて鉄製の棒が縦と横にはめられている。そして中央の部分が浮くようになっていて120度はあけられる。この部分は縦40センチ横30センチの鉄製のいたという感じだ。普通は90度の位置で固定している。
ベッドの頭の部分が60度動く構造になっているが、私の場合は使っていない。
部屋の中は車椅子か歩行器で移動する。二つともベッドのそばにある場合、車椅子は机に向かうとき、食事を整理するときである。歩行器はトイレだ。これで転ぶという弊害はなくなったといえる。

2021-02-05

内山節の思想

内山節の思想

内山節は何度か私がブログでその思想を紹介した群馬県上野村に住む孤高の哲学者である。東京新聞に「時代を読む」というコラムを月に一度連載している。日本および世界の指導者の内面をえぐり出して庶民の力を大切にしてきた。今年1月30日に掲載された「時代を読む」は彼の哲学がまともに明らかにされていると私には感じられた。


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※画像はクリックして拡大できます。

2021-01-31

新しいベッド

新しいベッド

1月16日、ベッドから車椅子に移るとき、足を踏み外して畳の上に倒れてしまった。左手だけはベッドに組み込まれた幅30センチ高さ1メートルくらいの鉄の棒にしっかり握っていられた。そしてぎゅっと力を入れてみた。だめだ。からだが動かない。右足が効かなくて、右足を立てたり畳の上に寝そべったりした。午前3時半から4時半のあいだだ。
携帯が机の上にある。右足を伸ばして畳の上に落とした。それをからだの下まで来るよう何度もやった。そして右手の肩のところに来た。ベッドに組み込まれた鉄の棒につかまっていた左手をとうとう離して、携帯を掴んだというわけだ。5時半くらいだ。
娘に メールしても多分朝の支度だろう。6時半まで待とう。からだを半分だけ起こしてやってみてもやはりだめだ。そのうち時間が来たのでやっと連絡がついた。20分ぐらいで着くだろう。
3時半から3時間、左手は 麻痺しているみたいだ。娘が来て、私のからだをベッドに腰掛けてくれた。
この事件を契機に介護ベッドに変えた。今までは30センチの鉄の棒がベッドに平行になっていたが、新しいベッドではベッドに垂直になっているのがうれしかった。

2021-01-26

また倒れる

また倒れる

1月12日火曜日
「金曜と土曜」を今朝ブログで出した。iPadで書いたから訂正が多かった。今日は火曜日。iPadの練習のためにこれを書いている。
今まではyahooだった。これからはgoogleだ。それもパソコンではなく小さなiPadだ。yahooとは細かい点がちがう。iPadに入門するのが肝心だ。
木曜日手と足のリハビリケアが来る。10年前と似ている。手の専門、足の専門と分かれていた。でも身体の状態が全然ちがう。手足が動かないからだ。

1月16日午後2時テーブルを立って水道の蛇口に行こうとしたとき足を踏み外して転んでしまった。からだを動かそうとしていろいろなものが落ちてきた。どうしようもなかった。背中づたいに畳の部屋に 向かう。一時間くらい経っただろうか。ベッドのへりに来た。そこから机に 向かってあと一息 、左手を机の上に伸ばして携帯を掴み畳の上に置いた。そこで娘に電話したわけだ。
娘は台所の散乱した果物や食器をかたずけ一段低い位置に棚を作りなおした。
この事件を契機にリハビリが二人にふえたわけだ。

2021-01-12

金曜と土曜

2021年1月8日金曜日晴れ
朝8時ころYが来て洗濯機の洗浄をしてから椅子の上に溜まっている私の衣類を洗濯しだした。
9時半訪問マッサージ来る。終わりにベットから玄関まで歩く。この場面だけ一生懸命だ。マッサージ師はいいといった。訪問時間20分。
午後1時半訪問入浴ケア来る。風呂のドアは開けっぱなし。寒くはない。体重計に乗ったがエラーになった。ケアさんが乗ってもエラー。今日はやめにする。彼はくしの頭を手でかいだ。ケアさんの常識だという。訪問時間1時間。

1月9日
今日は訪問なしだから私の身の回りのことを書く。12月はじめ、シャワーから上がって体重計に乗ったとき何かのはずみでバランスを崩し(詳しくは日誌15*死の一歩手前」を参考にしてください)、転んでから私の一生が変わった。入浴ケアが一時間で週に2日、リハビリが一時間で週に一日 になった。今月中に もう一度ケアマネがマネージ会議をもつという。これにマッサージが 20分週に3回がある。
足の調子が悪く、歩く距離もゴミ捨て場まで100メートルがいいところだ。途中で、誰かが袋持ちましょうといってくれるのがうれしい。
昨日からこのブログを書いている。タブレットでだが、よちよち歩きで書き間違えると訂正がたいへんだ。乗り物のなかでスマホを書いている人がいるが、早くああなりたい。
コロナ渦で世の中は乱れているようだが、乱れている人々の中へ進んで入って行く、そのような人々がいるような気がする。コロナで陽性になってもそれほど苦ではないと思っているのではないか。しかしひとたび陽性になったら楽ではないだろう。私の住んでいる住宅では乱れはないようだ。
コロナで世の中が変わった。最初8月ごろに終わるものだと思っていた。結局元の鞘に収まるものと想像していたが、コロナ渦が一年にもなると昔のままでは通用しない。会社で働く人間はテレワークという仕事をどう評価するのか、考えるだろう。会社以外で働く人は環境を考えることに頭を使うだろう。いずれしても私たちは変えるという意識が大切だ。

2021-01-04

日誌19 & 次回からは


日誌19 & 次回から

今週はだめだ。明日からはきちんとする。

12月28日月曜日 うすら寒い

12月29日火曜日 朝7時半 中央玄関まで来て1棟の窓下を104まで行き、そこで引っ返し、家の入り口に着いた。 ゴミは休みだと思ったら、中央玄関のあたりで、今日はやってる、明日もありと二人連れの女の人が話していた。10時に娘が来たので、持って行ってもらった。

12月30日水曜日 朝から雨。午後には晴れる。

12月31日木曜日 今日は掃除して終わり。

21年1月1日金曜日 午前中、年賀状を取りに集合ポストまで行った。1枚だけだった。そのまま帰った。

1月2日土曜日 家でくつろいだといえる、か。

1月3日日曜日 さあ、終わりだ。明日からやるぞ。

2020-12-28

18 & からだの調子


日誌18 & からだの調子

 ごみ置き場に行こうとしても、何か行きたくない事情ができてしまう。その事情に納得する。引っ込みだ。一番いけない。

12月21日月曜日 久しぶりに中央玄関を通ってごみ置き場に着く。少し休もうかと思ったが、そのまま1棟の窓辺を歩いた。家に着いたのは1時間ぐらいかな。

12月22日火曜日  いい天気だが、歩かなかった。

12月23日水曜日  ごみ置き場に行こうとして113あたりまで行くと、Sさんが持って行きましょうと言って、私のごみ袋を持って行ってくれた。いつもならからてでごみ置き場に行くのだが、今日はそのまま家に帰った。

12月24日木曜日 運動はなし。

12月25日金曜日 新聞紙をもって中央玄関に行く。行きはよかったが帰りは苦労した。たとえば右に10歩、左に10歩という歩数が、右左3歩ずつとしか歩けなかった。あまりよくない。

12月26日土曜日 朝7時半 燃えるごみをもってごみ置き場に行く。最後のコンクリートに足を踏み入れた時、子供ずれの女の人がゴミ袋を持って行ってくれた。助かった。私は1棟の窓下を歩いて行った。

12月27日日曜日  からだの調子が良くない。

2020-12-07

日誌15 & 死の一歩手前


日誌15 & 死の一歩手前

12月3日は忘れない日だ。死とまではいかないけれど重大な肺炎に罹っていた、そんなことは確かだろう。しかしもう忘れてしまう。
午後2時シャワーを浴びた。浴室を出て、向きが反対側なのでからだを入れ替え、左はずれにある体重計にのった。左手で柱にからだを支え、右足を体重計にのせたまま左足を体重計にのせたその瞬間、からだが1回転して見事に倒れてしまった。
衣類は、からだの上部につけるもの、つまり長そでシャツと色柄シャツは浴室の右側にある洗濯機の上にのっている。ちょっと無理だ。ズボンとパンツは体重計の隣にあるので、これは助かった。パンツとズボンは身に着けた。
からだの正面全体が天井に向いている。一年前、この場所で椅子に座ろうとして倒れてしまった。死んだ女房が一緒だったが、女手に男のからだを触るのは到底無理だった。私は壁沿いにからだを動かして玄関に行き、ドアの取っ手に腕を伸ばして何とか立つことができた。
今回も玄関を目指そう。ただ前回と違う点は壁沿いに車いすがあることだ。だからテーブル沿いに進んだ。腰が重い。何度やってもほんの1センチしか動かない。また数回動かして腰の動きは1センチ。相当疲れる。腹に力が入ったのだろうか、うんちが出そうになった。トイレはすぐそこなのにからだが動かない。しようがないのでパンツの中でしてしまう。ああ、ついでに小便も出た。
からだを動かし腰を1センチ動かす。1時間はやっただろうか。足が玄関の入り口に着いた。あと一息、玄関の隅にからだをつける。腕をドアのノブに向けるが、腕が届かない。何がいけないのだろうか。腕どころか、足も玄関の横の低い扉に食い込めない。ここでしばらく休憩だ。
何度か試みて腕をドアのノブに繋いだ。ところが腕をドアのノブにいくら力をこめようと腰が動かない。何度やってもだめだ。仕方がないので来た方向と反対に、頭をドアの隅に、足を部屋のほうに向けた。夕刊が来た。4時40分だ。今度は玄関の扉のはずれにある小さな台に腰をのせられないか、やってみるが、やはりだめだった。
力が尽きた。昨日出さなかったプラごみを頭にのせてからだを横に投げ出した。どうしたものか。朝の8時半に娘が来る。それまで死ぬことはないが、風邪をひくだろう。肺炎になることもある。からだの位置を変えてみようとしたが、もうどこも動かない。パンツとズボンは履いているが、上半身は裸だ。しばらくしたらからだを動かせるかもしれない。
その時、Tさんと男の声がした。ああ、助かった。私は寝たまま男に事情を話した。男は薬局の人で、午前中来てみたが留守なのでこの時間に来たという。私は本当に感謝した。男は娘に連絡を取り、30分もしたら姿を見せるから私はもう1軒用事をこなしそれからまた来るといった。
娘が来た。私の上半身を見て、衣類を着せた。そのうち薬局の男が来て、状態はいいようだがとりあえず医院やケアマネに連絡するといった。男は帰ると、娘は私の世話をした。私はトイレに入ると、パンツや足、トイレカバーがうんちで濡れていた。トイレから出ると、娘が後始末をした。
次の日、ケアマネから連絡を受けた下の娘は、ケアマネと相談して、玄関の外側に暗証番号の入った鍵箱を取り付けた。

11月30日月曜日 1日風

12月1日火曜日  小雨

12月2日水曜日 小雨

12月3日木曜日  曇り

12月4日金曜日 曇り

12月5日土曜日 小雨  

12月6日日曜日 小雨

2020-11-23

日誌13 & コロナ禍


日誌13 & コロナ禍

世界で5000万人、アメリカで1000万人、日本で10万人ちょっと。さっき久米ねっとで言ってた。日本は多いのだろうか、少ないのだろうか。いずれにしても今日東京で500人以上が陽性だ。政府はgo to 何とかのイベントをどうするか考えている。はじめからやめたらいいのに。
連休で行楽地は人込みらしい。コロナにやられるか、無事帰ってこれるか。大変なもんだ。私は外といっても、団地の入り口100メートルまでだ。マスクをしたこともない。安らかなものだ。

11月16日月曜日 朝4時 便。 午前6時 中央玄関を通ってごみ置き場に行く。しばらく休憩してから1棟の窓側に下りて、家まで歩いて行った。
午前11時 玄関を出て左に行き、小さい坂を上って下りて家に帰った。
午後1時40分 訪問マッサージ来る。

11月17日火曜日 朝6時半 燃えるごみをもって玄関を出て少し行ったところで、1棟のSさんが私のほうに歩いてきて袋を持って行ってくれた。私は家に戻った
午前7時半 2個目のごみを持って中央玄関を通ってごみ置き場に行く。しばらく休んでから家に帰った。
午前11時 車いすに乗って2棟のほうに行く。4棟前で車いすを下りて50メートル歩いた。それから家に帰った。

11月18日水曜日 朝2時 便。 午前6時半 プラごみを持ってごみ置き場に行く。しかし中央玄関とごみ置き場の中間あたりで1棟のSさんが袋を持って行ってくれた。私はごみ置き場に行き、少し休んでから家に帰った。
午前10時 足湯を行う。

11月19日木曜日  朝6時半 中央玄関を通ってごみ置き場に行く。しばらく休んだ。そして家に帰る。

11月20日金曜日 朝から風。

11月21日土曜日 朝5時 便。 午前6時半と午前7時半 2回とも風が強かった。

11月22日日曜日 朝6時半 玄関を出て中央玄関に向かったが、風が強く引き返して玄関を通り小さな坂道を通って階段の下に行こうと思ったが、坂道の最後の一歩が動かず右足が弱いから下りも行けず、どうしようもなかった。右足が上、左足が下の棒立ちだ。誰か呼びたいが、呼んだとして私の動作をうまくやれるのか。私は右左の足を1センチずつ動かしてやっと下の平のところにたどり着いた。
 こんなことははじめてだった。
午前11時 娘と車いすに乗って保土ヶ谷公園に行った。球場の裏道を歩いた。30メートル。時間がかかる。次はサッカー場の裏。20メートルか。この間、坂道2回、車いすが通れない道を1回渡った。それから家に帰る。