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2018-11-10

歯医者 + 日誌18


 今まで気にかかっていた歯医者に行った。入れ歯を支える歯が欠けてしまったのだ。家から1キロのところにある歯医者が開院した。そこでその歯医者に行ったというわけだ。娘に車で連れて行ってもらった。開院第一の患者だった。まずはレントゲンを撮る。機械が私の頭のまわりをまわって写真にとる。初めての経験だった。
 言い忘れたが、私の歩行がうまくいかないので受付から診察室まで時間がかかる。特に診察室に入る3段の階段が厄介だ。階段の横に受付の台があるのでそこに左手をのせて階段をのぼった。レントゲン室も診察室の隅にある。レントゲン撮影の後も、もちろん時間がかかる。
 医院の医師は最初私の歯を見ていたが、その後女性医師に変わった。初めの医師は今まで診察した患者をこれまで通り見るために外来に行っているらしい。女性医師は私の歯を見て、入れ歯を作る前に虫歯を直しますといった。上側の中央2本の歯を削ってもとの歯に戻した。
 女性医師は一週間後に来るように言った。なかなかいい医者だった。口を開けるとき、次は何をするとはっきり言う。治療したら手鏡を取り出して、患者に治療した歯を見せる。それに何より患者第一主義である。それが気に入った理由だ。年齢は40代かな。週に2回しか来ない。あとの2回は医師の奥さんらしい。
 入れ歯はおおむね週に1度来ると4回で終わる。私はあと1回来ておしまいだ、と思っていたら夕食後、歯を磨こうとして洗面所に行き、歯ブラシをもって口の中に入れ下の歯を磨いた途端、歯が3つ着いた金属の差し歯が落っこちてきたのだ。上の歯ばっかり注意していたら下の歯が俺の歯もと言いたげだった。
 

11月4日日曜日 朝6時 便。 6時半玄関を出る。中央玄関まで7分。遅いな。表に出て駐車場を左に見る。右足が前に行かない。前、後ろと交互にやってみる。ごみ置き場横のコンクリートで休憩。天気がよくないみたいだ。来た道を戻る。コンクリートから5メートルぐらいがややこしい。
地面が多少ごつごつしている。一歩、二歩とは進めず、右足を送ってまた右足を送るという次第だ。それを過ぎれば右足を前、後ろに5メートルくらいで交互に歩く。それを繰り返し家に着く。片道21,2分ぐらいだ。

12時半回覧板を回すついでにウオーキング、中央玄関まで来たら雨がしつこく降っていた。郵便ポストを右に曲がって、なじみの通りとは反対になるが、雨が降っていないところまで行った。帰りは同じ道を通って家についた。

11月5日月曜日 朝6時 便。 6時15分ゴミをもって玄関を出る。中央玄関を通ってごみ置き場横に着く。23分ぐらいか。ごみを置いてもと来た道を帰る。調子悪い。

12時半今日のリハビリでだいぶ良くしてくれたので郵便受けまで調子が良かった。しかし帰りはいまいちだ。
右足の膝が悪いのでどうなることかと思っていた。リハビリで右足をマッサージしたおかげで助かった。右足を大きく上げてその次に左足を気が済むまで出す。右足は高く上げ左足は靴の底一つ以上目指す。これでOKだ。

11月6日火曜日 朝6時玄関を出て中央玄関へ行く。雨はまだ降っていない。駐車場を見ながら歩いていると、持ちましょうか、と言って1棟の真ん中ぐらいのおばさんがごみをもっていってくれた。私はやっとごみ置き場横のコンクリートに腰を下ろした。あれ、しばらくすると雨が降ってきた。
1棟から足の不自由な男の人が杖を突きながらやってきた。遅いなと思ってみていたが、彼が帰り道、私が急いで1棟の坂を下って行こうとしたら、私を追い抜いてしまった。彼は速い。というより私が全然遅すぎた。私は1棟の窓下で休憩した。今は水たまりに雨が跳ねているが、私が家に着くころにはやんでいるだろう。
中央玄関を過ぎてドアのカギを開けた。

11月7日水曜日 朝6時半プラゴミをもって玄関を出る。右足を大きく左足は28センチの靴を超えて出す。これが理想だがなかなかできない。右足は左足のほんの少し前、左足は右足と同じ程度だ。中央玄関を出て右足を中心に歩いていたら、ゴミ、持ちましょうと言って昨日のおばさんがごみをもっていってくれた。
荷物がなくなったので景気をつけながらごみ置き場横に着いた。人がちらほら通っている。道路に出ようと思ったが、やっぱりやめよう。コンビニの方から画家と1棟の老紳士がやってくる。画家はCDの話をするのだが、私にはよくわからない。老紳士は、もう行ってきたのというから、私は、ゴミだけと答えた。
立ち上がって最初の5メートルは足が乱れる。その後足を順番に送り出して中央玄関を通り、玄関に着いた。

11月8日木曜日 朝4時半 便(3日ぶり)。 6時玄関を出る。中央玄関まで行って外に出た。右足を前後に高く振れないが、かばいながらごみ置き場横に着いた。休憩してたら画家に会う。今日はコンビニの方に行ってみようか。段差を下りて姿勢を正す。右足がきいていないようだ。
マンホールが厄介だ。その周りを行く。やはりこの足じゃ無理かもしれない。もう一つのマンホールまで来たらUターンだ。帰りも右足が利かないと大変だ。ごみ置き場にきて段差を上り少し休憩。画家が帰ってきた。どこまで行ったの、というから、あっちのマンホールと答えた。
1棟の道を戻り中央玄関を通って家に着いた。

12時玄関を出る。中央玄関までは調子いい。風が強いのでUターンした。帰りは行きのようにはいかない。少しだけ外側に傾斜があるからだろうか。何とか家に着いた。

11月9日金曜日 朝4時半 便。 6時新聞紙と牛乳パックの空きをもって中央玄関に行く。右足を前に出しながら、時間がかかるが、中央玄関の横のごみ置き場に新聞紙の入った袋と牛乳パックを置いた。かすかな雨が降っていた。帰りは左側の部屋の一つずつを、右足の前後と一致させて歩いた。
足並みが揃わないのは家に近づくにつれて大きくなる。1,2と声をかけて玄関に着いた。

11月10日土曜日 朝4時半 便。 6時15分 燃えるごみをもって玄関を出る。姿勢は悪いが朝はまずまずだ。いつものおばさんがこっちへ向かって歩いてきて、持っていきましょうといった。私はいいですよ、といったが、おばさんは手が空いているから、ともっていってくれた。
私は何も持たず中央玄関を出て表に出た。ちょっと坂だから厄介だ。右足があまり上がらないが、気合を入れて駐車場を左に見ながら、ごみ置き場横を目指して歩く。どうしてこんなに時間がかかるんだろう。目指すところへ着いたら30分だった。画家がおーい、と道路から声をかけた。
一息休憩。人はちらほら、犬を連れて散歩している人もいる。帰りはやはり30分だろう。なるべく急いで家に帰った。

12時玄関を出る。右足を前、右足を後ろと交互にやって中央玄関まで行き、表に出てやはりさっきの交互に右足を出す歩き方でごみ置き場横に着いた。やっぱり30分かかるな。コンクリートで休憩した後、同じ要領で家に帰った。

2018-11-03

東京タワー還暦 + 日誌17


CIMG3883.jpg

 東京タワーが還暦を迎える。12月の24日だ。1日、前後にズレがあるかもしれない。60年である。私が中学1年生だ。2学期の終業式の日、東京タワーの一般公開があった。私は友達と一緒に東京タワーに向かって走った。巨大な足。4本の足が地面を貫通する。大人が大股を開く、そんな程度ではなかった。
 エレベーターは人の波だ。私たちは非常階段に向かった。階段を夢中で走った。第一展望台は100メートルくらいか、覚えていない。ドアを開けて中に入る。人々があふれている。込み入っている中で、海が見える、山が見える、いくつかのビルと民家、その中に私たちの学校があった。
 帰りのエレベーターも満員。また階段を下りた。階段は鉄の柵でおおわれている。行きは何も見ずに駆け上がったが、今はゆっくり歩いている。海はどこまでも続いている。下を見れば人の頭らしいものがあり、車がおもちゃのように走っていた。そのうち信号で止まって、じゅじゅつなぎとはこのことかと思った。
往復、階段なんて俺たちだけだろうな、と友達は言った。

写真は荒川上空で、嶋邦夫(東京新聞)による。

10月28日日曜日 朝6時 便(2日ぶり) 6時15分右足が上がらないのでどこまでいけるかわからないが、玄関を出て中央玄関へ。そして表に出て駐車場を左に見ながらごみ置き場横にやっと着いた。しばらく休憩だ。日曜日なのでだれもいない。2棟に行きたいが、道路で立ち往生するかもしれないのでもとに戻ることにする。
帰りは右足を前、後ろと交互にやって家に着く。洗面所の外の通路に毛虫がいなかった。その代わり排水溝のまわりに毛虫の死骸が溜まっていた。誰かが掃除してくれたんだ。もうじき寒くなればいなくなるだろう。
昼12時どこまでいけるか分からないが、とりあえず玄関をでた。中央玄関をくぐって駐車場を左に見ながらごみ置き場まで行く。しばらく休んだ後、コンビニのほうに向かう。この平坦がやりにくい。坂道は右足を交互に前、後ろとやって平坦に出て、50メートルの地点でUターン。
あとは足並みに気を付けてごみ置き場横に着いた。ちょっと休んでから来た道を戻った。

10月29日月曜日 朝6時 便。 6時15分缶、瓶、ペットボトルはないから、手ぶらで玄関を出た。中央玄関を通り抜け駐車場を左に見ながら、ごみ置き場横で休む。それから段差を下りて平坦から坂道へ行く。画家に会う。いつも寝不足らしい。ああ、と言いながら通り過ぎた。
道路から2軒分離れたところにある家のおばさんが、ゴミを置いて戻ってきて、えらいわねえ、といった。続いてその前の道路沿いに住んでいるおじさんが、電柱の脇にごみを置いて戻ってくると、おはようございますといった。私はおはようと言って平坦でもどこか歩きにくい道路を進んだ。
富士山の見える駐車場を通りすぎた。2棟のウオーキングマンが公園から戻ってきた。私は駐車場でUターン。150メートルまではあと5メートルだが、坂になるのでやめにした。ごみ置き場横で休憩して、それからもと来た道を歩いて帰った。

12時半洗面所の外側の地面を掃除した後、中央玄関を通って駐車場を左に見ながらごみ置き場横に着いた。しばらく休憩。車は通るが、人の姿は全く見えない。2棟のほうに行けたらなと思いにふける。帰りは花の道を選んだ。中央玄関までは普通に進んだが、そこから足元が乱れておっくうになった。
夏にここらへんで転んでしまったが、今日もと頭がよぎる。しかし無事に花の道に入る。石畳の間から雑草が生えており、右足には面倒だ。何とかクリアーして家に着いた。

10月30日火曜日 朝6時 便。 6時15分ゴミと班長への連絡をしに中央玄関を出て、駐車場の反対側、つまり建物側を歩いて坂道まで来て、そこにゴミを置いて連絡帳だけを持ち、坂を下る。右足がよほど利いていないと実感した。左足を下げて右足もというところで、右足はうんともすんともいわない。
 ちょっとずつ右足を下す。坂道の最後が心配だったが、何とかオーケー。それから班長宅へ向かうが、玄関前はちょっとした坂だ。あの坂が下りでこの坂は上りだ。苦労して坂を上り切り班長の玄関ポストにメモを入れた。下りも大変。そこを終えて今度は坂道を上る。これが一番厄介。左手でネットの端をつまんで上り切った。
さあゴミ置き場まで5メートルというところで、画家が、持ちましょうと言ってくれた。私はコンクリートで休むことなしに、2棟へ向かう。段差を下って上って2棟の入り口に出て、あとはつらい坂道を超え、元に戻って1棟のごみ置き場横で休憩した。それから玄関についた。

12時半玄関からごみ置き場横まで行って休憩。15分だった。今までは20分。これなら14分、13分と記録は続くだろう。帰りはそのまま戻って玄関についた。

10月31日水曜日 朝6時プラゴミをもって玄関を出る。起きたときはそうでもなかったが、1時間ぐらい前から右足の出が利かなくなった。中央玄関まではゆっくり進み、それからあとは右足を前と後ろ一歩ずつ送り出す。やっとごみ置き場横のコンクリートに腰を下ろす。
富士山の見える駐車場から2軒隣のおばあさんが話しかけてきた。私は、足が痛くて今日はだめですといった。おばあさんは、それは残念ね、といい、私も今日はポストでおしまいといってさようならをいった。おばあさんは私の言葉がわからないようだ。何度も聞いてくる。
帰りは時間をかけながら中央玄関を通って家についた。

12時半玄関を出て中央玄関につく。このちょっとした坂道がつらい 駐車場を左に見ながら語に置き場横のコンクリートで一休み。今日はコンビニ方面のここから50メートルまで行こう。平地、坂道、どれも大変だ。やっと平坦に戻ってUターン。帰りも同じ道順で、ごみ置き場横で休憩する。
それから団地の中を行き、中央玄関を通って家についた。

11月1日木曜日 朝4時 便(2日ぶり)。6時15分コンビニ方面に行く。玄関を出て中央玄関を通って駐車場を左に見ながらごみ置き場横につき、段差を下りて姿勢を正す。平坦も階段も厄介だが何とかクリアーして平坦に戻り、富士山の見える駐車場で富士山を見ようとしたが雲がかかって見えなかった。
右足を引きずりながら八百屋の前に行きたいが、それは無理。150メートルでUターン。画家と2棟の二人と出会う。Uターンして道路の反対側に行き、富士山の見える駐車場を少し超えたところのコンクリートで一休み。画家に会う。1棟の老紳士に会う。彼はこの3,4日会っていなかった。何か病気でもと思っていたが、なんでもないようだ。
今朝は寒いのでダウンを着ていったが、画家はあったかそうだといい、老紳士は寒そうだねといった。私もダウンを着ていないとき、娘が着ていてあんまり軽そうなので寒くないのかといったことがあった。画家と老紳士の年齢の差か。あとはごみ置き場横で休憩して1棟の道を戻った。

11月2日金曜日 朝6時 便(少量)。 6時半新聞紙と牛乳パックをもって玄関を出る。右足は昨日調子よかったのに今朝はだめだ。右足を前に一歩一歩左足の先端ぐらいに置いていく。中央玄関の横にゴミを置く。今日は珍しくいっぱいある。新しい人が入ったが、出るわけではないので引っ越しの不用品ということでもなさそうだ。
表に出ても調子は悪い。時計を持ってくるのを忘れたが、20分以上は確実にある。ごみ置き場横で休憩。このまま帰るか、少しでも行くか、迷いながら全く人通りのない道路を眺めながら考える。少しでも歩いていくか。段差を下りて姿勢を正す。立っている分には支障がないが、歩き出すと時間がかかる。
画家が通る。2棟の勤め人がバスに乗るため通り抜けた。坂道は厄介だ。平坦に戻っても足が元に戻らないから50メートルの地点でUターン。画家が1棟の老紳士と一緒に家に向かう。私の右足は棒になったようだ。2棟のウオーキングマンが通りすぎた。ごみ置き場横のコンクリートで一休み。
今日は全くだめだ。右足が前に出ないのは初めてじゃないかな。1棟の前を通って家に帰った。

昼1時半玄関を出て中央玄関につく。これより前、下の娘に右足をマッサージしてもらって少しはよくなった。ごみ置き場横で休憩していたら下の娘が来た。どうしたのかと聞いたら、買い物をしてきたといった。2棟へ行こうかということになって段差を下り、道路を渡って段差を上り姿勢を正した。
2棟の道では姿勢は悪くないが、スピードが出ない。50メートルで折り返しまた段差と道路を渡りごみ置き場横で休憩してから、1棟の道を戻って家に帰った。

11月3日土曜日 朝5時 便。 6時玄関を出る。調子はよくない。今日のごみは重過ぎる。野菜の足を切ったのや鉄製の不用品がある。それらを真っ白なビニール袋に入れた。
ゴミは下のほうに溜まって、袋の持ち手との差が大きいから困ってしまった。中央玄関から駐車場を左に見ながらごみ置き場横に着いた。ちょっと一休みしてから段差を下って姿勢を正す。
平坦、坂道ともつらいが何とか歩いて富士山の見える駐車場に来たら、今日はもうおしまいという気持ちになってしまった。1棟の老紳士に会う。画家がきて私の誕生日はいつだと聞いた。5日だと答えると、CDを買おうといった。ごみ置き場横で休憩していたら、CDは売ってないかもしれない、ポストに手紙を入れておこうといった。
私は1棟の来た道を通って家に帰った。

12時半2棟へ行くため玄関を出ると、足取りもさわやかで中央玄関に来た時には5分ぐらいじゃなかと思ったが、7分もかかった。ごみ置き場横に着くには15分じゃ無理だろうな、そんな感じだが、実際は21分だった。しばらく休む。ぽつりと雨が降ってきた。それからしばらくしてぽつり。
しかしそのあとは何も感じないので2棟へ行く。段差を下って上って姿勢を正す。歩こうとすると、雨が降ってきたよ、ダメダメ、という声が聞こえる。2階の私の真上にいる人だ。道路に出ちゃダメ、という。私は段差を下って上ってさっきのところで休んだ。こっちなら降っても団地に入れると、1棟の裏道を行く。
ちょうど角に差し掛かったところで本当に雨が降り出した。角を曲がってすぐの団地の入り口に入った。上り下りのちょっとした坂がある。それを超えて左に曲がって1棟の窓下を通って家に帰った。

2018-10-28

私設 論説室から + 日誌16




緊急空輸を脅かす電磁波  半田 滋
(注は私が作成した)
 防衛省が導入を進める弾道ミサイル迎撃システム(注1)「イージス・アショア」に対し、配備予定地の秋田市、山口県萩市・阿武町では不安を訴える声が収まる様子はない。レーダー波(電磁波)への健康不安ばかりではない。ドクターヘリ(注2)への影響も見逃せない。
 防衛省は八月にあった地元説明会で「ドクターヘリが緊急時に飛行できるよう、手続きマニュアル(注3)を作成する」と説明し、飛行制限区域を設定する可能性に初めて言及した。
 例えば弾道ミサイルを探知する米軍のⅹハンドレーダー(注4)が置かれた京都府京丹後市の経ヶ岬通信所の場合、海側の半円柱状の空域が以降制限区域。今年五月、京都府の消防本部が交通事故のけが人を緊急空輸するため、レーダー波の停止を要請したが、米軍が聞き入れず、ヘリの着陸地点を変更せざるを得なかった。搬送は十七分遅れた。
 米軍が停波しなかった理由につて京丹後市基地対策室は「停波要請がマニュアル通りでなく米軍が混乱したため」という。一分一秒を争う緊急事態で、マニュアル通りか否かが問われるのはおかしくないか。 
 防衛省はイージス・アショアの説明会で「手続きマニュアルを作成する」と話したが、そもそもイージス・アショアがなければ、停波を求める必要さえない。国民の生命を守るはずの武器類が日常生活を脅かすようでは本末転倒だろう。(半田滋)
(注1) 弾道とは弾の道筋。斜めに打ち上げると放物線上となる。
ミサイルとはロケットのエンジンを利用した戦略飛行物体である。
迎撃とはこの場合、北朝鮮のミサイルを撃つこと
(注2) 医療用ヘリコプター
(注3) 手続書のこと
(注4) 米軍が開発した早期警戒レーダー。

10月21日日曜日 朝5時40分 便(2日ぶり)。 6時玄関を出る。今日は持ち物が何もない。中央玄関を抜け、風がありそうだから駐車場の反対側、1棟の建物側を歩いた。道路に近くなったら、道を渡ってゴミ置き場横のコンクリートで休憩する。道を渡るといっても中央玄関近くを渡るより、この方がいい。平坦なので足に負担がかからないようだ。
ちょっと休んだらコンビニの方面に行く。以前坂道は歩きにくく、右足を前に置いたまま歩いたものだ。今日は大丈夫のようだ。1棟裏の老紳士に会う。大分いいようだね、と言った。足が上がらないです、と私は答えた。以前よりいいようだよ、と彼はいった。いつもより帰りが早いようだ。
画家に会う。前を歩いている女性に用があるらしい。続いて2棟のウオーキングマンに会う。彼も早い。日曜だからと言うことではないだろう。富士山の見える駐車場に着いた。テレビで行っていたように久しぶりの秋空だ。富士山がきれいだ。白一色。これからだらだら坂にかかる。
買い物袋を手に持って画家が来た。過去だと何歳になりたい、と言った。みんなに聞いているそうだ。小学生だね、と私は答えた。そろそろUターンだ。だいたい家から250メートル。これから八百屋までの道は急すぎる。帰りは順調だが平坦になると足取りが乱れる。いつも富士山の見える駐車場付近で調子がよくない。
団地の方から右手で杖を突き買い物袋みたいなものを左手に持って、50ぐらいの女性がやってきた。ずいぶん遠くまで行くんですね、と言った。私はそんなに遠くまで行っていない。以前コンビニまで行ったとき見たのかもしれない。私も足が悪くて病院です、と言う。私はお大事に、と言った。
足元が乱れたままゴミ置き場横で休憩した。もう8時に近い。1棟の元来た道を歩いて行った。
昼12時半玄関を出る。2棟に行こうか、1棟の2階3階にしようか 迷っていた。玄関を過ぎたら風が強かったけど、中央玄関に入ったら風はおさまっていた。いつも玄関からその隣までは風が強い。表に出て1棟の建物側を歩いた。はじめはいいのだが道路に近くなると2棟は無理だった。
小さな坂を下って2階に階段で上る。右足を前に、右足を後ろに、を繰り返す。2階の終点に来たら3階に上る。3階の30メートルぐらいは調子いいが、あとが足首、乱れてきた。50メートルでUターン。この吹き抜けは実に景色がいい。付近の家々は上から屋根が丸見えで、その先は180度の眺望だ。
帰りは順調であと3軒ぐらいで乱れてきた。3階の終点で富士山を見る。あとは3階2階と下りをクリアーして玄関に入った。

10月22日月曜日 朝5時40分 便。 6時ペットボトルをもって玄関を出る。中央玄関を通って駐車場を左に見ながらゴミ置き場に着く。ゴミを置いて下りの段差をクリアーしてコンビニの方へ向かう。どうしたわけか右足が上がらない。何とかしたい。前を見ると下の娘と車椅子に乗った母親が来た。
しばらく私が歩くのを見守っていたが、そのうち私の部屋の方に行った。私は右足を少しでも前に出しながら富士山の見える駐車場に来た。今日の体調ではこれ以上無理だ。Uターンして帰る。コンビニに行く画家に会う。続いて公園へ行って帰ってくる2棟の老紳士に会う。3人で雑談した。
2棟のウオーキングマンに会う。彼も公園帰りだ。ゴミ置き場に来たら2棟の勤め人に会う。しばらくコンクリートで休憩して、元来た道を歩く。娘と車椅子を降りている母親が帰るところだった。彼女らを見送り玄関に着いた。
11時半玄関を出て2棟に向かった。中央玄関を過ぎて駐車場に沿って歩くが、調子は良さそうだ。ゴミ置き場横に着いた。段差を下り道路を渡り、また段差を上った。2棟はかすかな下りだが、右足を高く前に出し、左足は右足より多めに出す。突き当りまではいいが、その先がどうも足が乱れる。
下り坂は号令でも掛けないとその場に留まる感じだ。平坦になって手をゴミ置き場のコンクリートにかけ段差をわたり、道路を渡ってまた段差を上った。それから左に折れ駐車場の2台目でUターン。これからが厄介だ。少し上りだが、足が乱れる。段差を降りて道路を渡り段差を上る。これで一安心だ。
上り坂は右足を中心にして歩く。平坦になったら苦労して1棟の前の段差を下り道路を渡ってまた段差を上って休憩だ。あとは来た道を通って帰る。

10月23日火曜日 朝6時 便。 6時15分一般ごみをもって玄関を出る。相変わらず中央玄関をくぐると足並みが乱れる。駐車場を左に見ながらゴミ置き場まで10メートルのところで1棟のおばさんが、持ちましょうといってゴミを持って行ってくれた。私の姿がよほど悪いのだろうか。
ゴミ置き場の段差を下り、コンビニの方に向かう。昨日と違って坂道は右足を一歩ずつ固定するように歩いた。富士山の見える駐車場で画家に会う。2棟の勤め人がこちらに挨拶した。あとは下りだがそれが終わると足が乱れる。2棟のウオーキングマンに会う。やはりこの季節、公園のベンチで座ることはできないようだ。
ゴミ置き場横のコンクリートで一休みしたら駐車場を右に見て帰る。

10月24日水曜日 朝6時プラゴミをもって玄関を出る。 駐車場を左に見てごみ置き場まで10メートルのところで、先日ごみを持ってくれたおばさんが、持ちましょうと言ってプラゴミを持って行ってくれた。ごみ置き場から段差を下りてコンビニのほうに向かう。上り坂は右足を前に出したまま苦労したが、平坦になると調子が出た。
1棟の老紳士に会う。寝坊しちゃったと言って通り過ぎた。画家に会う。富士山の見える駐車場であと50メートル行こうと決めた。上りにかかって足元が乱れないように慎重に、そしてUターン。富士山の見える駐車場までは調子いい。そこからは足元が乱れる。2棟の勤め人が、今日はどこまで行ったの、と言って通り過ぎた。
画家が帰ってきた。急いで通り過ぎて駐車場の隣のおじさんと話を交わした。私はごみ置き場横の段差を上って、一休みせずにもと来た道を通って帰った。

10月25日木曜日 朝6時 便(2日ぶり) 6時15分玄関を出る。中央玄関までは大丈夫だがそこからはいつも一苦労する。足の乱れを直して駐車場を左に見ながらごみ置き場につく。さてここからコンビニ方面に行くのだが、あまり調子はよくない。上り坂は右足を左足に合わせてゆっくり上る。
2棟のウオーキングマンに会う。平坦になっても足の乱れは相変わらずだ。画家に会う。続いて1棟の老紳士に会う。コンビニで買った小さな袋を持っていた。2棟の勤め人に会う。富士山の見える駐車場でUターンだ。今日は往復400メートルだな。ゆっくり歩いていたら、昔よく話したおばあさんの姿を見かけた。90くらいかな。全然細かいことは覚えていない。
あんたはどこにいるの、という。その先の団地だ、と答えた。車が通るから危ないわよ、そこまでついて行ってあげる、といった。私はごみ置き場横のコンクリートで休憩した。じゃあね、とおばあさんは言う。以前は団地の私の部屋まで来て、ここは初めてだ、といったものだ。帰りは花の道を通って行った。
1棟の駐車場を右に見て中央玄関まで行き、ドアの前についた。
昼1時1号棟を外れまで行き、階段を上って2階まで行きそのまままっすぐ行って3階に上る。これは中央階段の真上で、ここでUターン。3階の外れで階段を降り家に帰った。(忘れてしまい次の日に道筋を書いただけだ)

10月26日金曜日 朝6時 便。 6時15分玄関を出て中央玄関にごみを出しに行く。紙のごみ、牛乳パック、段ボール一枚だ。それを出すと表に出て駐車場を左手に見て、ごみ置き場横に着く。今日は八百屋の後ろまでと思っていた。坂を上り平坦になって足並みが乱れる。画家が通った。
何とか態勢を正した。2階の勤め人が通勤に行く。富士山の見える駐車場で2棟のウオーキングマンに会う。平坦が過ぎて上りに差し掛かった。やはり八百屋までは無理だ。ここでUターン。帰りは足の出が調子よくなったが、富士山の見える駐車場で足並みが乱れる。画家に会う。
ごみ置き場横で休憩してそのまま家に帰る。
12時半2号棟へ行く。家からごみ置き場まで20分かかった。そこから2棟で、往復してごみ置き場横で休む。そこから家までやはり20分かかった。

10月27日土曜日 朝6時半 ゴミをもってごみ置き場に行く。家を出て20メートル行ったところで、近所のおばさんが、ゴミ、持ちましょうというから、私は、いいですと答えた。そうと言っておばさんはすたすた行った。中央玄関から表に出て駐車場を左に見ながら、ゴミ置き場に着いた。
ゴミを置いて段差を下り上ってもと来た道を歩いた。時間がかかるが、歩きはそんなに悪くない。中央玄関をくぐって玄関のところに行き、毛虫を掃除しにほうきとゴミ箱を持った。1日に2回掃除をするが、いったいどこから来るのか。洗面所向かいの道路の隅にいっぱいいる。いずれは寒くなっていなくなるだろうが。
12時半玄関を出た。風があると思っていたが、中央玄関を出たときそれほどでもなかった。しかしごみ置き場横で休んだ後、風が強くなって1階の軒下を行った。それから中央玄関を通って家に着いた。




 

2018-10-20

時代を読む 内山 節 + 日誌15


上野村の「コンビニ」

 二十世紀を代表する経済学者、ケインズは、資本主義を支持した人でもあった。支持した理由は、資本主義以上に効率的な経済システムはないというところにあったのだが、なぜ効率的なのかと言えば、すべてをお金に換算していくシステムだからだと彼は考えていた。社会の習慣やしがらみに影響されることなく、お金の取引だけで経済を運営することができる、と。
 実際、今日の社会はこのような方向で、効率のよい経済を追求してきた。しかしそれは、企業活動にとっての効率性であって、昔から受け継がれてきた仕事や、暮らしにとっての効率性ではないことも、忘れてはいけないだろう。
 私は群馬県の上野村という山村にも家がある。千三百人ほどが暮らすこの村には、コンビニがない。ところが村の人たちは、「そんなものはいらない」と言う。なぜなら、隣の家がコンビニだからだ、と。確かにそのとおりで、何か不足しているものがあったら、村では隣の家に行けば解決する。どこの家でも必需品は買い置きがあって、提供してくれるのである。良好な関係があれば、困ったことが発生しても村人が解決してくれる。
 村の生活は、一面ではとても便利で、効率がいい。畑に行けば野菜があるというのも効率がいいし、山菜や茸が近くで採れるという効率のよさもある。私にとっては夕方ふらっと釣りに行けることも、家にいるだけで鳥や虫の声を楽しんでいられるのも、都市にはない便利さである。
企業活動にとっては、すべてがお金の動きになる経済は効率がよいかもしれないが、暮らしはもっと複雑なのである。もちろん、すべてをお金で決算できる暮らし方に便利さを感じる人もいるだろう。逆に、お金を使わなくても、いろいろなものが手に入る便利さや効率のよさに、魅力を感じる人もいる。
 資本主義というシステムは、企業活動を効率よく展開させる仕組みでしかないのである。だから暮らしにとっては資本主義とは異なる効率性も存在するし、昔からあった仕事にも、資本主義的ではないさまざまな支えを必要とするものがある。たとえば農業もそのひとつで、農業はお金の力だけで実現できるものではない。それは自然と人間の共同作業であり、農村社会や農の営みを直接、間接に支えてくれる多くの人々がいてこそ成り立つ。町の商店や職人の仕事も、お金の力だけではないものに支えられている。
 だから、資本主義的なシステムがすべてだというような社会をつくってしまうと、社会は多様性とともにある豊かさを失うのである。やせ細った社会がつくられ、資本主義の原理によって、大事なものが壊されてしまう。
 今日とは、人々がそのことに気づきはじめた時代なのだと思う。よい環境に支えられた仕事、地域に支えられた仕事をつくろうとする人たちも、農村などに移住する人も増えてきた。
 現在の問題は、そのことに政治家や企業経営者が気づいていないことにある。ここでは依然として、アベノミクスに象徴されているように、効率のよい資本主義をつくり、市場経済を拡大させるという発想しか存在しない。
 豊かな社会は資本主義的な経済だけではつくれない。資本主義は万能のシステムではないのだということを感じとれる感性を、いまの時代は必要としている。 (哲学者)


日誌15
10月14日日曜日 朝6時玄関を出る。風が強いようだ。まず郵便受けまで行く。右足はあまり良くない。郵便受けまで来たら、そこで引っ返す。この2軒ぐらい足が乱れる。調子をつけて右足を心もち大きく出す。玄関にたどり着いたら、もう止めるか、あと1周するか、風を見ながら考える。
結局、あと1周することにした。右足を前に出すという練習だ。なかなか右足は出てくれない。それでも何とか玄関に着いた。
昼11時半玄関を出て1棟の外れまで行く。中央玄関を過ぎると足が乱れてくる。右足を前に、右足を後ろに、を繰り返す。Uターンしたら同じ要領だ。
1時半玄関を出て郵便受けまで行く。3度目はさすがに足が思うようにいかない。帰りが余計厄介だった。

10月15日月曜日 朝5時15分 便(2日ぶり)。 5時45分玄関を出る。一升瓶を持つからやりにくい。郵便受けまでビンと杖を左手に抱えて行った。右足が遠くにつけないので遅くなるが、左手にビンと杖を抱えているので、余計遅くなる。中央玄関を出て、ビンを指に支え杖を地面につけた。遅いのが改善するということはない。
ゴミ置き場にビンを置き、コンクリートで休憩する。コンビニの方へ行ってもいいし2棟の方に行ってもいい。しかしどこかで「止めろ」という。地面が悪いうえに上りである道、一方二つの段差がある2棟の道、天の声に逆らわない方がいい。1棟裏の道を行こう。10分休んだら出発だ。
下り上りの中間点で画家に会う。女性のボーカルがいいかな、と私の誕生日にくれるものを選んでいた。1棟裏の道でも最後の上り坂は特に厳しかった。金網で休んだ後郵便受けを垣間見て、玄関まで右足を大きく使いながら着いた。
11時半車椅子に乗って保土谷公園に行こうと下の娘の誘いに乗った。行きは横断歩道を渡ったところまでは車椅子に乗り、そこで降りてバス停を過ぎて横断歩道まで歩いた。それからバス停の少し先まで車椅子に乗って、そこで降りて行って帰って行って帰ってと4段階になっている木製の散歩道を進んだ。
この散歩道は8年前から通っていた。片道25メートルで全長100メートルだ。5分くらいかかったかな。今は一生懸命歩く。平坦の地面で休憩した。テニスコートはみんな熱心にやっている。車椅子に乗って左右の景色を見ていたら、雨が降ってきた。雨宿りをするかそのまま歩くか、そんなにひどくないので歩いた。上の道路まで急坂だが、娘は一気に押して上がった。
そのうち雨は止んだ。助かった。横断歩道を渡り、下水工事をしている道路の半分を過ぎ、八百屋のちょっと手前で車椅子を下りる。100メートルを歩き、また車椅子に乗ってゴミ置き場前で車椅子を下りた。段差を越えやっと玄関に着いたのだ。

10月16日火曜日 5時半 便。 5時45分ゴミをもって表に行く。中央玄関を通り過ぎて、駐車場を見ながら右足を押し出す。今日のゴミは一般ごみで、大き目の袋に入れ首筋をガムテープでしばった。ゴミを出すのに苦労した。ゴミ置き場の一番隅にゴミを置いた。
ゴミを置いたらコンビニ方面か2棟へ行こうと思っていたが、やっぱり止めとこう。6時過ぎは静かなものだ。15分休んだら1棟裏に行った。下りの前で画家にあった。いまだに半袖だ、と言って通り過ぎた。半袖のTシャツに上には長袖のシャツだ。私は緑の金網で休んで吹き抜けを通り、花の道方面だ。
中央玄関を抜けて右足を引きずりながら花の道へ行く。右足を後ろに引いたまま終点に来た。玄関に入る。

10月17日水曜日 朝5時半 便。 5時45分プラゴミをもって玄関を出る。中央玄関を出て駐車場を見ながら、右足を引きずる。もう右足が出ない、前を出ない、高く上がらない、は慣れてしまった。ただゴミ置き場前5メートルは厳しい。号令を掛けながらゴミ置き場に入り、プラゴミを置く。
今日は2棟に行くことに決めていた。段差を下り、もう一度段差を上り、道路の上で姿勢を正して右足左足で歩いた。手に雨がついた。空を見ても雲の間から太陽が見えそうだ。しかし雨が降る。2棟の駐車場を通って雨宿りだ。そうこうするうちに雨が止んだ。ここまで来た以上2棟をぐるりと1周だ。
ポストを左に見て、舗装してあるが浮き沈みが激しい道路を過ぎ、膝より少し上の鉄棒に手をついて、段差を下り、道路を渡って段差を上りコンクリートで休憩した。どのくらい歩いたのかな。150メートルか。まずまずだと思っていると、画家にあった。いつもと違う方向から来たね、と言った。
10分休憩して1棟裏を行って帰った。

10月18日木曜日 朝5時半 便。 5時45分コンビニ方面に行くことに決めた。玄関を出て中央玄関を通り抜け駐車場を見ながらゴミ置き場横に着いた。一休みして段差を下り、半月ぐらいかな、道路に足を下ろす。右足はあまり前に置けない。足踏み状態の感じだ。右足を思い切って前に出す。
マンホールがあるからその周辺から足踏みと少しましな程度で進む。坂だ。そのまま進めるのか、何らかの方法で進むのか、まだやってみないのでわからない。結局、右足を地面に置いて、左足を中央に置くという方法だ。何とか乗り切って平坦に出た。右足、遠くの地面、左足、左右中央、と言うのは虫より遅いものだ。
平坦の15メートル先に小型ダンプが止まっている。50メートルの地点に運転席がある。小型ダンプは側溝すれすれに駐車しているので、右足は厄介だ。さっきの坂道と同じように虫といい勝負だ。50メートルでUターンした。帰りも小型ダンプは面倒なものだが、何とかクリアーして平坦の道を歩く。
画家が何やら言いながら通っていた。私は耳の方は素通りして顔だけで笑っていた。2棟のおじいさんが通勤のため通った。コンビニの方と言うから、そこまでと答えた。段差を上り休憩した。2棟のウオーキングマンが帰ってきた。少し遅れて1棟の裏の老紳士が戻ってきた。
昼間どこかへ行ってるの、と言うから、東戸塚の病院です、と答えた。ああそうか、と言うから、週に1回、と言い添えた。私は1棟裏の道を行って帰った。
11時半玄関を出る。2棟に行こう。中央玄関を出て駐車場で右足を前後に入れ替えながら、ゴミ置き場横に着いた。段差を下り道路を渡り、段差を上ってからだの位置を整えた。
11時半2棟へ向かう。玄関を出て中央玄関で一休み、駐車場を左に見て右足に力点を置きながらゴミ置き場横に着いた。
段差を下り道路を横切ってまた段差を上って姿勢を正す。それから2棟を進む。突き当りに来たら右に曲がって、乱れた足を直して坂道を行く。昔ならどうってことないのに、今は右足を高く上げるのに精いっぱいだ。平坦になったら大きな排水溝に杖を捉えないように、向こうに置いて足を出す。
次に段差を下り道路を渡りまた段差を上って、何歩か進んで左に曲がり駐車場の2台目でUターンだ。これを繰り返し上り坂に向かう。右足を先に出して坂を上り切り、次の平坦が厄介だが何とか歩いて左に曲がり、まっすぐ行って段差を下り道路を渡って段差を上りゴミ置き場横で休憩した。
その間下の娘と母親に会ったので手を振った。それから1棟の駐車場を右に見て、花の道を通って帰宅した。

10月19日金曜日 朝5時半 便。 6時新聞と牛乳パックをもって中央玄関に向かう。玄関にゴミを置くと、1棟の先に行こうとしたが、風が強いのでやめにし、部屋の玄関に戻った。左足を大きく出して、右足を左足の先に着ける。この調子でいいのだろう。まだ形は良くないが私自身満足だ。
1時1棟の外れまで行った。中央玄関から窓辺沿いに行ったのだが、調子が悪くなった。1棟の外れでUターンして、今度は右足を前へ後ろへと交互にやる。中央玄関を過ぎたら形は悪いが右足左足と交互にやって玄関に着いた。

10月20日土曜日 朝5時45分燃えるゴミをもって玄関を出る。中央玄関から外の道は普段通りだが、歩くのには苦労する。右足が上がらないのでよちよち歩きのよう。ゴミ置き場の一番外れにゴミを置いて、さてと思ったがどうしようもない。遠いところは止めだ。1棟の裏道を行く。
下り上りの前で画家に会う。パリに8年いたそうだ。パリのアパートはオートロックで、鍵を部屋に忘れて出掛ける場合、どうしようもないらしい。ある人がそれをやってしまった。しょうがないから救急用の金槌みたいなものでドアを破ったそうだ。
私は緑の金網で休憩した後、郵便受けを垣間見て玄関に着いた。
12時玄関を出るが風が強い。中央玄関を過ぎ1棟の隅まで行って、2階へ上った。そこから延々と歩く。2階の隅に来たら3階へ上る。3階も風が強いので2階、1階と階段を下りる。まあしょうがない。
2時玄関を出て階段を上る。2階を過ぎ3階だ。右足を前へ下ろす、右足を後ろに引きずる、これを交互にやる。エレベーターに着いたらUターン。帰りも同様。3階から2階、1階と降りて、玄関に着いた。

2018-10-13

車椅子を使って + 日誌14


先日M君が来て90いくつの母親が使っていた車椅子を置いて行った。母親は亡くなったそうだ。小さい車椅子だ。自走式ではない。大きな車輪に手が合わせるようになっていて、手でどこでも行ける、というものではない。自走式ではないと、自分の意志ではどうやっても行けるところはない。
M君とは車でレストランまで行き、駐車場で降りてから車椅子に乗って店内に入った。今では車椅子を好奇な目で見る人はいない。料理を食べたらトイレに行き、駐車場まで車椅子に乗って、降りたら車椅子は車の後ろに積んで店を出た。家に着いたら車椅子を六畳の押入れの前に置いた。
車椅子は小さいから私が乗るには多少不便だ。M君が帰った次の日、下の娘が来て、車椅子を見付けた。事情を話すと明日、休みだから公園へ行こうということになった。朝の5時半に家を出た。私の家の玄関から中央玄関までは平坦な舗装だから、車椅子にとっては都合がいい。
ゴミ置き場まで歩くのと違って速い。段差はどうするのかと思ったが、私が後ろを向いてクリアーした。それからは富士山の見える駐車場を過ぎて、ゴミ置き場で車椅子を下りた。坂道が急だからだ。車椅子を降りたらどう歩いていいのか面食らった。八百屋の前を通り道路の反対側に行って右から来る道を越えた。
これから先は月曜日を参照してください。


10月7日日曜日 朝4時15分 便。 6時30分風が強いので1棟の端まで行くことにした。まずは左の3,4メートル先の端まで行ってそれから1棟方向へ向かう。ここは時間がかかるがこれでいい。中央玄関あたりが上り坂で足を乱し、1棟の先まで右足を前へ前へと送り出す。こちらの端まで来たらUターン。
この帰りが厄介だ。右足が前に出ない。右足全体がやっと動くという感じだ。このまま進んで中央玄関あたりの下り坂で調子を取り戻し、あとは玄関のドアまで時間がかかるが突き進んでいった。
11時郵便受けまで2往復、200メートル。右足を前に出す、右足を後ろに置いたまま、これを交互に2往復やる。
13時郵便受けまで2往復を、前と同じようにやる。

10月8日月曜日 4時半 便。 5時半車椅子を使う。Mくんがくれたものだ。私が乗って下の娘がおす役だ。段差が厄介だが団地入口の段差を通ってゴミ置き場を通り、次の置き場で降りた。車椅子から降りると足が棒のようになる。右足を前に出す。車椅子とではスピードが大違い。300メートルの手前で道路の反対側に行き、右から上ってくる道路をやり過ごす。
右足を懸命に出して、左の上り線との合流点を過ぎたところでまた車椅子に乗った。コンビニまで100メートルちょっと、これを通って今度は緩やかな下り、コンビニに着いた。交通信号だから車いすから降りて、行ってみたが4分の1にも来ないうちに信号が変わって、引っ返して車椅子に乗った。
信号が終わって坂だから後ろ向きになって坂を下り、バス停を通って次の信号で段差をやり過ごし球場前に着いた。それから坂だから後ろ向きになって坂を下り、球場の平坦な道を通り今度の坂をまた後ろ向きになって行く。次はサッカー場、正面入り口を横目に見てやっと目的地に着いた。
上り坂を通ったら休憩した。7時ちょっと過ぎ、ちらほら人の姿が見える。10分くらいそこにいて車椅子をやめて足で来た坂道を通りトイレに来た。私用のトイレはゴミが詰まってやりようがないから、普通のトイレに行くことにした。12,3センチの踏み台の上だ。一気に上って小用をした。
帰りはあの踏み台を下りるのだが、入り口の右に行っても左に行っても、取手というものがないから右往左往、娘にからだを預けて踏み台を下りた。からだを娘に預けるのはいいが、とても危険だった。トイレを出たら車椅子に乗った。帰りはテニスコートを見ながら来た道を行った。
あとは順調で300メートルの地点で車椅子を下り、200メートル少し手前で車椅子に乗って家に着いた。
12時半200メートル歩こうと思ったが、風が強そうであったので郵便受け2往復することにした。2周目はやはりうまくいかない。あっちこっちと足を使って、右足前、右足後ろ、を交互にやった。

10月9日火曜日  朝4時半 便。 5時半燃えるゴミをもって玄関を出る。右足をあげながら進むが、途中で左足と平行になって無理に右足を前に持って行く。中央玄関で足を揃えて歩き出そうとしたら、先日ゴミを持って行ってくれたおばあさんが、持って行ってあげましょうといって歩いて行った。助かった。
駐車場を見ながら歩くのだが、本当に時間がかかる。やっとのことでゴミ置き場横のコンクリートに座った。人の姿がいつもより多い気がする。休んだら1棟裏の道を行く。緑の金網で休憩して、郵便ポストで中を見て家に帰る。
9時半歯医者。この歯医者、今日オープンしたばかりだ。歯石取りと歯槽膿漏の検査。それで虫歯が見つかり、入れ歯はまたこの次だ。
昼1時半病院へ行く。娘だけだ。見るからに足取りが悪い。リハビリの先生は入念にチェックした。

10月10日水曜日 朝5時25分 便。 5時35分今日は調子がいいから2棟の方に行けると、と思う。プラゴミをもって中央玄関へ。外に出て駐車場を見ながらゴミ置き場に向かう。そろそろ右足が前に出なくなった。右足を後ろに置いたまま置き場横のコンクリートに到着する。段差を越えて置き場一番奥のネットの下にプラゴミを置く。
さてコンクリートに座って、道路にかかる段差は、私の足にとっては辛い、2棟には行けないなと思う。中央玄関からゴミ置き場までの半分はいいのだが、それからあとは歩くのがやっとだ。しばらく休憩して1棟裏の道を行こう。6時ちょっと過ぎだ。この時間は人影が途絶えている。雲の間に太陽が見える。いい季節になった。
1棟裏の下り上りを苦労しながら上っていると、画家が来た。二日酔いだといった。毎朝コンビニで買い物をするが、サントリーの安いウイスキーが見えている。いつまでたっても辞めないようだ。私は緑の金網で休んだ後、家に向かった。
昼1時玄関を出て中央玄関を通り、ゴミ置き場へ向かう。昼下がりの静かな時間だ。帰りも同じ道を通る。右足がきかないから大きく上げた。

10月11日木曜日 5時 便。 5時30分玄関を出る。曇っているが雨が降りそうではない。昨日お礼のはがきを書いたので出しに行くところだ。中央玄関からゴミ置き場まで相変わらず右足がいまいち上がらないから、一歩一歩は遅いけど高く上げるつもりで歩いた。置き場横で休憩した。
段差を下り道路を渡り、段差を上る。膝より下の鉄棒につかまって右足をおろし、姿勢を正す。この歩道はいつも行っている1棟裏道と同じだ。今回は足がきかないけど、時間をかけて進む。後ろからおばあさんが来た。富士山の見える駐車場の2軒手前の家の人だ。もう行ったの、えらいわね、といった。
私はポストに行くだけだ、と答えた。そう、私はローソンへ行って帰りはポストまで、という。ああ、コンビニですか、えらいですね、といった。葉書きを出してあげるというから私はもうそこだからいいですと答えた。いいわよと言って私の胸のポケットから葉書きを取り出した。
私はおばあさんがポストに葉書きをいれるのを見届けて、彼女が来たとき、お礼を言った。左手で書くのというから、何でも左手でやりますと答えた。おばあさんはそのまま歩いて行った。帰りは段差が低い鉄棒をわたってゴミ置き場横で休憩した。使わないから右足が弱るというのはわかる。なるべく使うようにしよう。
1棟裏道を行ったとき、画家に会った。今日は人に会うのだけれどひげをそった方がいいかなといった。私は緑の金網で休んだ後、郵便受けを通って家路に着いた。
12時半右足を使う、これをスローガンに400メートルを目指す。ドアを開けて中央玄関を通り、ゴミ置き場横まで行った。1棟裏の老紳士に会う。そこで今度は駐車場を右に戻るのだが、中央玄関を通り過ぎ花の道に入る。その終点で200メートルだ。今と同じようにゴミ置き場横から花の道の終点で終わり。1周目は帰りがきつい。
2周目は行きも帰りも右足をあげるのではなくて、自然と右左となっていた。

10月12日金曜日 5時 便。 5時半紙のゴミをもって中央玄関に向かう。紙と牛乳の箱は持ちにくいので、杖はいらなくなっていた。ゴミを置いたら、からだがおかしく、杖を頼りに1棟の窓下をわたって金網まで行く。そこでUターンし、100メートル歩いて、玄関に着いた。
1時風が強いので中央玄関から窓下を通って1棟の終点まで行き、それから戻った。模擬足はなるべく左足より前に置くように訓練した。

10月13日土曜日 朝5時 便。 5時半燃えるゴミをもって玄関を出る。右足があまり前に出ない。中央玄関を通り表に出る。時間がかかる。それでも右足は前に出ようとする。ゴミ置き場にあと何歩のないところで、いつものおばあさんが近づいて持って行ってくれた。彼女は、寒いねと言って元に戻った。
ゴミ置き場横のコンクリートで休憩した。2棟まで行こうと思えば行けるだろう。2,30メートルでUターンするかもしれない。ただ何かがあってブレーキをかける。結局1棟裏の道を選択した。
1棟裏の道は10センチほどの石がずっとそろっている。右足が敷石の谷間に引っかかってあやうく転びそうになる。下りと上りの中間で画家に会った。今日は眠くてたまらんといって遠ざかった。緑の金網で休憩し、郵便受けを垣間見て玄関に着いた。
12時半風が強かったので1棟の外れから2階に回ることにした。玄関から中央玄関まではいいのだが、1階のはずれまでは厳しい。1階から2階へ行く階段は以前ほど調子よくないが、2階で歩きはじめると右足は普通に出て調子よかった。ただ階段から中央階段までの中間ぐらいで右足の出が遅くなり、あとはもう悪戦苦闘だ。2階の外れに来て階段を下りる。右足で1段降りて左足をさらにという時、右足と同じ段になってしまった。
やっぱりからだがきかない。まして右ひじに掛けた杖が落ちてしまった。足で中間点まで落としてゆく。からだは左手の方に引っ張られて、踏んだり蹴ったりだ。中間点で杖を拾い、また降りる。
右足で1段降りて左足という時、右足より1段低いところに着地できた。だんだん慣れてきたんだ。1階の平面に降りて玄関に入った。

2018-10-06

日誌13


9月30日日曜日 朝5時半 便。 6時雨なので1棟の窓辺に行くつもりだ。しかし玄関を出たらすごい風だ。すごすごと引っ返した。
11時雨が止んで風もなかった。玄関を出て郵便ポストまで行く。右足を高く上げる。高くもないがこれでオーケーだ。それから中央玄関を出て、駐車場を見ながら右足を左足より前に出す。ゴミ置き場まで15メートルのところで右足が左足と同じ位置になった。それでもなるべく右足中心で行こう。
どこかしら私の名前を呼ぶ声が聞こえる。まさか私の名前じゃないだろうと思っていると、再び私の名前を呼んだ。私は顔をあげて前を見た。男が軽自動車を道路の脇に止め、荷台いっぱいに食べ物を並べて、それを男の奥さんだろう、女が売っており、おばあさんたちが値段をみながら買っていた。
そこに私の部屋の2階の人がいた。道路に出たらダメよ、と呼んでいた。私はうなずきながらゴミ置き場横のコンクリートに座った。10分くらい彼女らを見ていた。富士山の見える駐車場の手前2軒隣の犬を連れたおじいさんが車の陰から出てきた。今日は暑いね、といって挨拶した。私も首を縦に振った。
私は1棟裏の道を通って金網で休み、それから帰った。

10月1日月曜日 朝5時半玄関を出て表を見る。晴れているのはわかっているが、風があるのかどうか。部屋から外を眺めると木々が揺れていた。木が揺れていそうなら1棟の窓辺を行けばよい。表に出て郵便受けまでの50メートルは右足を前に出している。これでいい。
そこから1棟の窓辺を行くか、中央玄関を通ってゴミ置き場に行くか迷ったが、中央玄関を通ることにした。駐車場を見ながら最後の10メートルくらいがヤマだが、何とかクリアーしてゴミ置き場にゴミを置いた。そして横のコンクリートで休憩する。6時にはまだ時間があるが、出勤の人、犬を連れている人、駐車場から車を出してコンビニの方へ行く人など、ちらほらいる。
私は15分休んだら、1棟裏の道を行って下り上りの坂を2カ所しのいで、緑の金網で休憩した。それから郵便受けを見て、玄関に向かう。最後の踏ん張りだ。右足は左足と同じになるが、そこは右足に頑張ってもらって前に出し、玄関に着く。
昼1時半郵便ポストの端に連絡票を入れに行った。行きはいいが、帰りは厳しい。

10月2日火曜日 朝5時 便。2日ぶり。5時半ゴミをもってゴミ置き場に向かう。部屋にいるときから調子が悪い。右足が左足より短いようだ。だから右足が前に出ない。中央玄関を出ても同じだ。あと15メートルくらいでまったく進まない。左足を前に出しても右足が左足に揃わない。右足を中心に少しずつ歩く。
ゴミを置いたら休憩する。2棟を歩けたらと思うのだが、道路の段差が一苦労だ。休みながら上半身の体操をする。10分くらい休んだらもと来た道を歩いてゆく。時間がかかるが右足を前へ高くを繰り返して家に着いた。
1時半玄関を出る。なるべく右足だ。右足中心主義とでもいおうか。右足を左足より前に出す。郵便ポストまでは良くできた。これから窓越しに歩くがいくらか辛い。1棟の外れでUターン。右足を前に出したり、左足と同じ位置だったり、これを繰り返してドアーに着く。

10月3日水曜日 朝5時 便。 5時半プラゴミをもって表に行く。右足を左足より前に出す。中央玄関を過ぎて駐車場を見ながら右足中心主義でゴミ置き場に着く。置き場に置いたら道路を渡って2棟の方に向かう。車が来ないので助かる。右足を軸にして高く上げ、10メートルくらいは行った。
マンホールがあって、そこを通ったら右足が左足と同じくらいになった。曲がり角だ。右足を高く前に出す。下り坂は結構きつい。道路に着いたら囲いのコンクリートに手をついて、下りをこなして道路を渡り、次の段差をこなす。それを過ぎて左折すれば駐車場の2台目で100メートル。Uターンする。
帰りも同じだが、道路をまたぐ2つの段差をこなした後、2棟の一番外れで休む。5分で席をたって上り坂を右足中心で歩き、平坦になったら上りと同じことを意識して行った。左折してかすかな上りを苦労しながら馴染みの道路に着く。足の太ももぐらいの太いガードレールみたいなものを、またいで道路を渡り、あとは1棟の外れだから馴染みだ。
10分休憩して1棟裏の道を行き緑色の金網で休憩、それを終えて郵便ポストから家に着いた。1棟のゴミ置き場横で休憩した時、2棟のウオーキングマンと会い、続いて1棟裏の老紳士に会い、画家がコンビニへ行くのを見送り、2棟の勤め人と会ったのだった。
1時病院へ行く。1時半少し前に着いた。1時50分からリハビリを行う。リハビリの先生はさすがだ。やってもらっている私の方が感心する。靴を履いて立ち上がって練習した時、私が左側に倒れそうなとき私は倒れるならベッドの方だと思ったが、先生は素早くからだを支えてくれた。
右手の指が固まっていると、治療してアドバイスしてくれた。来週は火曜日だ。娘と母親が一緒に来た。

10月4日木曜日 朝5時半今日はゴミ集めなし。右足を前に出す練習。時間がかかるがこれで良し。中央玄関を出て駐車場を左に見ながら、苦しい時は右足を思い切ってあげながらゴミ置き場に着く。下りの段差を越えて道路を渡り、上りの段差を越える。2棟横の道路をまっすぐ進む。
だいたいここまではいいのだが、マンホールを越えると足が乱れてくる。右折して足を元に戻して坂道を行く。元気なころは坂道も気持ちよかったのだが、今は苦労が多い。足をあげてまた着くとき、下り分だけ着くかどうかわからない。やっと坂が終わって網の目になっている覆いを通り、また道路を挟んで段差が2つ、それをこなして左折する。
砂が多い道をこなして駐車場2台のところでUターン。帰りは緩やかな上りを行くのだが、足が乱れて苦労する。次は道路、網の目のふたを越えて、上りの坂道、これをこなして左折して、緩い坂道をゆっくりクリアー、道路を渡って1棟のコンクリートで休憩する。だいたい100メートル16分くらいだ。
あとは1棟裏の道から帰る。休憩中に2棟の勤め人に会い、1棟裏の老紳士と画家に会う。彼らが行ったら2棟のウオーキングマンが帰ってきた。

10月5日金曜日 朝5時 便。 5時半新聞紙のゴミを出しに行く。この距離なら右足の前出しも気持ちいい。ゴミを置いて、帰りは右足先頭のまま歩き、右足後ろのまま歩き、これを5メートルずつやってドアーに着いた。今日は雨だ。
昼2時右手におはじきをつけていたら足がきかなくなった。そこで郵便ポストまで歩いてみようというわけだ。ゆっくり歩く。途中で足が混乱してきた。戻して郵便ポストまで行き、帰りも同様に右足中心で歩く。今までで一番時間がかかった。

10月6日土曜日 朝5時 便。 5時半燃えるゴミをもってゴミ置き場に行く。右足が前に出ないから思い切って右足が前に出るようにする。時間がかかる。中央玄関を過ぎて右足はますますおかしい。置き場まで15メートルのところで、荷物、持ちましょう、と私より5軒先のKさんが声をかけてくれた。
交通事故に遭う前は大丈夫ですといったものだが、今は嬉しい。ゴミ置き場横のコンクリートで休憩する。2棟へ行こうと思っても道路の段差が気にかかる。結局1棟裏へ行くことにした。下り上りの坂は苦しいが、何とかこなして緑色の金網で休み、郵便受けを通ってドアに着いた。
12時右足を前に出す練習、1棟の端までは練習になっているが、帰りは四苦八苦だ。窓よりの方が道路側より高くなっているからか。ドアに着くのに何分かかっただろうか。

2018-09-29

雑草刈り + 日誌12


雑草狩り
台風の来ないうちにといおうか、植木屋が電動芝刈り機みたいなもので雑草を刈っていた。今までなら手で雑草を引き抜いていたと思うが、電動だとさすがに速い。彼岸花が2カ所一列に咲いていたが、この植木屋さん、それらを残していた。彼岸花は曼珠沙華ともいう。テレビのニュースを見ていると、方々にきれいな赤が競い合って咲いている。
名前はわからないが8割がたの雑草が刈り取られ、最後の2割は建物のベランダ近くで咲いている、丈が20センチほどの草である。これも名前は忘れてしまったが、白とピンクの花が咲いている。彼岸花と同じように残しておくのかと思っていたが、残念ながら刈ってしまった。そのうち彼岸花だけが咲いてあとはきれいになっているのだろう。
台風の影響で2,3日雨が続き、やっと晴れて地面の草が運び込まれると思っていた。ところが植木屋は来なかった。次の日も来ない。ひょっとしてあのままにしておくのか。彼岸花はもう盛りを過ぎ、枯れ始めていた。次の台風が来はじめている。ベランダ沿いにある一本の草がピンクの花を咲かせていた。

9月23日日曜日 朝5時15分 玄関を出て鍵を閉める。まだ薄暗い感じだ。中央玄関を通り駐車場を見ながら団地入口に着く。道路に出てマンホールを越え、小さな坂道を過ぎたあたりで1棟裏の老紳士に会う。富士山の見える駐車場へ来た。ここまでも厳しいが、これからゴミ置き場始点の坂道をえっちらこっちら超える。きついところだ。
八百屋を通って一番急な坂をこなせばUターン。帰りも右足が前に出ない。左足と揃ってしまう。しょうがないからこれで富士山の見える駐車場まで行った。画家に会う。続いて2棟のウオーキングマンが挨拶する。例の老婦人の家あたりで1棟裏の老紳士に会う。もうこの辺は足が効かないほど辛い。
おはよう、といったから誰かと思ったら帽子、ブラウス、スラックスまで黒一色の婦人だった。娘が一緒だ。大分時間がかかるよ、と私はいった。いつでもいい、と娘が答えた。私はゆっくりすぎるほどゆっくり歩いた。画家がコンビニの袋を下げて通って行った。やっとゴミ置き場横のコンクリートで休憩する。
今日は1棟裏には行かないで駐車場から中央玄関を通って玄関に着いた。あの二人はもう何かを始めていた。私の世話をしてくれている。
午後1時部屋にいる時から2棟へ行くことを決めていた。玄関を出て中央玄関を通りゴミ置き場に着く。そこでコンクリートにつかまって下りの段差をクリアーし、道路を横切って太い50センチほどの鉄棒につかまって上りの段差を越える。そこからの100メートルは、昔なら軽いものだったが、今はきつい。
70から80メートルに下りの坂があり、それを越えると道路だ。道を横切って、つまり下りと上りの段差を横切って駐車場の2台目が200メートル。そこでUターンしてきた時と同じように歩いて1棟のゴミ置き場横のコンクリートで休む。時間がかかるがまあ何とかこなせた。
それから1棟裏の道を行って金網で1分休み、郵便受けを通って玄関に着いた。

9月24日月曜日 朝5時 便、2日ぶり。5時15分暗い中、表に出る。駐車場を見ながら道路に向かう。ひょっとしていつものUターンからもっと先に行けるか。2棟のウオーキングマンに会う。ゴミ置き場に着いて、コンクリートを頼りに足をかばって道路に出た。2棟のウオーキングマンに会う。相変わらずマンホールとそれを囲む砂に足を取られる。1棟裏の老紳士に追い越される。
坂道を過ぎて富士山の見える駐車場に着いた。この平坦道路は厳しい。Uターンの先は無理だ。ゴミ置き場から坂道で厳しさは変わらず。八百屋のちょっと先でUターン。下り坂でも右足が左足の前に出ないから厄介な歩きだ。例の老婦人が通る。左からの急な上りとの交点まで行くという。
下り坂を過ぎて富士山の見える駐車場で画家に会う。その後に2棟の勤め人に声をかけられる。ここまで来ると300メートルの先まで行くというのはまったくの笑い話だ。2棟のウオーキングマンが家に帰る。続いて2棟裏の老紳士が通り、画家がコンビニの袋を下げて帰って行った。
ゴミ置き場横のコンクリートで一休み。今日も1棟裏は休みで、花の道へ行くことにした。昨日の婦人と娘が挨拶した。彼女らには先に行ってもらう。花の道は敷石の境が雑草で歩きにくくなっていた。玄関に着いた。
昼12時半表に出て中央玄関を通りゴミ置き場横に着いた。15分だ。今はそんなに悪くない。段差の上下は昨日と同じ。2棟に入り、苦労しながら歩き、右に曲がって坂を下りまた段差を上下してゴミ置き場を左に曲がって200メートル。ここでUターンして上りの坂を上がり平坦な道を左に曲がった。
婦人と娘が見えた。スーパーに行って疲れたので家に来ていたのだ。さよならをした。1棟のゴミ置き場横のコンクリートで一休み。そこから1棟裏の道に入って金網で休憩し、郵便受けを通って帰宅した。

9月25日火曜日 朝5時 便。 5時半ゴミをもって表に出る。雨が降るのか降らないのか分からない空模様だ。中央玄関を出て駐車場沿いに歩く。ゴミ置き場横に着いたのが18分くらいか。コンクリートにつかまりながらからだを直し、ゴミの集まっている置き場の一番奥に、大きな袋の先端をガムテープで縛ったゴミを置く。
それが終わってコンクリートにからだを預けて、低い台座に座って休憩する。今は6時前後だが人影はない。15分くらい休んだか、1棟裏の道を行く。下り上りの坂道をこなして緑の金網で一休み。1分経って吹き抜けを通り、花の道を行こうとしたらやはり空模様が悪いので、それは止めにした。
郵便受けを垣間見て最後の力を振り絞って玄関に着いた。

9月26日水曜日 朝5時15分プラゴミをもって表に出たが、何か雨が降っていそうだった。道路に雨粒はないが、雲行きが怪しいので止めにして、ゴミを玄関の外に置いておいた。そのうちちゃんと止んだら持って行こう。それまでパソコンをやるか。今まで読んでいないものを選んだ。
6時15分雨が止んだようだから表に出てプラゴミを持って行く。すごく大きな袋になってしまったが、中身は軽い。中央玄関で外に出ようかと思ったが、まだ空は怪しいので1棟の窓沿いに行くことにした。杖の先端に袋を巻き付けて、右足は左足と同じだけしか伸びないのを見ればおかしいと思うだろう。
窓沿いが終わって小さな坂を上った。杖の先端に袋を巻きつけたまま、その手の指を金網にくっつけて一歩進み、同様のことを4回やって外に出た。雨はかすかに降っていた。ゴミ置き場の一番奥にゴミを置いて、コンクリートの枠に左手を置きからだを回転させて1棟の坂を下った。
あとは時間がかかってもいい。いや、そんなに掛けちゃいけないのだが。まあ何とか玄関に着いた。
昼1時病院へ行く。30分前に着いた。同行の婦人と娘が雑談している。右足がおかしいとリハビリの先生に言う。先生は入念にリハビリし、立ち上がって先生の肩に手を置いて右足の練習。それから部屋を一周して、その間にグローブのようなものを右足の膝で蹴って歩いた。
怖がっていたら駄目なことがわかる。なるべく右足を蹴って歩いてみよう。

9月27日木曜日 朝5時 便。朝からしとしと雨だ。
「植木屋」を書いた。

9月28日金曜日 朝5時 便。 5時20分紙ごみをもって中央玄関に行く。意識的に右足を前に出して歩いた。右足を蹴って歩いてみると、はたから見れば格好悪いとリハビリの先生はいう。私からすれば格好悪いのはいつものことだが、足を蹴って歩くということがうまくいかず、ただ前に出すということになっているのだろう。
中央玄関には紙ごみや段ボールが一つもなかった。私は紙ごみを置いて表に出た。足を蹴るとまではいかなくても右足を前に前にと意識していた。道路に出て富士山の見える駐車場まで来た。足のもつれはないが時間がかかる。ここで帰ろうか。Uターンした。1棟の道を二往復すればいいだろう。
ゴミ置き場から50メートルの地点、富士山の見える駐車場からも50メートルだが、そこまでは右足を前に出して歩いていたが、そこを過ぎると足がもつれる。道路工事で1メートルくらい新しいコンクリートを埋めたのだが、それが2カ所あって両足が揃ってしまう。ゴミ置き場まで両足が揃うから余計に時間がかかってしまうのだ。
画家と会う。続いて1棟裏の紳士が帰ってくる。ゴミ置き場横のコンクリートで休憩した。時計を忘れてしまったが6時15分くらいか。今朝はこれくらいでいいだろう。あとで2往復ぐらいできるだろう。駐車場をみながら花の道を通って帰った。
11時半200メートル歩いた。中央玄関を過ぎて1棟の窓辺を行ったが、足が前に出なかった。帰りはもっとひどい。ひどいというか、両足が揃うとまずいから右足を前へ出そうとするが、左足と同じになってしまう。そしてその歩みが固定してしまう。どうしようもなかった。

2018-09-23

「j時代を読む」 内山 節 + 日誌11


 日本の各地を歩いていると、現在ではどこに行っても移住者たちの姿をみかけるようになった。私の村の家がある群馬県上野村でも、住民の二割強が移住者である。
 移住者が定着し、さまざまな活動を生みだしている地域では、必ずといってよいほど、その人たちに活躍の場を提供している、元々の地域の人たちがいる。昔から暮らしていた住民が新しい人を迎え入れ、支えている。そして、この昔からの地域の人々の精神は、本当の意味での保守主義に根ざしている。政治的な意味での保守ではない。昔からつづいてきた地域を守りたい、この地域の暮らしを守りたいという思いがその人たちにはあって、この心情のなかに、私は本当の意味での保守主義を感じるのである。
 何もしないでいたのでは、伝統的な農山漁村は崩壊してしまいかねないのが今日の現実である。新しい試みを導入していかないと地域は守れない。だから移住者たちも迎え入れるし、彼らに活躍の場を提供する。そのことをとおして、伝統的な地域やそこでの暮らしを守っていこうとしているのだから、考えてみればそれは、保守の心情である。
 保守と革新という言葉を使うとき、ソ連が崩壊する1991年までは、革新の側は、内容はさまざまであっても、社会主義思想を参考にする立場をとっていた。資本主義的な社会を、より自由で平等な社会につくり替えていくというのが、革新の立場であった。革新の側は改革をめざし、保守は改革を拒む勢力だった。
 ところが今日では変わってきている。政治的保守の側が新自由主義、市場原理主義的な改革や、戦後社会のかたちからの脱却を主張している。憲法改正もその路線にもとづいて提起されている。
 それに対して、この動きに批判的な人々は、戦後にめざした平和主義や自由、平等といった理念を守ろうとしているのだから、ある意味では戦後的保守主義なのである。
 かつては、変革を主張する人たちが革新の側であった。ところが今日では、戦後の理念を守り、地域や地域の暮らしを守ろうとする人たちが、政治的には改革派の役割をはたしているといってもよい。
 私の暮らす上野村でも同じである。村人たちは伝統的な上野村を守りたいと思っている。自然とともに暮らす村、人々がごく自然に助け合う共同体としての村、村の外の人たちとも結び合う開かれた村の伝統を守りたい。そのために新しい試みを重ねていく。村を変革するためにではなく、伝統的な村を守るためにそうしているのである。現在の上野村は自然の力を使った地域エネルギーで暮らせる村をつくろうと努力しているが、それも伝統的な村を守る試みのひとつである。
 政治的保守の側が原発の必要性を主張し、すべてを市場にゆだねた弱肉強食的社会に向かって社会を変えていこうとする。この動きを批判する人々が、自然とともに生きる社会や共同体的な助け合える社会、経済成長よりも充足感のある生き方ができる社会などを主張する。そしてその奥には大事なものを守ろうとする、本当の意味での保守主義が流れている。
 振り返ってみると、歴史が変わっていくときには、必ずといってよいほど言葉の意味も変わっていった。とすると保守という言葉の意味が変わりはじめた今日もまた、歴史の変動期なのかもしれない。
(哲学者)

日誌11
9月15日土曜日 朝5時 便。 6時雨が止んでいたのでゴミをもって出掛けた。中央玄関までは足が上がらず7、8分はかかってしまった。表に出て駐車場沿いに歩いていたら少し足が治った。ゴミ置き場でゴミを置いて休もうとしたら、雨が降ってきた。急いで坂を下って1棟の壁で休んだ。
休んだ後は足が上がらず壁沿いに中央玄関まで何分かかっただろうか。郵便受けを確認し、足を引きずりながら玄関にたどり着いた。

9月16日日曜日 朝5時半玄関を出る。ゆっくり歩いて中央玄関を通り抜け駐車場を見ながら、100メートルで帰ろうかなと思う。ゴミ置き場に来て150メートルでUターンするかと考えながら、富士山の見える駐車場に来た。ここまで来た以上あと50メートルで坂の手前だからちょうどいいだろうと思う。
いつもの老婦人に会った。コンビニに行って帰りは団地まで行ってまた戻って行くという。私はついでだから八百屋を過ぎてUターンした。この下り坂は歩きやすいが、ゴミの集めるところあたりから平坦になるので足が上がらなくなる。右足を前に、右足を後ろに引いたまま、この2種類を交互にやる。
2棟のウオーキングマンに会った。いつもより帰りが早いようだ。いつもの老婦人の家の前から早めに歩く。画家に会う。ゴミ置き場横のコンクリートで一休み。今日は1棟裏には行かないで、そのまま駐車場の前を通って中央玄関から家路に着いた。大分時間がかかったようだ。時計を忘れてしまったが、部屋に戻ったのが7時半だ。
昼12時玄関を出て駐車場を見ながらゴミ置き場手前のコンクリートで一休み。しばらくして2棟の横に入る。4棟の前で右に曲がり200メートル地点でUターンし、2棟の南側で休憩、そして坂を上って西側に行き、そのまま道路を渡って1棟のコンクリートで一休み。今日は花の道はナシだ。今までが辛すぎた。中央玄関を通って家に入る。

9月17日月曜日 朝5時 便。 5時20分玄関を出て表に出る。月曜日は缶・びん・ペットボトル。これ以外は昨日と同じだ。ゴミ置き場まで100メートル、富士山の見える駐車場まで200メートル、八百屋の先の電柱まで300メートル、これでUターンする。250メートルぐらいで150メートルの地点に家があるいつもの老婦人に会った。
八百屋あたりを歩いていると、その老婦人に出くわした。300メートルまで行って帰ってきたのだろう。私は折り返して歩いていると2棟の老婦人に会った。買い物袋がいっぱいだ。私がその旨いうと、コンビニでねといった。八百屋の自動販売機で何かを買っていた。そこはちょっとした坂だから帰りが大変だ。
富士山の見える駐車場付近で2棟のウオーキングマンが挨拶した。団地入口あたりで画家が見えた。あっという間に画家は来て、あそこでメンソール煙草をもらったといった。ゴミ置き場横のコンクリートで休憩。静かだ。敬老の日だからか。10分休んで1棟裏の道を通って二つの下り上りをクリアーして緑の金網で休憩する。
1分休んだら吹き抜けを通って郵便受けを確認して、玄関に入った。7時50分になっていた。昨日と違うのは1棟裏を通ったことだ。

9月18日火曜日 朝5時 便。 5時半今日はゴミの日だが、小さい袋一つだけいっぱいだ。土曜日に回せばいいと思って手ぶらで玄関を出た。ゴミ置き場横のコンクリートまで14分。道路に出ていくつかのマンホールと坂道は厳しい。富士山の見える駐車場を通ってゴミ置き場までがまたしんどいな。
上り坂を踏ん張って八百屋の先でUターン。例の老婦人が、えらいわねといった。彼女は同じところでUターンするらしい。帰りは右足を左足より前に出す練習をした。駐車場付近で2棟のウオーキングマンに会う。続いて1棟裏の老人に会う。彼はコンビニで何か買ったみたいだ。
画家に会う。その後2棟の勤め人が、おはようといった。ゴミ置き場横のコンクリートで休憩。画家が帰ってきた。私は1棟裏の坂道二つを通って金網で休んだら、吹き抜けを抜けて郵便受けを見て家に帰った。
午後2時玄関を通って中央玄関へ、それから1棟横の白い棒を頼りにエッチラと道路の手前まで行き、帰りはまったく同じ、中央玄関を抜けて玄関に着いた。

9月19日水曜日 朝5時 便。 5時20分右足の出もいいし、これなら300メートルを超えて歩道が書いてある終点、350メートルまで行けるだろう。玄関を出て中央玄関に行く。部屋のなかより調子は良くないっぽい。駐車場を見ながらマンホールのふたに来た時、1棟裏の老人が入り口から入ってきて、持ちましょうといってプラゴミをゴミ置き場まで運んでくれた。
入り口から5,6メートルまでなら持って行ってくれることもあるが、今朝の地点は入り口から15メートルはある。親切なことだと感心した。道路に出てマンホールと坂道、昨日と同じだ。足が効かなかった。富士山の見える駐車場からゴミ置き場の坂道を苦労しながら歩いていたら、いつもの老婦人が、えらいねと言って通り過ぎて行った。彼女はえらいねがおはこだ。
八百屋の坂道を歩いてUターンした。例の老婦人が帰って行った。今日はコンビニまでだろう。私はこの坂道はいい。しかしこれが平坦になると足が上がらない。富士山の見える駐車場から例の老婦人の家あたりが厄介だ。1棟裏の老人が帰って行った。それから2棟のウオーキングマンが、おはようといって通り過ぎた。画家がなんだかわからないが何かを言いながら通って行き、2棟の勤め人が、どこまで行ったのといった。だいたいここら辺が1棟裏の老人、2棟のウオーキングマン、画家、2棟の勤め人と4人に会うのだ。
ゴミ置き場横のコンクリートで休憩した。画家が帰ってきて、夜は食い過ぎたといった。私は1棟裏の歩道を通って下り上りの坂をやり過ごし、もう一回下って上って緑の金網で一休みしたら、郵便受けを見て玄関に着く。
昼1時半病院へ。知り合いの女性が一緒だ。受付で手続きをして彼女たちを待っていると、ゆっくりやってきた。2階に上がってリハビリ室に入り、私と知り合いの女性は椅子に座って待った。リハビリの先生が始めるといった。女性二人はしばらくそのままにしていたが、5分ぐらいして私がリハビリをやっているベッドに来た。
あとで見ると、私の練習を図に描いていた。私が、やりたいと聞くと、彼女は、やってもいいと答えた。しかし彼女のいた病院で果たしてやれるだろうか。帰りはスーパーによって、4時過ぎに帰宅した。

9月20日木曜日 朝4時45分 便。 5時10分玄関を出る。足の出がスムーズでない。20分かかって道路に出た。2棟のウオーキングマンが挨拶する。その後から1棟裏の老紳士が通り過ぎた。画家が、変な時間でしょといった。鎌倉で個展をみんなとやるので打ち合わせがあるらしい。その前に朝食をということだ。
富士山の見える駐車場までは大変な距離だ。例の老婦人が通り過ぎた。ゴミ置き場からの坂道は辛い。八百屋の先でUターン。例の老婦人が帰ってきた。私は下り坂は得意の方だが、今日は足だ。上がらない。画家がコンビニの袋をいっぱいにして帰って行った。平坦な道でも辛い時は辛い。
2棟のウオーキングマンが帰り、1棟裏の老紳士も帰ってきた。2棟の勤め人が出勤だ。私はゴミ置き場横のコンクリートで休憩。10分したら、1棟裏に足を運び、2つの坂を通って金網で一休み。それから郵便受けをチェックして玄関に着く。

9月21日金曜日 朝5時 便。 6時紙ごみをもって中央玄関に行く。今日はゴミ置き場が整然としていた。私は紙ごみを、前の人の新聞紙の上に置いた。雨はあまり強くはなかった。一日中降ったり止んだりか。行きも帰りも右足が棒のようだ。うまく効かない。
昼2時 生協の袋で私の名前を消していると、下の娘が来た。さっそくリハビリをやってもらった。リハビリが終わると窓ガラスを拭いてくれた。ガラスが汚れているなと思っていた。いいタイミングだった。
隣が何か荷造りをしているようだと娘がいった。そのうちはっきりするようだが、隣の人が病院から戻ってきたのか、あるいは病院で死んでしまったのか、まだわからない。部屋のドアに、ご用の方は玄関まで時間がかかるのでしばらく待ってください、と張り紙が貼ってあった。

9月22日土曜日 朝5時 便。 5時半 表に出る。曇り空だ。足はすこしよくなったが、焦っても結果は変わらない。中央玄関を通って駐車場に出る。はるか向こうの道路に1棟裏の老紳士が通った。私は時計を忘れたが、ゴミ置き場まで20分か。ゴミを置いてコンクリートで休憩する。
土曜日でそれも雨の切れ目で人通りがない。15分休んでいたが、車が2台走って行っただけだ。1棟裏の通路を通って、2つの下り上りをこなし、緑の金網で休んだ後、郵便受けを垣間見て玄関にたどり着いた。
11時半玄関を出る。左へ行って雑草が刈り取られたのを見る。刈ったのはいいが、土の上の雑草はいつ持ち運ぶのだろう。向きを変えて中央玄関へ行く。花の道へ行こうと思ったが、今日は無理だ。そのまま玄関へ帰る。

2018-09-15

『失われた時を求めて』 + 日誌10


 マルセル・プルースト(1871―1922)の『失われた時を求めて』は入院中に読み始めた。第一篇「スワン家のほうへ」から順番に第七篇「見出された時」まで全10冊である。9月7日に第五篇「囚われの女」を読み終わった。『失われた時を求めて』は大きくいって貴族の夜会とアルベルチーヌという庶民と私の同棲生活を描いている。
 『失われた時を求めて』は中途なので論じることはできない。第一篇の「スワン家のほうへ」は映画にもなっている。先日テレビでやっていたが、時間が遅いので見ることはできなかった。しかし第一篇だけではなく『失われた時を求めて』を全編にわたって読み終えたにしても、論じることはおそらくできないだろうと思う。
 ここで取り上げたのはドストエフスキーに関してである。アルベルチーヌが同棲生活を切り上げる箇所にあたる。彼は彼女にこう語っている。P667以降。
 「ドストエフスキーの女性は、神秘な顔をしていますが、その顔の善良そうな美しさが、突然に変化して、いままではお人よしに化けていたかのように、おそろしい横柄さをあらわすようになります。」
「ドストエフスキーは、ああいう女の顔、本人をまるで別人のように見せながら、爆発する、うってかわった、突然傲慢さにふくれあがる、あんな女の顔しか知らなかったわけではない、ということです。」
 「ドストエフスキーでは、人物の創造があるばかりでなく、また住まいの創造があるということです。(略)あの暗くて、長くて、天井が高くて、とらえどころがない家、ドストエフスキーに出てくる殺人の家の傑作ともいうべきあの家とおなじようにすばらしくはないですか?ある家がもつ、このぞっとするような新しい美、女のある顔がもつ、この混成された新しい美、それこそドストエフスキーがこの世界にもたらしたユニークなものであって」
 「その(ドストエフスキー)主人公たちは、うたがいようのないまったくの犯罪者ではなく、情状が酌量される罪を犯しているんですよ。(略)だがやはりぼくも認めますよ、ドストエフスキーにおける殺人へのあのような先入観念には何か異常なものがあり、それが彼をぼくとは非常に縁遠い人間にしてしまうということを。(略)ぼくはドストエフスキーのなかに、人間の魂の、度はずれに深い、だがあちこちの地点に孤立している、いくつかの井戸を見出します。」
 「彼(ドストエフスキー)にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇りが高いという一つの性質があらわす二つの状態にすぎないのです。(略)現実のままの自分の正体を人に見せることを禁じているというわけなのです。」
 「さながらそれを思わせるのが、あわれな狂女を身ごもらせる父カラマーゾフの罪であり、またその狂女の神秘な、動物的な、説明のつかない心の動きではないでしょうか?それとは知らずに運命の復讐にもてあそばれた彼女は、おなじくまた暗い心のなかで母としての自分の本能にしたがいながら、そしておそらくは、犯した男へのうらみと肉体的な恩義とのまじりあった気持ちにひかされて、父カラマーゾフのもとに出かけてお産をするのですよ。」
 「ドストエフスキーのなかには、やがてトルストイのなかで満面のほころびを見せるものが、まだしかめっ面をした、不平そうな顔で、たくさん詰まっているのです。」

 プルーストがドストエフスキーをかたるとき、「彼の小説のなかでもきわめて少数にすぎません」が、復讐とか贖罪のイメージが途切れてはまた繰り返し繰り広げられてゆくのである。その中で女性の印象がプルーストには強いようだ。女の顔が持つ、新しい美しさがドストエフスキーのユニークな点である、そのように見える。
 アルベルチーヌが「私が読んで知っている彼の小説はみんなある罪の物語という題名をつけることができそう」というとき、それは彼にとり憑いている一つの妄想であり、自然ではない、と彼女は考えている。いつもそんなことばかりでは、おかしいのではないかというのも、うなずける。

日誌10
9月8日土曜日 朝4時 便。 5時15分玄関を開けて外に出る。中央玄関を出て、今回は建物の塀沿いに進んで、2台の駐車を眺めたら道路を渡ってゴミ置き場に着いた。土曜のゴミは置き場の右端にあるので厄介だ。1棟の住民はもうだいぶ出している。今日は風が強いので道路に出るのは無理だ。
ゴミ置き場横のコンクリートで少し休む。気持ちがいい。帰りは1棟の横を歩くのだが、もう1周して400メートルにしようか。いつもこんなことを考えている。結局は駄目なことが多い。今日はどうか。中央玄関までたどり着き後は1歩ずつと思ったら、2周目が行けるか不安になってきた。
行けるところまで行くんだと景気をつけ玄関を過ぎて、道路の終着まで行く。ああ、やっぱり無理だ。5メートルぐらいの道のりを歩いて玄関に戻った。

9月9日日曜日 朝5時 便。 5時30分玄関を出て中央玄関に向かう。ピッチは遅いがこれなら何とかなると思う。駐車場を左に見て、ゴミ置き場に近付く少し手前、ちょっと上りになっているが、そこで足が上がらない。思い切って足を出しコンクリートにつかまって道路に出た。
今日は何が何でもここから200メートル行くのだ。富士山の見える駐車場からゴミ置き場を通って八百屋を過ぎ、少し行った電柱でUターンだ。ここから急いでいるのがわかる。路側は少し坂だ。それを過ぎて八百屋まで来ると体勢をなおし、右足を前に出す。下り坂だからこんなことも可能だ。
ゴミ置き場を過ぎると道路は平坦になり、右足を前に出す体勢もおっかなびっくりになり、一二と掛け声をかけないと前に進めない。富士山の見える駐車場あたりで画家に会う。続いて背後から2棟のウオーキングマンが、おはようといった。ゴミ置き場横の踏み段で休憩する。コンビニ帰りの画家に会う。
10分休んだ後、1棟裏へ行って下り上りを2回こなして緑の金網で休んだ後、郵便受け
の中身を確認し、玄関に向かった。

9月10日月曜日 朝5時20分ドアを開けて表に出る。中央玄関を通り、駐車場の前を行く。部屋にいる時、雨が降っていると思っていたが、外はいい天気だ。ゴミ置き場で空き缶とペットボトルを出して、どこへ行こうか、雨が降らないとは限らないから2棟の裏に行くことに決めた。
道路を渡って7,80センチの金属の棒を頼りに道路の段差を通りぬけ、2棟の横に入る。思ったより楽だ。裏に回って下り坂を歩く。ここはあまり良くない。足がもつれるようだ。2棟が終わって駐車場の脇に手をついて、道路を渡る。それからまた駐車場の脇に手をついて、道路から3棟の駐車場に入り駐車場の2台でUターン。
帰りはまったく同じ、さっきの下り坂が上りに代わる。上りが終わってこれから平坦だと思っていたら、足が伸びない。行きは楽だと思っていたら実はかすかな下り坂だったのだ。さてかすかな上りを何とかやり過ごし、道路に出てまた道路を過ぎてコンクリートで休憩した。道路に出る時、画家にあった。
休んでいると、2棟から来たおばさんが杖を突いて左足をかばって歩いていた。左手を見ると少しやはりかばっているようだった。彼女は足が痛いといっていたが、脳梗塞だろう。小さな雨が降ってきた。傘はさせない。バス停まで大丈夫だろうか。そのうち2棟の勤め人が挨拶をして通って行った。
小さな雨はやまない。1棟裏の老人が、雨が降ってきたといった。私は1棟の陰に寄り添った。2棟のウオーキングマンが傘をさして帰ってきた。雨がかなり降ってきた。私は1棟の窓下を通って中央玄関へ行き、ドアのかぎを開けて帰ってきた。

9月11日火曜日 朝4時45分 便。 5時玄関を開けて表に出る。まだ暗い。空を見ると今にも降りそうな雲だ。風が出てきた。今は止めた方がよさそうだ。部屋に戻ってカーテンを引いたら雨が上がった後だった。ベランダが濡れていた。火曜のゴミは11時ごろだから、雨も降らず風もない時があるだろう。
9時半ゴミを出しに行く。中央玄関までは比較的スムーズに行ったが、外へ出ると風が強く、1棟のフェンス沿いを歩いた。大風が来ると立ち止まる。風が止むと歩くのだが、右足が今まで以上に伸びなくて弱った。風で休み風が収まると歩く。左足の30センチしか歩けないが、何とかゴミ置き場に着く。
ゴミ箱の一番外れにゴミを置き戻ってコンクリートで休憩。あまり長い時間休んでいるといつ風が吹くか分からなので、5分ぐらいで立ち上がる。白いフェンスに沿って歩くのだが、右足を思い切って出す練習をした。いい時もあれば悪い時もある。一生懸命歩くだけだ。そのうちに玄関に着いた。

9月12日水曜日 朝5時 便。 5時20分玄関を出る。中央玄関から駐車場を通る。今日はまずいい方だ。ゴミを捨てたら道路に出て、コンビニの方に向かう。富士山の見える駐車場を通り、次の駐車場にかかると足色が鈍ってきた。ここは何としても頑張らないといけない。八百屋から坂が急だが踏ん張ってUターンできた。
帰りは右足を後ろにしたまま、スピードは出たようだ。いつも会う老婦人が挨拶をする。私は左から上ってくる道路との交わるところまでよと彼女はいう。いつもゴミ捨てをして元気じゃないですかと私。しかし私のしゃべる内容があまり理解できないようだ。彼女は右手に杖をもって歩いて行った。
私は右足を前に出したり後ろに引いたまま歩いていた。さっきの老婦人が帰っていた。今度は団地の2号棟へ行って、それから戻って家に帰るそうだ。画家が来た。彼は老婦人の家の前で彼女と話していた。あと50メートルだ。1棟裏の老人が帰ってきた。その後2棟のウオーキングマンが通った。ここまで来ると足が言うことを聞かなくなる。やっと休憩だ。
あまり足が言うことを聞かないからちょっと休んでから、1棟の通路を、右足を後ろに引いたまま2つの坂を乗り越えて金網を通り抜け、郵便ポストから家に帰った。

9月13日木曜日 朝4時45分 便。 5時15分玄関を出て表に出る。中央玄関を通り駐車場を見ながら道路に足を踏み出す。良くはないがこれで我慢してここから200メートル行くことにする。最初の坂を上りきって富士山の見える駐車場を通り、ゴミ置き場を抜けて八百屋から一息頑張ってUターンした。
ゴミ置き場の駐車場から少し団地寄りに住んでいる老婦人が、今日は寒いわねと言ってコンビニの方へ歩いて行った。急な坂道は気を張って右足を前に出したり後ろに置いたまま歩く。1棟裏の老人が、今日はいつもよりいいねといって帰っていった。富士山の見える駐車場を過ぎた。
画家が、今日は鎌倉に行くんだといってコンビニの方へ行った。2棟のウオーキングマンが挨拶をして通り過ぎた。同じく2棟の勤め人が、寒いねと言ってバス停へ向かった。コンクリートの踏み石で一休みした。今は誰もいなかった。休んでいると女高生が団地を通ってきた。裏の人が早道なのだろう、たまに歩いていく。
1棟の横を抜けていると50代の女性が、おはようといった。私はおはようといってもなんだかわからないだろう。2つの坂道を通って金網で1分休憩し、郵便受けを垣間見て玄関に着いた。
2時病院へ行く。今日は定期検診なので診察室に入る。いつもと違う代理の医師だが、私の手を見て、右手をなるべく使うようにしてください、そうしないと肩に力が入りそのまま固定しますといった。何度も言われていることだが心に銘じておこう。

9月14日金曜日 朝5時 便。 5時半紙ごみを捨てに中央玄関に行く。今朝から足が上がらず困ったが、少しずつ上がるようになった。今日は雨だ。ゴミを置いてから足が左足より右足が意識的に前に出るように歩いた。玄関に着いた。
6時半中央玄関まで100メートル。行きも帰りも調子は良くないがまずまず歩けた。11時半、2時半ともに中央玄関から家路へ。

2018-09-07

日誌9


9月1日土曜日 朝5時15分散歩に出る。燃えるゴミをもって中央玄関から駐車場の前を通り、ゴミ置き場から置き場の中に入ってごみを捨てた。道路に出てマンホールを越え、上り坂をこなし平坦な道に出て富士山の見える駐車場に着く。今日は曇りだから富士山は見えない。
ここからだいたい調子が良くない。コンビニまで行こうかと思ってもここで挫折する。ゴミ置き場から上り坂をエイショッとこなして八百屋を通りUターンする。いつもの犬を連れた老婦人が挨拶する。今は6時5分、自慢できない。足の使い方はいいと思う。さあ、下りという気にはならないけどこれが今の状態だ。
富士山の見える駐車場あたりで2棟のウオーキングマンが挨拶した。ちょっと今日は早いのではないかな。続いて1棟裏の老人が、だいぶ良くなっているよといった。画家に会う。ゴミ置き場横の踏み段で休憩する。3人ばかり挨拶してゴミを捨てて行った。ここから50メートル富士山の見える駐車場の方に行った老婦人が挨拶する。
1棟裏の道を行く。画家が帰っていった。緑の金網で一息入れて郵便受けの前を通り家路についた。 

9月2日日曜日 朝5時 便。 朝から雨が降りそうな天気で、8時前から雨が降り出した。2,3時間で雨は止んだが、またいつでも降り出しそうな雰囲気だった。2時半ごろからは雨の降る様子はなくなった。
今日はどこへも出かけないので、足の調子が良くなると思っていたが、足の重さは昨日以上だった。夜寝ると治るのだろうか。

9月3日月曜日 朝5時 便。2日ぶり。 5時20分ゴミをもって外に出る。今回は一升瓶。続いて缶の袋がある。夜寝ると治るはずだが、とんでもなかった。足が重いというか、前に出ないのだ。右足を思い切って前に出すが、下ろした先は左足の30センチというわけだ。それでも右足を重心にして歩く。
缶、ビン、ペットボトルはゴミ置き場の一番手前にあるので、捨てるのが楽だ。帰りは右足を前にといっても、もう関係なく何しろ歩いて玄関に着く。この次は空き缶だ。せいぜい歩いてゴミ置き場に捨てた。300メートルだからここで休憩しよう。顔なじみの人が何人か通る。10分休んだら立ち上がって帰る。
今朝は雨は降っていないが、どんよりとした空模様だ。ところが4分の1歩いたところで雨がポツリと降ってきた。以前なら駆け出して中央玄関にたどり着くのだが、今は駆け出すなんて無理の話。1歩1歩、歩いても雨は少し強くなった。ようやく中央玄関に着く。それほど濡れなかったが、郵便受けに着いたら雨がいちだんと強くなった。
玄関に着いたら今度は回覧板を回すことにした。隣の人はもういないと思ってサインをしたら、隣の欄が斜線が引いてあってその下に不在と書いてあった。あれ、不在か。あのおばあさんはどうしているのか。誰にも世話にならないといっていたのに、病院暮らしが長いのだろう。回覧板は不在のその隣だ。

9月4日火曜日 朝5時15分 便。 5時半雨が降っていたが玄関から外に出て、郵便受けまで行った。足の調子はいまいちよくない。郵便受けの前の部屋の老婦人は傘とゴミをもって裏へ行った。どうするのかと思ったら、すぐ帰ってきた。隣の民家のゴミ集積場にゴミを捨てたらしい。頭がいいなと思う。
帰りは通路の端まで行き、玄関に戻った。半端な時間だが、ベッドに横になり、退院する時女子学生がくれたリハビリノートに沿って、練習した。

9月5日水曜日 午後1時30分病院に行く前に生協によってFさんをおろし、それから病院に行った。運転手の娘はまた生協に戻ってFさんを家に連れて帰った。二人目の娘はFさんと買い物をした後、自転車で帰ったようだ。Fさんはあまり調子が良くないようだ。運転手の娘の話だ。
病院ではいつものリハビリ士が他の患者を診ていたので代わりの人が来た。私の入院中にあの人にもう一度やってもらいたいと思っていた人だった。独特のリハビリをした。私はもう一度やってほしいといったら、ありがとうと言った。いつものリハビリ士が休みならやってくれるだろう。
帰りは娘の車で家に着いた。

9月6日木曜日 朝5時 便、少量。5時15分玄関を出る。足の出が良くない。7分ぐらいかかって中央玄関を出て1棟脇の駐車場へ向かう。約20分か、道路に出る。足が前後に動くだけ。前へ進まない。これでは100メートルでUターンだ。帰りは少し楽になった。どうしても左へ移ってしまうから、その都度右に寄せる。
2棟の勤め人に挨拶する。これから出勤だ。画家に出あう。ゴミ置き場横の低いコンクリートで休憩する。1棟裏の老人に出あう。彼は帰る人だ、私は1棟の散歩道に向かい、2つの坂をこなして緑の金網で一休み。それから郵便受けを通って家に行く。この通路も辛いものだ。
9時娘の車で床屋に行く。床屋のおじさんに交通事故で1回来れなかったといった。帰りにおじさんは、相当悪いんですね。床屋を出たら、娘が待っていた。

9月7日金曜日 朝5時 便、多くはない。 5時半出掛ける。紙ごみと牛乳パックをもって中央玄関に置く。ダンボールのいくつかが玄関を塞いでいた。風のいたずらだろうか。そんなに風は強くないから捨てた人が悪いのだろう。私は片足でダンボールを玄関の半分まで押し戻した。駐車場を通ってゴミ置き場に行く。
時計を忘れてしまったが、昨日より調子がいい。八百屋ぐらいまでは行けるだろう。ところが富士山の見える駐車場を過ぎてからぽつぽつ雨が降ってきた。空を見るとそんなに暗くなく止むだろうと思っていた。しかしそのうちに空は暗くなってぽつぽつではなく、まあ雨になってきた。ゴミ置き場でUターンした。
このあたりは雨をよけるところは何もない。一心に歩いた。富士山の見える駐車場を過ぎたところで女の人が、傘を使ってくださいといってきた。私は傘を使えない。いいです、ありがとうといった。ゴミ置き場まで50メートルのところで2棟のウオーキングマンが、降ってきたねといった。彼は傘を持っていた。雨だから早めに帰るのだろう。
ついで1棟裏の老人が、雨に降られてしまった、あんたも濡れたねといった。そのうちに雨は小やみになった。2棟の勤め人が、ああ濡れたねといった。画家が来た。もうすぐあがるよといった。ゴミ置き場横のコンクリートで休もうとしたら、また降ってきた。私は坂を下り1棟の脇を歩き中央玄関まで行き、そこから家に帰った。

2018-08-31

日誌8


8月24日金曜日 朝4時15分 便。 7時中央玄関へ紙ごみを出しに行く。5時に行こうと思ったが、風が強いし雨も降っていたのでやめた。来週にしようとゴミをもとに戻したが、7時過ぎに風が収まる時があって、雨も小降りなので行ったのだった。
風を見込んで吹き抜けを通ったら、あと少しで風がびゅうと来て両足で踏ん張った。ゴミを出す人は3,4人でめっきり少なかった。帰りはうまい具合に風がやんで、玄関までたどり着いた。

8月25日土曜日 朝4時半 便。 5時15分玄関を開けて表に出る。時々強風が吹くという話だが、中央玄関に立ってもそれほどでもなかった。風が強くなくても、足が動かない。右足を前に出しても、右足を後ろに引いても少ししかからだが動かない。こんな状態でゴミをもってゴミ置き場まで行くのか。
ゴミを捨て、置き場の左端に行ってコンクリートの壁に手を持たせ、道路に出る。この道はひどい。相変わらずからだが少ししか動かない。マンホールにいたっては3歩、4歩とかかってしまう。平坦な道でも進み方はスムーズでなく、電柱のある角で引っ返した。50メートルだ。250メートルはとても無理だ。
帰りは風が非常に強くなった。両足を左手で杖を突いて支える。これを何回やったか。やっとゴミ置き場横の腰掛に着いて休んだ。さて来た道を戻ろうとしても支えがないから危ない。風のないのを見計らって団地の地図の看板を頼りに向かい側に行き、坂を下りて建物の端を伝わって玄関に着いた。
明日も同じように脚が効かないか、あるいはすっかり良くなってコンビニの方へ行けるか、どうなるのだろう。

8月26日日曜日 朝4時30分 便。 5時玄関を出る。日曜だからゴミはない。中央玄関を出て駐車場の前を行く。昨日ほど脚が言うことを効かないということはない。でもすっかり良くなっているわけではない。どこまでいけるかだ。ゴミ置き場を通って道路へ出た。足はいうことを効くが、右足が左足の前方にというわけにもいかなかった。
上り坂は厳しいが、何とか踏ん張って50メートルから100メートルへ進んだ。ここから200メートルで折り返すか、左からの上り坂との合流点を過ぎるかは足の調子による。上り坂は右足をあげて、そんなに上がらないが八百屋を過ぎて、250メートルまで行くことにした。向こう側に渡って右側の坂を過ぎた。
事故に遭った場所を過ぎて歩道の切れ目まであと1歩だ。Uターンが出来た。そこで立ち座り、変な言い方だが、腰をつけてちょっと座る。あと100メートルでコンビニだが、歩道がないから向かいの車との一本勝負になる。腰を上げて両足で立ち右足を前に出す。これがいまいちよくない。
帰りは一二、一二と呟いて富士山の見える駐車場の向かいにある駐車場で休憩。歩き方に気を取られてタイムを計るのを忘れていた。1棟の裏の人が、今日は暑いねと言って帰っていった。さあ、そろそろゴミ置き場だ。2棟のウオーキングマンも、暑いねと言って帰っていった。置き場横の腰掛で休憩。
1棟裏の散歩道路に出る。画家に会う。緑色の金網で少し休んで、吹き抜けを通り郵便受けに何もないのを確かめてから家に帰った。

8月27日月曜日 朝5時玄関を出て中央玄関へ行く。4分半いいペースだ。しかし表に出たら足が上がらなくなった。右足を前に出す練習をしているのだが、それが頭の中で一二、一二と声を出しているものの、からだが動いてくれない。道路に出たらからだが動いてくれるのだろうか。缶、ビン、ペットボトルのゴミを出す。
道路に出ても、自分で動こうとしたところでダメだ。富士山の見える駐車場でもからだが反応してくれない。上り坂から八百屋まで、やっとこさっとこだ。もう終わり。コンビニの方まではナシとしよう。Uターンして帰りに向かう。帰りもからだが動かないようだ。そのままゴミ置き場横で休憩した。1棟裏の老人に会う。けげんな様子をしているようだった。
画家に会う。今日も暑いね、明日からは涼しくなるみたいだと言った。1棟裏の道を行って緑の金網で休んだら、郵便受けのところでチェックしてから家に帰った。

8月28日火曜日 朝5時 便、2日ぶり。 5時10分玄関を出る。時計を忘れた。いいやと思う。中央玄関を通り過ぎ駐車場を歩く。このまま歩くか、それとも1棟裏へ行って帰るか調子による。ゴミ置き場に着いた。ゴミを捨てて、空を見上げゴミ置き場の左を通って道路に出た。コンビニ方面に行こう。
富士山の見える駐車場からゴミ置き場を過ぎて、上り口になる。八百屋を過ぎてUターン。帰りもあまり良くない。さあ、下りだという気にならない。右足が上がってくれない。右足が短いからか。一二と声も掛けづらい。富士山の見える駐車場を過ぎても、右足が前に出ない。いつからこうなったのだろう。
今日は涼しいけどシャツの背中が汗びっしょりだ、と1棟裏の人がいった。私は暑いからと答えた。駐車場横の踏み段で休む。画家に会う。立ち上がって1棟裏に行こうとしたら、2棟のウオーキングマンが帰って来た。下り上りを2回こなして緑の金網で休憩。郵便受けをかいま見て家に帰った。

8月29日水曜日 朝5時 便。 5時15分玄関から表に出る。家にいた時から足が変だった。右足が上がらないことは毎度のことだが、左足を後ろに滑らせても駄目だ。中央玄関まで6分かかってしまった。駐車場を脇に見て、どうにもならない足を引きずってゴミ置き場へ、そこでプラゴミを捨てる。
さてどうするか。ゴミ置き場の左端を手を付きながら道路に出る。マンホールがうらやましい。何歩かかるか。次の坂道は短いのに何分もかかる。やっと平坦になってもこれは厳しい。50メートルでUターン。帰りも同じような姿勢。ゴミ置き場横で休憩。今日は1棟裏には行けそうもない。
来た道を戻る。ああ、ため息をつきながら中央玄関に着き、そこから玄関までたどり着いた。
8時40分交通事故の警察調書のため保土ヶ谷署から警官が来た。私の話を聞きながら調書を書いていた。1時間ぐらいいたか。一応終わると調書を私に見せた。娘が一緒だった。

2時病院へ。いつもの先生が休みなので変わりが来た。歩くとき足が全然上がらないので先生にいった。先生は右足のリハビリを行い、右足の上げ下ろしがスムースなので治るのではないかと言っていた。

8月30日木曜日 今日は八百屋の先の300メートルまで行って折り返した。帰りは1棟の裏を歩いた。暑くてこの辺で終わり。

8月31日金曜日 朝5時 便。 5時15分ゴミをもって中央玄関に行く。紙ごみと牛乳の箱を出す。駐車場の前はいい感じだったが、ゴミ箱に近付くにつれて足が重くなった。それでも富士山の見える駐車場までは調子よかったのだが、それから先は一歩一歩が苦行となる。八百屋の前ではどうしようと思うくらい足が出なかった。
Uターンしても足の出は悪い。富士山の見える駐車場で1棟裏の老人に会う。けげんな表情で家の方へ帰っていった。画家に会う。彼はこれからコンビニだ。ゴミ置き場横の踏み段で休憩。今まで平均すると100メートル22分だ。今までで一番悪い。2棟のウオーキングマンが挨拶していった。画家が帰ってきた。
画家は横浜のcd専門店で中古を注文したからそのうちにあげるといった。いいよと私は答えた。1棟裏の道から下り上りを2回繰り返して緑色の金網を通り、郵便受けをちょっと見て家に帰った。

2018-08-23

日誌7


8月17日金曜日 朝4時45分 便。 5時中央玄関に紙ゴミを捨てに行く。あまりにも風が強いのでそのまま帰る。
1日中風が強かった。体操をしてみる。①両足を開いてからだの重心を左足にのせる。ついで右足にのせる。②両足を開いてからだを前にもってくる。ついでからだを背中にたおす。③両足を開いて右腕を伸ばしてからだを左にたおす。次に左腕を伸ばしてからだを右にたおす。①②③を10回ずつ5セットやった。

8月18日土曜日 朝5時表に出る。中央玄関を通って駐車場の前を行く。ゴミ置き場で枠に手をついて置き場に入り覆いの中にゴミを捨てる。足はひどくはないが進むのに時間がかかる。50メートル、100メートルを過ぎた。平坦な道の最後のところ、これは辛い。ゴミ置き場から上りになって150メートルを過ぎ、八百屋の前を通り動物のパーマネント屋を越えたら200メートルだ。
知り合いには会わなかった。出掛けのゴミ置き場で2棟のウオーキングマンが先に行って後姿が見えただけだった。200メートルでUターンする。富士山の見える駐車場の向かいのゴミ置き場で声をかけてくれるおばあさんに会う。大変だね、えらいよと言う。ここは400メートルぐらいだから脚がちょっともつれる。あと100メートルで休憩だ。
画家に会い、2棟の勤め人に会う。一休み。ゴミ置き場横の腰掛にいても誰もいない。そこを立って1棟南側に向かう。下って上って棟前の散歩道を歩き、また下って上って金網で休憩する。そこから吹き抜けを通って郵便受けの前を通過し玄関に着いた。時間がかかったが、足を前に出すこと、それを実践した。

11時自治会費、特別に21日まで収める。今日収めることにする。行きは歩幅が小さくなった。会費をポストに入れ、階段を上り2階の端から端まで、1,2の掛け声で止まり少し大股になって歩く。階段を下りて玄関に着いた。

8月19日日曜日 朝5時玄関を開けて表に出る。隣の家は入院していたのだが、とうとう逝ってしまったのか。玄関に退去の注意という張り紙が貼ってあった。そのうち掲示板に名前や年齢などの詳しい事実が明らかになるだろう。自分のことは自分でするという女の人だった。
ゴミ置き場から道路に出る。2棟の老人がウオーキングしていった。100メートル過ぎると足の動きが悪くなる。そのうちずっと坂で、200メートルでUターン。日曜は人があまりいない。あと少しで500メートルの休憩だが、画家に会った。私は時計をもってくるのを忘れたが、画家に会うということは6時35分近辺だ。
1棟裏の散歩道に向かう。足はきついが下り上りも問題ない。緑の金網から吹き抜けを通って郵便受けに出て、そのまま玄関に着く。

11時玄関を出る。昨日と同じ、1階を通って中央玄関からもっと先の101まで行って2階に上がり、そこから反対方向に進む。2階の207まで来たら階段を下りて玄関に着くというわけだ。1階は101では短いので駐輪場の端まで行った。
100メートル17分かかっただろうか。12分ぐらいでないと意味がない。

8月20日月曜日 4時半 便。10分か15分ぐらい、いやもっといたかもしれない。詰まってなかなか出てこない。やっと出たと思ったら太い長いものだった。3日ぶり。
5時表に出る。中央玄関を渡ってゴミ集め横の捨てるところにビール瓶などを置く。道路に出たと思ったら、2棟のウオーキングマンが挨拶していった。
苦労してゴミ置き場から200メートル。Uターンしてはるかに見渡せる団地まで歩く。画家に会う。いつもより10分早いといっていた。ゴミ置き場横の腰掛に座る。画家が袋に食べ物を詰め込んで帰ってきた。2棟の勤め人が出てきた。彼が手を出したので画家は袋から何かを取り出した。勤め人は冗談だといった。
1棟裏の道路に向かう。緑の金網を右に曲がって、郵便受けの前を通って家に着いた。

11時玄関を出る。中央玄関を過ぎてその先まで行く。右足を引きずって歩くが、これだとタイムが出ると思う。今までは右足を左足より前に出す歩き方にかえてきた。駐輪場の金網まで11分。今までよりかなりいい。
2階は右足を前に出す歩き方にかえた。最初は調子よかったが、エレベイターから調子が悪くなった。207前の階段の線まで13分。昨日は17分だからまずまずだ。階段を下りて玄関に着く。 
 
8月21日火曜日 朝5時20分表に出る。昨夜の話だと雨が降るかもしれないということだったが、外は晴れだ。右足を引きずりながらゴミ置き場横の腰掛まで11分だった。ここでゴミを出して道路に出る。ちょっとつらい富士山の見える駐車場付近まで足を引きずって、ゴミ置き場から13分だった。坂を上りながら八百屋の前から動物のパーマネント屋を通ってUターン。14分。
帰りは右足を左足より前に出して歩く。八百屋の前は急坂だから気持ちがいい。富士山の見える駐車場のポールまで14分。そこからゴミ置き場まで13分。ちょっと休憩。画家に会う。いろいろ喋っているが何も覚えていない。1棟裏の老人に会う。だいぶ良くなっているよと言う。
1棟裏の散歩道を右足を前に出して歩く。下って上りがいまいちだ。1棟の正面を歩くが、どうもよくない。下って上って緑の金網で一休み。吹き抜けを通って郵便受けをチェック、何もないからそのまま玄関まで歩く。
暑くて何もできなかった。

8月22日水曜日 朝4時 便。3日ぶり。5時過ぎ玄関を出て外に向かう。右足を引きずる感じだ。ゴミ置き場横に着いた。11分。プラゴミを捨てて道路に出た。2,30メートル先に2棟のウオーキングマンが歩いている。それと背後から1棟奥の老人が、おはようと声をかけた。私もおはようと言う。この人はもう少し早いはずだが。七分の長ズボンを履いていた。
ゴミ置き場から100メートルの地点は13分。次は上りだが八百屋を過ぎたら悪戦苦闘という感じ、14分。ここでUターンして下り坂を一気に下りる。一気には気持ちの持ちようが入っている。心の問題だ。富士山の見える駐車場で13分。それから疲れてゴミ置き場で14分。この400メートルは27分と、昨日と同じだ。
ゴミ置き場横の腰掛で休憩して、1棟裏の道路に向かう。画家と会う。下って上りは右足を消耗する感じ。続く1棟前の散歩道も右足を前に出したり、左足の中央まで引きずって歩いたりしてみたが、よくはない。下って上って緑の金網で一休み。吹き抜けを通って中央玄関まで行き、空を見ながら花の道へ行く。
花の道は敷石の隙間からずいぶん雑草が伸びていた。終点に着いて、下りをそっと歩いて玄関に入る。

1時半車で病院へ行く。リハビリ室で入念な体操を行った。最後は廊下の階段で行きと帰りの練習をした。姉の親子は私の書いたメモを頼りにスーパーへ行って、私が終わる頃、戻ってきた。

8月23日木曜日 朝4時15分 便。5時外に出る。今日はゴミなしだ。道路に出たら2棟のウオーキングマンが後ろから挨拶し、続いて1棟奥の老人が挨拶していった。富士山が見える駐車場で13分。ここから少し行ったら上り坂だ。今日は左からの上り坂とこちらの坂の合流点を越えようと思ってきた。ここまで14分。
右の下り坂は、高校の少し手前から来る下り坂と合流して国道へ出る。今は左の上り坂との合流点を上り、合流したくせに道路が狭くなる道路を無心に歩く。もうすぐUターンだ。道路に歩道がついているが、これから先は歩道無し。あと100メートルでコンビニだが、ここは本当に厳しい。
歩道がついている終点でUターン。7分だ。これから下り、下りといってもそう安心できる場所ではない。左の坂を車が来ないのを確認して7分。ここからは馴染みの道だからタイムだけを記す。富士山の見える駐車場で14分、ゴミ置き場で13分。そこの腰掛で休む。画家と会う。
1棟裏に行く。1棟の歩道を通って緑の金網で休憩。そこから吹き抜けを通って中央玄関を抜け、花の道を通って玄関に着いた。

11時半玄関を出て右足を引きずり、中央玄関からそのまままっすぐ101を通って金網へ、時計を忘れてしまったから何もすることがなく、階段を上り2階に着く。2階では右足を前に出す練習。これを高齢者住宅の前までつづけ、その後は右足を引きずる。2階が終わったら階段を下りて玄関に着いた。

2018-08-17

日誌6


 日誌5を紛失してしまった。紛失といってもパソコン内だからどこかに消えてしまったのである。とりあえず8月16日から始める。
8月16日木曜日 4時45分 便。 5時少し風があるが、玄関を出て中央玄関に着く。風があれば戻ってこよう。ゴミ置き場に着いて道路に出る。2棟のウオーキングマンが挨拶をしていった。このあたりはまったく厳しい。左に行けば急坂で、この道路と、坂を上ってくる道路が合流しているところ、その坂にぶち当たる。私はこの急坂を下りたことはない。
さて次の難所はマンホールのふた二つ、ここは道路が剥げて砂利道になっている。そこを過ぎるとまたマンホール、相変わらずマンホールのふたが高い。これから坂道は急だ。1棟裏の老人に声をかけられる。そろそろ坂道も終わりでこれからは脚も順調だ、と言いたいが、順調とは言い難い。舗装し直した道は靴底がくっついて歩きにくい。
ここまでやっとゴミ置き場から50メートルだ。また舗装し直した道がある。足がくっつく感じ。左側は8時頃犬を連れて散歩する人が住んでいるが、今の時間は向かいの電柱の下にゴミを捨てている。なかなか豪勢な感じの住まいだ。その隣が小さな会社。4階建てで2階は契約者が利用できる貸し倉庫。富士山が見える駐車場とはこの会社のものだ。
駐車場の中央にポールが立っていてそこが100メートル。足の出がきつい。懸命に歩く。ゴミ置き場に着いた。ここからは上りである。相変わらず左側は何もないが、坂が急になったところで150メートル。ここからは厳しい。八百屋を過ぎ、動物のパーマネント屋があって、あと一息、二息でやっと道路に舗装の線がある。Uターンだ。200メートルである。
帰りは行きと違って下りだから気が楽だ。道路の向こう側をみながら歩こう。富士山の見える駐車場の向こう側まで住宅が並ぶ。最初は住宅が続き小さな道を越えてまた住宅である。小さな道はゴミを持った人が出てくる。私は道の先がどうなっているのか、見たことがない。またちょっと広めの小さな道だ。
その道の4,5軒先が駐車場。これは相当な数だ。さっきの富士山が見える駐車場の対面だった。この駐車場を過ぎるともう団地入口まで住宅が続く。例の画家にあった。続いて2棟の老人、この人は勤め人だ。今日は風が強いので道を少し下って1棟の横を歩いたが、普段は1棟裏に行く。
1棟の東と南側は敷石道である。東南の角に下り坂があって次が上りである。この上りは最初は苦労したものだ。今では慣れたもので軽く通り越して南側に進む。するとまた坂があって下って上ると緑の縞の網目のフェンスで、ゴミ集めの横の腰掛から100メートルである。そこから1階が吹き抜けになっている敷石道を通って中央玄関に行く。
今は玄関を通って左側、最初と反対側だが、そこを行くと花の道へ続く。花の道へ行く前にマンホールのふたがあって、そこから少し下っている。花の道は今は手入れをしていた人が入院中である。花の道はせいぜい10メートルぐらいだが、そこの終点は2階3階への階段になっている。
階段の入り口は花の道より1段高くなっているので手すりにつかまって上った。そこからちょっとした坂でそこを降りるとやっと玄関である。網目のフェンスから100メートルに10メートルぐらい少ない。これで終わりだ。

2018-08-09

日誌4


8月1日水曜日 朝5時玄関を出る。部屋では調子よかったが外へ出ると足が効かなくなった。ゴミ置き場まで向かう。1棟の人2人にあった。ゴミ置き場で左手をコンクリートにつけて悪戦苦闘していると、おはようと言って2棟の老人が挨拶してウオーキングに出た。ゴミを出す。今は5時何分かだが、ゴミを出した人が4,5人いる。早いものだ。
腰掛けに座っていると1棟の人がまた2人来た。2棟からの老人が来たので挨拶した。彼は2棟の前を通って裏に消えた。徐々に人が増えて行った。私は1棟南側を歩いた。調子は悪いけどそれなりに歩けた。下って上って休憩。それから郵便受けの前を通り、家へ歩く。先日天井のベルがなっていた部屋で何かがあったみたいだ。
玄関のドアに張り紙が貼ってあった。退去の注意というものだ。ああ、死んでしまったのか。80ぐらいの男の人だ。私にも親切にしてくれた。金曜日のゴミの日に本を何冊か、毎週出していた。もう分かっていたのだろうか。どのように彼が連れて行かれたのか、私は朝の6時過ぎにはもうドアは閉めて家の中にいるだけだが。冥福を祈る。掲示板に2日にお別れ会、3日に葬儀とあった。98歳だとか。
リハビリのため病院に行く。腰は筋肉痛で今は治ったこと、右足が出ないことを話した。右足を念入りにリハビリした。

8月2日木曜日 朝5時に玄関を出る。昨日のリハビリでやったように右足を出して休憩、また右足を出して休憩、これを繰り返した。ゴミ置き場横の腰掛で休む。今日は静かだ。ゴミがないから1棟の人は誰もいない。2棟の老人が通った。私も歩いてみようか。50メートルばかり歩いて引っ返した。相当辛い。明日はもっと行けるか。
ゴミ置き場横の腰掛で休み、1棟南側を行く。休み休み行って休憩して郵便受けの前を通って玄関に着いた。
今までセミダブルだったベッドはもらったものだが6畳の半分占めるので、ベッドを処分しシングルベッドを買った。買ったはいいけど私には組立できないので、娘に頼んだ。新しいベッドだと自由に窓に行ける。もちろんベッドは快適だ。新ベッドに乾杯と言うつもりでビールを飲む。

8月3日金曜日 朝5時ちょっと過ぎ玄関のドアを開けて表に出る。右足を引きずって中央玄関のゴミ置き場に紙類と牛乳の箱を置き、牛乳を取り出してそのまま置き紙類はビニールの持ち手を左手でぐるぐる巻いてそこに置いた。相変わらず暑いな。ゴミ置き場横の腰掛で休憩した。2棟の老人がウオーキングに出た。
金曜も静かだ。ゴミを出す人がいない。20分ぐらいいたかな、立ち上がって1棟南側を歩く。足が前に進まなくてもここは歩きやすいのだろうか。坂を下って上って休憩。ここから郵便受けまでは右足が出なくて厳しい。花の道へ行こうと思ったが、やめて家のドアまで右足を引きずりながら帰る。

8月4日土曜日 朝5時少し前 大便。4日ぶりだ。退院後毎日悪くても二日で用を達していたのだが、4日と言えば今考えると入院前になる。入院前は4日、5日ぶりというのが普通だった。なぜなのか。1日あるいは2日ぶりならちょっと踏ん張ればお客さんが来てくれた。それが8月の最初の日は暑くて1日パスし、2日目もまた暑くてパス、3日目はその気がなく4日目で開通だ。
5時に家を出てゴミ置き場横で休憩。立ち上がって両手を頭に持って行く練習を10セット、からだの左右に持って行くのに10セット。それから1棟南側を歩いた。下って上って一休みし、花の道へ行こうと思ったが、やっぱり無理で郵便受けから家の玄関に向かう。
午前11時玄関を出る。はじめに左のコンクリートの外れまで行き、そこから郵便受けまで50メートル歩く。反対側を歩きコンクリートの外れまで行った。足の出が良くないが、階段を上ろうと小さな坂を行こうとしたら、2,3歩行くとまったく立てなくてあやうく転ぶところだった。それでもうやめた。

8月5日日曜日 朝5時15分玄関を出る。中央玄関をくぐり抜け駐車場を見ながらゴミ置き場横で休憩。交差点の方へ歩く。足元がふらつくが富士山の見える駐車場まで行った。も一息と思ったがやっぱり引き返した。ゴミ置き場横の腰掛で一休み。
1棟南側へは行かず行き来た道を戻った。花の道まで足元がきついが、何とか花の道へ入り、終点まで来た。ここから小さな坂をそろりと行って玄関に着く。2軒先の通路に黒い猫がじゃれていた。私の姿を見ると隙間へ逃げようとしたが、その時後ろ足が一本怪我しているようだ。
黒い猫は私の家のベランダを通っていくのだが、足を怪我している様子はなかった。大丈夫だろうか。
11時大便。今朝からいきむばかりだった。
11時半自治会の人が来て、隣のkさんは今入院しているから回覧板は2軒先に回してほしいといった。この10日間ぐらいは早朝でもいる気配はなかった。7月の終わりのsさんの例があるが、変わることなく生き続けてほしい。

8月6日月曜日 朝5時少し前大便。 5時ゴミ捨てに表に出る。足の調子が悪くても一歩ずつ進む。ゴミを捨てたあと腰掛で休憩。ゴミは思ったより多かったので今は人が少ない。2棟のウオーキングマンが行く。人が少ない。3人ぐらいか。車は3台。一台はタクシー、一台は1棟の人が出て行った。もう一台は向こうから1棟に入ったと思ったら、急カーブしてもと来た道路を戻っていった。
1棟南側を歩く。こちらも一歩ずつ進む。坂を下って上って休憩し、郵便受けの前で中身を点検、何もないので玄関のドアに行く。
今日は病院へ行ってレントゲンを撮って、それを診察室に持って行った。先生は骨折は完全についている、あとは転んだところは大丈夫ですかと聞いた。大丈夫と答えると診察はこれでおしまいにしましょうといった。姉の運転でその娘が乗り、私は後ろに何とかえっちらこと乗り込んだ。

8月7日火曜日 朝4時大便。朝刊を読みパソコンに向かう。5時郵便受けに向かう。1番はずれの郵便箱に入居届を入れておくためだ。外は小雨が降っていたのでそのまま玄関に戻った。

8月8日水曜日 朝4時半大便。腹が膨らんでいる感じがしていた。これから台風が来る。ずっと雨だ。

2018-08-01

日誌3


7月25日水曜日 朝4時45分大便。5時プラゴミをもって表に出る。足が重たい。中央玄関まではまずまずだったのだが。郵便受けの向こうの人に会う。軽く挨拶する。ゴミ置き場について、手を置き場の周囲に置いて中に入った。同じように出て置き場横で休憩。車と自転車が通った。2棟の老人が、今日は涼しいかなと言って通り過ぎた。
20分ほどして1棟南側に行く。今日は1,2と言って休み、1,2と言って休んだ。小刻みな歩きよりいいみたいだ。下って上って休憩。下の道路には誰もいなかった。郵便受けの前から家の前を通って道の外れまで行き、戻って玄関のドアを開いた。
1時30分に車に乗って病院に行き、40分ばかりリハビリを受けた。私の腰は手で触った感じでは筋肉痛らしい。それから医者に行って薬を受け取った。

7月26日木曜日 朝5時半表に出るが、右足が上がらず郵便受けのところで引っ返した。家に帰って右足を慣らしてみた。日が照っていなければもう一度やってみよう。太陽は出ていなかった。

7月27日金曜日 朝4時半大便。5時に表に出た。右足が前に出ない。それでも中央玄関まで歩いて金曜日のゴミ捨てをした。ここからゴミ置き場まで行くのだが、相当時間がかかりそうだ。右足の付け根が効かなくなっている。右足を前に出したり左足を前に出したり、いろいろやってみるが、どうもうまくいかない。ゴミ置き場横のベンチで休憩。
2棟の老人が通る。あとはバイクが2台と、用事がわからないが1棟の3階に来た人がまた帰っていった。15分くらいいて、元来た道を通って帰る。1棟奥の老人が散歩に出かけるのが垣間見えた。この帰りも厄介である。時間もかかった。
中央玄関から家に帰るのだが、どこかで天井のブザーがピーピーなっている。半分ほど行ったところの家だ。何をしているのだと思って家の玄関に着いたら、ピーピーなっている家にガードマンが来たところだった。ガードマンがカギを開けて中に入った。しばらくそこにいたが、中で何をやっているのか分からない。水か何か欲しいのだろうと思って私は玄関に入った。

7月28日土曜日 朝5時大便。雨降りのため外に出ず。

7月29日日曜日 朝4時半大便。5時に玄関を出て表に出る。中央玄関まで3分の2はいいのだが、3分の1がきつくなる。残り2分の1。いつもここは厳しいな。ゴミ置き場横で休憩。2棟の裏へ行く道の真ん中に車椅子に乗っている60代の男と同年配の男が大声で話している。2棟の人だろう。いつものウオーキングを行う老人が車椅子に会釈して通りに出て、私に挨拶した。
バイクが通りタクシーが2棟の裏通りに出て、客を下ろしたのだろう、また2棟の正面に出て通り過ぎた。車椅子のおかげで静かな気配が消えた。私は1棟の南側を歩き、坂を下って上って休憩。そこから郵便受けの前を通って家に着いた。
日曜日は新聞が遅い。5時ちょっと前に来たので新聞を玄関わきの台に置いた。1時間後に東京新聞を読む。ベイスターズが広島に快勝し借金5になった。

7月30日月曜日 朝5時大便。5時過ぎに玄関を出た。今日は足が上がらず一苦労だ。この間の金曜日に天井のベルがなっていた家で、またベルがなっていた。隣の女の人が顔を出して中央玄関を見ていた。そのうちガードマンが来た。ガードマンにしてみればまた例の故障だろうと思っていたはずだ。私はそれを見ながら中央玄関から表に出た。
ゴミ置き場横の腰掛で一休み。1棟奥の老人が散歩に通る。2棟正面に大きなトラックが止まっている。丸太を削って直方体にしたきれいな木材を何本か積んでいた。松本 100 のプレートが見えた。朝にそぐわない光景だ。バイク、車、散歩の老婦人が通り、2棟のウオーキング老人が表に出て行った。静かな雰囲気がなくなってしまった。
私は足を引きずって1棟南側を行く。下って上って休憩し、郵便受けの前を通り家に着いた。

7月31日火曜日 朝5時過ぎに家を出て中央玄関を通って表に出て、ゴミ置き場まで歩く。昨日と同じ、足が上がらず苦労する。4,5回休んだろうか、やっとゴミを捨ててきた。置き場横の腰掛で休憩する。今日は人が多いようだ。2棟の老人がウオーキングに出て行った。
私は1棟南側を歩く。ここでも3,4回休んで坂を下り上って休憩する。そこから廊下を通るのだがこれがまた一苦労だ。郵便受けで茶色い封筒を受け、歩いていたら小太りの見知らぬ老婦人に挨拶されその家に入っていった。私が病院に入っていた時に入居した人だ。2ヶ月になるか、私も初めてだ。
午前11時大便。

2018-07-24

日誌2


7月17日火曜日 朝4時半大便 今日は交差点付近への歩きはやめる。
午後1時半リハビリに出掛ける。退院の時、週に1度のリハビリを頼んでおいた。今回は2度目である。リハビリの先生にからだのことをいった。先生は腕の関節を見て、熱感が少しあるようだという。
40分のリハビリを終えて、娘の車で帰途に就いた。

7月18日水曜日 朝4時半大便 5時プラゴミをもってゴミ置き場に。今日も調子悪く14分だった。段差も囲いに持たれてゴミ置き場に到達。帰りは1棟南側に。タイムは計らないが、調子いい、悪いが、分からない。下りの坂を普通にクリアーしたからだ。しかし次の平坦が苦しくなった。
ある家の玄関が少し開いていたので、一昨日のことで礼をいおうと名前を呼んだが、出なかった。

7月19日木曜日 朝4時50分歩きに出掛ける。時計を忘れてしまったのでタイムは計れない。ゴミ置き場の手前の腰を下ろすところで20分の休憩をした。道路にはタクシーが1台通っただけで静かなものだった。私が帰ろうとした頃、2号棟の人が歩きに出かけた。帰りは右足が出ず、苦しかった。タイムは昨日と変わらないだろう。
どうもふとももの付け根が効かないようだ。右足を曲げてもなんともないが、まったく足のおおもとが効いてこない。

7月20日金曜日 朝4時半大便 2日ぶり。5時ゴミを出しに中央玄関へ、ついでに葉書きをもつ。誰か着る物を5つか6つ出している人がいた。葉書き抱えてゴミ置き場へ行く。昔のように置き場のコンクリートを頼りに段差をまたいで、道路を過ぎてまた段差をまたいでポストまでの道を行く。帰りはポストの前の段差を渡り1棟前の歩道に出たら、そのまま1棟の大きな通りに出て家まで帰った。
11時40分、生協の配達が来る。

7月21日土曜日 朝4時半大便。5時ゴミを出しにゴミ置き場へ。朝起きるたびに今日は足が動いてくれるかと思うが、やはり駄目だ。段差はコンクリートの枠につかまって乗り越え、ゴミを出したらその反対を行う。帰りも足が上がらない。中央玄関に来て郵便受けを見る。8月7日の10分程度の清掃のビラだ。通路を、足を引きずって玄関に入る。

7月22日日曜日 朝4時45分大便。5時どのくらいで歩けるかを見るため、歩き始めた。タイムは良くないが、歩く形はいいと思った。ゴミ置き場の横で休憩した。相変わらず静かなものだ。2棟のランナーと1棟の裏のランナーが過ぎて行った。私も歩こう。何日ぶりか、喜びがからだに伝わる。ゴミ置き場から50メートルで引っ返した。そのままゴミ置き場の横で休憩。そこから1棟の南側へ行く。下って上って休憩。郵便受けから家へ帰ろうとしたら、その家の玄関のドアが少し開けてあった。私は先日倒れたことを説明し礼をいった。もう一人の女性の名前を聞こうとしたら、3階の人で私の方から礼をいっておくといった。私は家を後にして帰った。

7月23日月曜日 朝5時ゴミをもってゴミ置き場へ。今日は富士山の見える駐車場まで行こうと思ったが、足が動かず一棟南側を歩く。坂を下って上って100メートルで休憩。その後郵便受けを通って家に着く。
今のベッドはセミダブルだ。娘にもらったのだが、いかんせん大きすぎる。そこでチラシに出ていたシングルベッドを買うことにした。セミダブルは市に引き取ってもらう。私の場合はタダだ。

7月24日火曜日 朝4時半大便。5時表に出る。今日のゴミは少ないのでパスした。時計も忘れてしまったが、タイムはかかっている。その代り右足の運びはいい。運びはいいといっても右足が出なければどうしようもない。ゴミ置き場横の低いコンクリートで一休み。本当に静かだ。30分でもいたい気分だ。2棟の老人が手を振って挨拶する。左足が少し悪いみたい。杖を突いている。
20分もいたか、出発だ。1棟南側を歩く。こちら側は1棟のベランダに面しているが、100メートルの終わりころ、坂の下りと今度は上りがある。上って休憩。そこから郵便受けに出て1棟を抜け出して花の道に向かう。花の道と名付けたが道の両側を花で囲まれている。10メートルもないが、なかなか風情がある。そこを抜けて少し行けば家の玄関だ。

2018-07-17

日誌


7月12日木曜日 朝4時 大便 1日おきの大便である。一昨日も朝4時だった。早いと
いえば早いが、昨日も一昨日も1時から2時の間に起きていれば早いという感じではない。
ちなみに寝るのは7時から7時半である。大便小便という用語は病院では普通だ。看護師
が夜8時ごろ大便小便は何回ありましたかと聞く。「小水とお通じは何回ありましたか」と
聞く方が一般的だが、大便小便と聞く場合も多い。その他、便の種類を聞くときもある。

雨が上がったので急な坂道との合流点から少し戻ったところまで行った。行きのゴミ置き
場の手前にある段差、高さ4センチから5センチくらいだが、相変わらずすらりと行かな
い。帰りも同じ。往復600メートル。帰りには雨がぽつぽつ降ってきたので花の道へ行く
のは止めた。団地の中を100メートル11分半。

7月13日金曜日 朝4時半 大便 昨日は1日おきといったが今日はまた自然の便だ。今
日は金曜だからゴミはゴミ置き場ではなく1棟の真ん中の中央玄関である。朝5時、紙の
ゴミ以外にもダンボールがある。ダンボールは2つに分けた。計3つ。1つずつ手に持って
ゴミ置き場に行く。これが3回だ。300メートル。ちょっと疲れた。コンビニの方は駄
目だな。

7月14日土曜日 朝の4時半ごろポストに郵便物を入れるのでゴミ置き場横の段差をま
たいだ。道路を渡ってまた段差を越え、2棟前をポストの方へ行く。ポストの前の道路を
渡ろうとしたが、行きと同じ方向で帰る。300メートルで家に着き、またゴミの入った
袋をもって100メートルを歩き、段差をまたぎ横の段差を超えてゴミの山に袋を捨てる。
帰りも同じようにして家に帰る。通路の半分くらいに来たら花の道へ行く。10分50秒。
いい記録だと思う。合計500メートル。今日もコンビニの方は無理だ。

11時、大便が出る。1日と6時間半だった。

7月15日日曜日 朝の5時、歩きマラソンに出る。ゴミ置き場横の段差をクリアー、ほとんど人はいない。富士山の見える駐車場まで100メートル14分、かなり時間がかかっている。左手から上ってくる急坂との合流点から少し行ったところ、350メートルの地点で折り返した。下りは足が前に出ず苦しい。富士山の見える駐車場で10分休む。ここしか休憩する場所がないのだ。ここまで500メートル。あとは平坦で楽だ。ゴミ置き場横の段差をまたいで1棟の南側へ。吹き抜けを通って中央玄関に来たら花の道へ行く。今日は800メートルである。

午後6時、大便。1日と7時間。
入院前は5日か6日に1回だった。退院後ほぼ毎日出ている。いつまで続くのか。

7月16日月曜日 朝4時50分に家を出る。11分でごみを捨てる。富士山の見える駐車場まで足取りが重い。左から上ってくる道路との交点を過ぎて上りの坂道をやっとクリアーすると400メートル。そこでUターンして下りに掛かる。600メートルの富士山の見える駐車場で10分の休憩。相当時間がかかっている。ゴミ置き場の横の段差を渡ってこれから11分だと思う。しかし足が上がらない。花の道の2メートル手前であららと思って道路にドスンともんどりうった。
脚を伸ばしても縮めてもどうにもならない。ううむ、どうしようかと思っていたら団地の奥さんが通りかかった。彼女が団地の男の人を呼んできてむりやり木の陰になっている白い柱で一休みした。別の奥さんがケアプラザから男の人二人を呼んできた。二人は私を動かそうとしてみたが、どうにもならないのでプラザから車椅子をもってきた。
椅子に乗ったら鍵を彼らに渡し車椅子ごと部屋に入り、ベッドのそばに車椅子を置いて私をベッドに掛けさせた。彼らは2リットルのボトルからコップに水を注ぎ、塩を少々垂らした。私は彼らに礼を言って帰ってもらった。
私は尿意を感じていて便所へ歩こうとしたが何とか立ってもそれから先が動けない。動けばまた倒れる危険がある。様子を見て前にある戸の木の枠に取りついた。次はテーブルだ。何度か挑戦してとうとうテーブルの端にたどり着いた。そこからは伝わっていける。
近所に住む親子にメールを打った。Tシャツと七分の長ズボンは汗にまみれていたが、そのままだ。

2時頃、娘が来てこの間の事情を話し、けがの手当てをして、団地とプラザに礼を言ってもらった。
私は熱中症だろう。倒れてから1時間、何も動けなかった。今になってみるとなんでなのかなと思う。

2018-07-10

退院

  4月4日入院、右脚股関節にひびが入っていた。1月は寝たまま、2月目からは体重の3分の1、2分の1、3分の2と右脚に負荷をかけて、3ヶ月目には右脚にどれだけ負荷をかけようともよしということになった。1ヶ月、2ヶ月は辛いもので3ヶ月目を心待ちにしていた。
 
 退院したらまず玄関を開ける。窓をすべて開けると30度の暑さにもかかわらず風が吹き抜ける。庭は雑草がいっぱい、桜や隣の家の灌木も背丈を伸ばして呼吸が出来ないほどふうふういっている。刈取りもあと2ヶ月は無理だ。まだまだこんな状態が続くのだろう。
  
 机や椅子、ベッドもそのままだ。ベッドの掛布団とシーツは押入れに行って、軽めのフトンがベッドを覆っていた。これは娘がやったことだろう。冷蔵庫には何も入っていない。その代り冷凍庫には凍らせてもいい食品が山盛りだ。冷蔵庫の隣にはラーメンが二袋もあった。
 
 浴室もそのまま、風呂のふたが二枚被せてあった。一時帰宅という制度のもとでリハビリの先生が指示しておいたものだろう。私はシャワー派だが足の裏を洗うのに便利だろう。トイレはどうか。きれいなトイレ、娘がやったのだろう。腰を落ち着ける場所が低いとリハビリの先生がいっていたが、そういわれれば確かに低い。
 
 パソコンの前に腰をおろす。懐かしいパソコン、開くと白い線が入るのもこの前と同じだ。ふたを前後にずらすと正常になる。E メールが52通もある。誰かさんと誰かさんが多い。次に多いのが子どもを遊ばせろというトランプへの英語の記事、ただし英語は読まない。それからロナルド・レーガンに対するものだ。一つずつ消していった。

 古い本を一冊ずつ読んで行ってその感想をブログに書くということは、まだまだ先のことだ。大西巨人の『神聖喜劇』は第一部で終わってしまった。第2部もワードに入れてあるが、その気になれない。3ヶ月か4ヶ月後に第2部というわけにはいかないだろう。何かいい方法が見つかればいいが。

 2日目の朝に、5時ごろだが、歩きを始めた。ゴミ置き場で4センチか5センチほどの段差を通り、道路を渡ってまた上りの段差を通って郵便ポストまで行った。葉書きを入れてまた元の道、下りの段差、それから上りの段差を通って休憩した。それから最後の100メートル、花の道を通っておしまいだ。
 
 行きの我が家からゴミ置き場まで100メートルを17,8分かかったが、帰りの花の道まで100メートルは12分だった。入院する前と同じだ。これから富士山の見える駐車場、あるいは左から急な坂道を上ってくる車と合流するところか、それから一気に信号まで行くか、その先は長くはない。

2018-04-01

『神聖喜劇』 混沌の章 第1部 大西巨人 光文社


 大西巨人はこの膨大な『神聖喜劇』を13年にわたって書き連ねた。本作は第1部「混沌の章」上下である。なぜ『神聖喜劇』を推すのか。それは主人公東堂次郎の博覧強記である。一度読んだらその書物は彼の頭に入り、文章に書くとき脱字は一言もない。青春期に読んだ中国やインターナショナル関係の本から、軍隊の各種操典までどれも完璧である。
 軍隊では「知らない」ことを「忘れました」という。この絶対的な矛盾をどうしても納得できない。教練で一度も教わってないことを二等兵は「忘れました」といわされる。これを軍隊のいろいろな書物を調べてみてもはっきりしない。「忘れました」は上官から下級兵まで受け継いだ習慣なのだろう。
 東堂次郎はまた観察者である。彼のいる班の班長である大前田軍曹はいろはのいの字も知らない二等兵にいじめと受け取れる難問を出した。珍問と言うべきものである。二等兵は「忘れました」という。ここでビンタを入れてもう一度問う。そこで「忘れました」をいれてまたビンタだ。東堂は軍曹の顔を見ている。顔からビンタの予感がした。
 この二等兵は実は二人いた。この部落民を軍曹はいじめにいじめた。しかし東堂はなぜかいじめの背後に軍曹の抱えているもう一つの顔を見たように思えた。必死で「忘れました」をいう部落民にビンタを加えながら、軍曹が中国にいたころの想いが垣間見えた。中国人を火あぶりにした話だ。
 中国人は徹底的に殺す。軍曹の戦場で得た生き残り策だ。ある種の感動がある。しかし東堂は感動はするが、全面的に否定する。昼の鐘がなっても軍曹は戦場の思い出に浸っている。そして二人の部落民は軍曹の問いに「忘れました」を繰り返しながら、ビンタを食らっていた。部落民はまた軍曹の問いに、自分の部落の話を取り出して日本の恥部をさらけ出していた。
 東堂の軍隊外の一面あるいは二面といってもいい姿がある。軍隊のいじめを目撃するとき、頭の中で地方での思い出を語ることだ。この回想がよく出てくる。例えば伯母の話だ。軍曹が部落民をいじめるとき、彼の故郷の墓で伯母が「あれは部落民だよ」といった。彼はもちろん納得できなかった。
 東堂の一面あるいは二面がどう出るのか、大前田の中国人殺害はまだ話が続くのか、第2部が楽しみになっている。

 この章で忖度という文字が2カ所使われている。1968年(昭和43年)12月発行。
p186終わりから2行目。私が忖度する大前田の主観
p2615行目。「ちょんの丸焼き」事件を思いついた私は、橋本の心事をそのように忖度したのである。


歩行距離
3月26日(月)朝0・3キロ昼0・9キロ計1・2キロ
       休日より平日の方が人が少ないようだ。タイムは100メートル13分から14分。あまり良くない。
  27日(火)朝0・9キロ昼0・5キロ計1・4キロ
       交差点までだ。最後の50メートルがきつかった。帰りは1棟の南側を行かなかった。タイムは100メートル13分か14分だ。昼は2棟の横を500メートル。
  28日(水)朝0・9キロ昼0・4キロ計1・3キロ
       ローソン脇の狭い歩道は段差があって降りるのに苦労した。だから今日は車道に沿ってローソンに行った。
  29日(木)朝昼――――
       からだが言うことを聞かないでまったく家にいた。
  30日(金)朝0・3キロ昼0・4キロ計0・7キロ
       足が言うことを聞かず富士山の見える駐車場で引き返した。
  31日(土)朝0・8キロ昼0・4キロ計1・2キロ
       足の調子が今一つだ。350メートルで引き返した。昼は2棟の横。
4月1日(日)朝0・9キロ昼0・5キロ計1・4キロ
       足が悪いなりに交差点まで行った。昼は2棟で250メートル。

2018-03-25

王政が残した「森友」の病理


 東京新聞「時代を読む」内山 節(哲学者)

 近代的な政治の世界は、いくつかの病理をもっていた。そのひとつは不完全にしか機能しない民主主義であり、もうひとつは官僚制の問題だった。前者は代議制民主主義を基盤にした「独裁政治」を生み、後者からは官僚たちの自己保身的な行動と利権が、さまざまな不正を生みだしてきた。
 この不完全な民主主義と官僚制の問題は、つねに議論されながらも、近代社会では解決できない課題だったのである。社会学者のマックス・ウェーバーは政治家や官僚の倫理観に訴え、社会哲学者のハーバーマスは徹底した情報公開と市民による監視に、解決の糸口をみいだそうとした。
 もちろん、それらを主張しつづけることは大事である。そうしなければ、民主主義の名の下の独裁政治や、腐った官僚制が蔓延してしまうかもしれない。だが、それでもなおこの問題は解決がつかなかったのである。その根本的な原因は、中央権力の力があまりにも強すぎるところにあるのだと、私は思っている。
 ちょっと、歴史を振り返ってみよう。1789年のフランス革命は、近代社会のかたちを世界に提起したといってもよかった。王制や身分制度は解体され、政治は共和制に移行した。自由、平等、友愛という理念が掲げられ、市民が主体になる自由な社会が出現したかにみえた。
 だがこのとき、中央権力の力をどこまでの大きさにするのか、といった検討は加えられなかった。権力の構造としては、司法、行政、立法を分ける三権分立の方向や選挙制度が生まれていったが、絶対王政期に構築された強大な中央権力は、そのまま温存されたのである。国家がもつ権力の強さをそのままにして、権力の構造を民主化すればそれでよい、というところに落ち着いてしまった。
 それは国の政治家と官僚に、強大な権力を与えることになった。政治家たちは選挙に勝つための扇動を繰り返し、選挙後はやりたい放題のことをする。その政治家の下で、官僚たちは自己保身と天下り先などをふくめた利権をつくりだそうとする。そんな構造が広がってしまったのである。
それを政治の劣化と言うのはたやすい。確かに、今回の森友問題をみていても、まだ明らかになっていないことも推測しながら、多くの人々は、政治と官僚の腐敗ぶりにあぜんとしたことだろう。
現実の課題としては、国民の公僕である政治家や官僚の倫理観を問いただすことも、徹底的な情報公開を求め、私たちが一人の市民として政治の動きを監視することも大事だろう。しかし、それだけではなく、根本的な問題にメスを入れる努力をしなければ、機能しない民主主義と堕落した官僚制の問題は、解決できないのである。とすると、その方法はどこにあるのか。中央権力の力を縮小させることである。
それは必然的に、地方分権や地域主権を強化することに結びつく。権力を分散させ、ひとつひとつの権力を普通の人々が監視できるところに置く。そういう社会のあり方を考えていかなければ、堕落した民主主義や官僚制の問題は、これからもくり返されることになるだろう。
森友問題として露呈した事柄の奥には、国家の権力の強さを王政時代の延長線上に置いた、近代革命の問題点が横たわっているといってもよいのである。(2018・3・18)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
森友問題の縮図はわかったが、その方法として地方分権・地域主権に結びつくことは、なるほどなというところだ。しかしその問題点はフランス革命までさかのぼるとはさすがの哲学者である。


歩行距離
3月19日(月)朝0・3キロ昼――――
       いつ雨が降るかと思っていたが、昼を過ぎても降らなかった。風は相変わらずだ。
  20日(火)朝昼――――
       細かな雨が降っていた。風もある。明日も雨だろう。
  21日(水)朝昼――――
       雨が降り続く。
  22日(木)朝0・1キロ昼――――
       足と手が全然動かなくなってしまった。
  23日(金)朝0・2キロ昼――――
       朝、治ったと思ったら午後はまた駄目だ。
  24日(土)朝0・5キロ昼0・9キロ計1・4キロ
       朝は1棟北側を往復した。昼は行き400メートル。歩道がないのが厳しい。
  25日(日)朝0・5キロ昼0・9キロ計1・4キロ
       朝は昨日と同じ。昼は足がうまく出なかった。

2018-03-18

「現代伝奇集」 大江健三郎 岩波現代選書


 『頭のいい「雨の木」』『身がわり山羊の反撃』『「芽むしり仔撃ち」裁判』の3作が含まれている。『頭のいい「雨の木」』は「雨の木」のシリーズに入っていそうだから、あとの2作について考えを述べる。
 四国の方言丸出しの男が全編を語り出す。おそらく50歳近辺だ。南米のコロンビアで医者をしている。どんな治療も行うが、彼は偽医者である。
四国のある村で孤児として育った自分を村長が迎えた。そこで村の代表として大学の医学部を受験して合格した。インターンをした10年間は自分としては楽だった。というのも子どものとき、村の子どもの赤痢事件が起こり、彼に白い目が向けられいつか日本を脱出しようと待っていたわけだ。そこでインターンを終えたとき、南米に向けた移民船に乗った。南米に来てメキシコを通りコロンビアに着き、放浪しながら今の医者になった。
 コロンビアで歯の治療に来た日本人である教授すなわちプロフェソールと会い、彼の日本での出身を話す。村の有力者の死んだ息子の片割れとして医者になるようはっぱをかけられ、彼自身も医学部を目指した、それが上の話だ。
 しかしある日本人に彼は医学部ではなく農学部だと暴露され、彼の患者と共にメキシコへ集団疎開するらしい。
 この3作は順番に30ページ、100ページ、140ページとページ数が増えている。3作目はこうだ。「その男は、片腕、片肢(かたあしと同意味)、両眼、顎(あご)の下半分と声帯を喪(うしな)った人間」と描かれている。アメリカのラガーディア空港に介添えの女に連れられて彼は現れた。車椅子付きである。「僕」は彼の通訳という役柄だ。
 僕が彼を「弟」、その兄さんを「兄」と呼んだが、弟と兄を僕とあなたである兄とを区別するために彼を「反・弟」とする。ぼくの村に「反・弟」がやってきて、子供らの役割を「裁判」にかえた。
 そのうち僕が「反・弟」は「反・兄」だという。「弟」は川の大水で死んだのだ。兄はデモクラシー裁判に破れたあとも、弟を「御霊」として演じ続けた。
 この物語にはアメリカの編集者、介添え人の女が声楽家などいろいろであるが、アメリカの話と四国の話が縦横に読者の目に示されて、興味を引く。

 本文とは関係がないが、「現代伝奇集」187ページに「忖度」が使われている。1980年6月だ。「きみの記憶を、私の意向は忖度しないで、いわば並行的に呈示してもらいたい」。忖度しないでとは、イェスかノーの判断をしないでという意味だ。


歩行距離
3月12日(月)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
      部屋にいる時からからだが変だった。行きは100メートル12分ぐらいであったが、帰りは14,5分かかった。600メートルつまりゴミ置き場に着く100メートルはタイム良ではないが、からだが戻ったようだ。
  13日(火)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
      100メートル10分から11分。調子がいい。からだの動きもまずまずだ。これを続けて行き次は400メートルだ。
 14日(水)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
     行きは調子悪かったが帰りはまずまずだ。タイムは13分と良くない。
 15日(木)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
     行きは昨日と同じぐらいだが、帰りが100メートル11分といい。帰りの方が下り坂だからタイムがいいかもしれない。
 16日(金)朝0・1キロ昼――――
     風が暴風並みで南側はひどかった。昼過ぎて風はおさまった。
 17日(土)朝――――昼0・8キロ
     今日までは行き350メートルだが、明日は400メートルにしようか。
 18日(日)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
     行き400メートルとなると上りで歩道が本当に狭い。今日も350メートルだ。タイムは11分から12分。快適だ。

2018-03-11

『孤高の人』 新田次郎 新潮文庫


 知人に借りた本である。山を征服する姿が素晴らしいという意見だった。最初の研修生生活はちょっと退屈だった。しかし最初の日本アルプス登頂は突然開けた感じがした。中房温泉を出て燕岳を行く道のりは圧巻だった。
 その後左翼の友人を持つ者の悩み、会社の葛藤など数多い試練を抱えながら、日本アルプスを目指す気持ちが精神を持ち上げ、単独行の山歩きを成功させていった。そして昭和11年の厳冬、初めて行ったパーティで悲運の幕を閉じた。
 主人公は加藤文太郎、結婚後1年で独り身になった花子のたっての希望で本名にした。本名はこの夫婦だけらしい。本名にこだわった理由は何か。結婚後1年、それも赤ん坊がいる身で独り身とは辛いことだろう。赤ん坊に何をしてやるか、それらを考えたに違いない。
 なぜ彼は単独行を目指したのか。一つには足が速いから他人の姿を待てないという事情がある。会社に行くにも歩く。山登りを一人でする以外に彼の自宅近辺でも遊び仲間さえあまりいなかった。二つめは山小屋では自分で食事をし、自分で休む。そして夜明けとともに出発する。腹が減ったらポケットから小魚を取り出し、一枚食べたらまた歩く。これが彼の登山である。
 加藤文太郎はヒマラヤ登頂を目指すために毎月の給料からいくらか貯金していた。私は加藤文太郎という人物がヒマラヤを上ったのか、どう考えてもそんな記憶はなかった。いっぱいになったヒマラヤへの貯金は残念ながら彼の口から出ることはなかった。花子も会社の同僚もそれらを知らない。花子と赤ん坊の小遣いになるのだろう。


歩行距離
3月5日(月)朝0・2キロ昼――――
       昼は風がバカ強く雨も降ってきた。
  6日(火)朝0・2キロ昼0・3キロ計0・5キロ
       昼は風が強すぎて途中で引き返した。
  7日(水)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
       昼、100メートル10分で歩いた。このタイムはまったく驚異的だ。足の運びがおかしいからどれだけ掛かるのかと思っていた。350メートルから帰りはまあまあだと思う。
  8日(木)朝昼――――
       細かい雨が降り肌寒い1日だった。
  9日(金)朝0・1キロ昼――――
      昼は激しい雨も止んだが、風が強かった。
  10日(土)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
       タイムは100メートル12分。今度は11分だ。
  11日(日)朝――――昼0・8キロ
       タイムが昨日よりいい。100メートル10分30秒。何がいいのかよく分からない。明日も同じタイムか。

2018-03-04

「白バラの祈り」ドイツ映画


 ドイツの兄妹と一人の青年が逮捕された。兄妹の妹の方が映画の主人公である。大学の構内でビラを投げた。これが守衛に見つかった。妹のゾフィー・ショルはうまくごまかし釈放になるが、その寸前、兄が妹のことをいってまた検事補(疑)とご対面だ。
 この検事補はナチの中でも下級から這い上がってきた男だ。巡査から苦労して検事補になった。その話にはぐらっと来るものがあるが、結局ナチの言葉を大切にする。ソフィー・ショルに彼の話をすると、彼女は彼の胸をぐいと突き刺す。彼は大声で彼女を罵倒するのだ。
 結局ソフィー・ショルは死刑になる。兄も知り合いの青年も死刑だ。ミュンヘンの裁判所。いかにもナチという男が裁判長だ。被告が一言いうと、裁判長は十も言って市民席のみんなは騙される。
 ソフィー・ショルは裁判長を相手にとくとくと自分の考えを語る。なぜ私が罰せられるのか、あなたが本来私の席に座るものだ。ナチはもうすぐ終わりの運命だ。私は悪くない。ここまでいって、裁判長が血相変えて引きずり下した。
 
 ナチに抵抗する組織を白バラといった。ソフィー・ショルと兄の大学構内ビラまきは無謀すぎる。兄が大学を知っていて、やれるということもあるが、それを承知で兄と行動を共にするソフィー・ショルもまた無謀な女性だ。
 しかしソフィーは芯が間違っていなかった。なぜ裁判長を相手にそこまで喋れるのか。ソフィー・ショルにとっては最後の言葉だった。恐れ入るとしかいいようがない。ひるがえって私の大学時代の話を聞いてもらう。
 私がクラスの学級委員をしていた時、校内が騒がしい雰囲気がして学部長室は混乱していた。私は1年で5月の中ごろだった。2年の授業はあまり興味はなかったが、友だちが血相変えて走ってきて、教授が学部長室に閉じこもり学生たちが部屋の前を取り囲んでいるといった。
 午後2時か3時頃か。私は学部長室のある2階に行った。15人よりいくらか多い学生が部長室の前の入り口に座っていた。私も彼らの後に座った。学生によると教授は図学の先生である。あとの一人は名前も知らなかった。授業は止めて教室を自由に使わせて欲しいというと、図学の教授はそういうことはできないということが発端だった。
 4時ごろに先生か医務室の人間か分からないが、2人部長室に入りその後で教授が二人便所に行った。学生の方は30人になろうとしていた。私は学生の真ん中にいて何か不安になった。5時には6,70人になった。私は便所に行き、学生の座っている最後の方に座った。胸騒ぎが収まらなかった。
 6時過ぎ、前の方がざわついてきた。機動隊が来るらしい。私は学生の列から離れたり座ったりしていたが、胸の収まりは高まるばかりだ。学生に気取られないようにしたが、それでも浮き足立っていた。私は立ち上がって学生の列を超えた、そしてまた入り込んだ。
 機動隊の足音が聞こえる。私は立って壁に寄り掛かった。機動隊が廊下に入ってきて「離れてください」といった。私は一目散にその場を立ち去った。階段に来たとき後を振り返った。機動隊と何人かの学生がもみ合っていた。私にはその場に入る余裕もなかった。結局その夜、学生が1人警察に連行された。そして次の日、釈放された。


歩行距離
2月26日(月)朝――――昼0・7キロ
       300メートルまで行った。250メートル過ぎてから足がおかしくなった。全然路面についてないみたいだ。
  27日(火)朝0・3キロ昼0・7キロ計1・0キロ
       昼は調子よく行ったと思ったら、時計を見ると少しいい程度だ。
  28日(水)朝0・3キロ昼0・7キロ計1・0キロ
       タイムは昨日よりいい。徐々に上げるか。
3月1日(木)朝0・2キロ昼0・7キロ計0・9キロ
       今日は100メートル15分と、割合良かった。この調子でタイムをあげよう。
  2日(金)朝0・1キロ昼0・7キロ計0・8キロ
       300メートルの折り返し地点で、その先の350メートルを見た。上りがきついなあと思った。明日はどうなるか。
  3日(土)朝0・3キロ昼0・8キロ計1・1キロ
       昼、350メートルまで行った。3,4か月ぶりだ。やはり坂はきつい。タイムは100メートル14分ぐらいか。まずまずだ。
  4日(日)朝0・3キロ昼――――      
       昼は風が強すぎた。

2018-02-25

首都に新設された弾薬庫


私説―論説室から
半田滋
 陸上自衛隊のミサイル部隊配備が計画されている沖縄県宮古島市で、住民の間で新たに建設される予定の弾薬庫への不安が高まっている。集落との距離は200メートルと近く、「万一の場合、安全を確保できるのか」と問うても防衛省の説明はあいまいだというのだ。
 この話で思い出した。東京にできた弾薬庫のことである。一昨年八月、当時の稲田朋美防衛相は北朝鮮の弾道ミサイル落下に備え、自衛隊に破壊措置命令を出した。これを受け、防衛省のグラウンドに地対空迎撃ミサイル「PAC3」が二基並べて置かれた。
 命令は出たままとなり、防衛省はPAC3を運用するための高射隊分遣班を昨年3月、省内の敷地に発足させ、同時に弾薬庫を新設した。防衛省があるのは都心の新宿区である。ここに弾薬庫が造られた事実を知る住民はどれほどいるだろうか。
 防衛省に弾薬庫の詳細について聴いた。「弾薬の保有量や種類は事柄の性質上、回答を控える」とのことで、宮古島市の住民への説明と変わりなかった。新宿区役所には「ミサイル保管庫」と説明しているのでPAC3弾が備蓄されているのだろう。
 住民の不安をあおるのが本稿の趣旨ではない。首都の真ん中に弾薬庫を置かなければならないほど危機が迫っているのだとすれば、その危機と対応策について政府の説明がないのはなぜなのか。
(終わり)
弾薬庫のことを考えると、原子力発電所を東京のど真ん中に造れという文句を思い出す。東京や関東のために新潟まで行って原発を造るのはナンセンスではないか。東京に造ればいいという発想は今でも私を離さない。


歩行距離
2月19日(月)朝――――昼0・7キロ
       おばあさんが1人か若いお付きを連れたおばあさんが道々私に挨拶をした。私もこんにちはと挨拶した。タイムは良くない。100メートル15分ちょっとだ。
  20日(火)朝――――昼0・7キロ
       100メートル16分とタイムは悪い。
  21日(水)朝0・2キロ昼 3階への階段6セット。
       先週は5セットだったが、今日は6セット。先週は階段1セット8分ぐらいだったが、今日は1セット5分50秒。昔は4分か5分だったが、そのうち昔に追いつくだろう。
  22日(木)朝――――昼0・1キロ
       雨の降る寒い一日だった。
  23日(金)朝――――昼0・7キロ
       足の調子がおかしかった。100メートル18秒ぐらいかかった。
  24日(土)朝0・2キロ昼――――
       昼は晴れたものの風が強くてやめた。
  25日(日)朝――――昼0・6キロ
       今日は歩きたいと思っていたので曇りでも歩いた。折り返し地点ではもうこのくらいかなと思っていても、帰りのゴミ置き場に来るともっと行けたのにと思ってしまう。

2018-02-18

「働き方改革」を問う


2月11日東京新聞 『時代を読む』 内山 節(哲学者)

 18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで産業革命がおこり資本主義が生まれていったとき、労働者の多くは、この新しい経済と労働のかたちに批判的だった。当時は長時間労働と低賃金労働がまん延していた。
 だがその頃の労働者たちが書いたものを読むと、批判の軸になっていたのは低賃金や長時間労働ではなかったことがわかる。誇りをもてない労働、自分を一定時間の消耗にさらすだけの労働、監視されながら命令に従うだけの労働。そういう労働のあり方に対して、労働者たちは怒りをもっていたのである。
 それは当然であったのかもしれない。なぜなら資本主義が生まれる前の社会では、普通の人々は農民や職人、商人として働いている。いわば自営で仕事をし、一人一人が自分の仕事スタイルをもっていた。その仕事スタイルは、それぞれの考え方や自分がもっている技などからつくられてくるもので、人々は自分がつくりだす労働に誇りをもっていたのである。
 ところが資本主義の時代になると、安価に大量生産されてくる工場生産物によって、職人たちは仕事を奪われていった。仕事を失った職人は、工場で働くようになる。そして勤めるようになった企業で感じたものは、誇りをもてない労働、働きがいのない労働だったのである。
 仕事帰りに一杯の酒が飲めることとの引き換えに、誇りのない、苦痛なだけの労働に従事しなければならないのか。当時の労働者たちは、そんなことを訴える文章をよく書いていた。
 現在の人々も同じようなことを感じているのかもしれない。社会のなかでは長時間労働がまん延し、格差社会のもとでの低賃金労働も構造化されている。だがそれ以上に問題なのは、誇りをもてない労働、働きがいのない労働の広がりである。
 自分の労働は、お金と引き換えにおこなう精神的、肉体的消耗にすぎないと感じている人もいるだろう。社会に役立っているのかどうかもわからないままに、ノルマや数字に追われる労働をしている。そんな感覚も今日の労働の世界には広がっている。
 現在の労働の問題点は、働きがいのない労働に長時間従事しなければならないことや、働きがいのない低賃金労働が広がっていることにあるといってもよい。逆に言えば労働のなかに誇りや楽しみ、働きがいを感じられる仕事なら、私たちは少々労働時間が延びても、その仕事をやり遂げようとするものである。もちろんあまりにも長い労働時間は、よいことではないのだが。
 現在語られている「働き方改革」に、疑問を感じる人はけっこう多い。その理由は、労働の質を問うていないからである。労働が働きがいのあるものになるためには、自分の仕事に社会的有用性が感じられ、労働の価値を認めてくれる職場や取引先、消費者などとの関係が重要なはずだ。とすればそれは、経済のあり方、企業のあり方の改革でなければならないはずである。そういう根本的な視点をもたずに残業時間を減らせと言っているだけなら、働く側にとっては、残業代が減るだけのことになってしまう。
 資本主義形成期の労働者たちは、働きがいがなくなった労働を問題にしていた。そして今日もなお、同じ問題が問われている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 私は労働に働きがいがあるとは思わなかった。賃金労働者は時間までを働き、それ以外は自分の時間だ。今日は何をしよう。本をめくり、ペンを握って書き物をする。一息つけば酒を飲む。一日の仕事は自分の時間で救われるだろう。
 

歩行距離
2月12日(月)朝0・2キロ昼0・3キロ計0・5キロ
       昼は600メートルくらい歩こうとしたのだが、ゴミ置き場を過ぎてしばらくしたら風が強く吹き飛ばされそうになったのでやめにした。
  13日(火)朝0・2キロ昼0・6キロ計0・8キロ
       昼は富士山の見える駐車場より少し先の250メートルまで行った。遅いし体がぎこちないがこんなものだ。
  14日(水)朝0・3キロ昼0・6キロ計0・9キロ
       昼は昨日と同じ250メートルまで行った。最近は100メートル18,19分だが、今日は調子よく15分で行った。だんだん調子を上げて行きたいものだ。
  15日(木)朝――――昼0・6キロ
       調子は平行線。
  16日(金)朝――――昼3階まで5セット。
       3階まで3セットぐらいだろうと思っていたが5セットをやった。5週目はつらかった。1セット8分だったが、前は5,6分だったかな。
  17日(土)朝0・3キロ昼0・6キロ計0・9キロ
       昼は足の出がいつもよりスムースで、タイムはそれほど良くないが、まずまずだと思う。
  18日(日)朝――――昼0・7キロ
       久しぶりに300メートルまで行った。登ってくる坂の合流点だ。タイムは変わらず100メートル15分。明日からはこれにしよう。タイムが13分、12分と上がればいいが。

2018-02-11

『スフィンクス』 堀田善衛 集英社文庫


 堀田善衛にとっては今までにない中東ものである。フランスとアルジェリアのアルジェリア戦争が主題だが、主人公は日本人二人の男女である。一人は国連のユニセフにつとめる節子と、もう一人は中東に顔を売ってきた奥田だ。
 この二人にアルジェリア人の男と、女のダンサーがからむ。さらに反フランスの仏人女性、およびドイツ人の男性、この人は元ナチスで今は銃の販売をしている、この6人が何の因果か知らないが中東のいたるところで顔を合わせる。
 この人たち、みんなアルジェリア側だ。それぞれアルジェリア正規軍と関係なく断固とした闘いを挑んでいる。
 それはそれでいい。この本の1番の見どころは作者の通ぶりだ。欧州、中東の奥深さ、食事の醍醐味は感嘆に値する。今は食事。日本人の二人は三食自分で飯を作ることはない。まずレストランで外食。素晴らしい味だ。ただケチを付けたくなる料理もある。
 中東のせいか、夕食が午前1時か2時の時が多い。酒を飲みながら旺盛な料理を楽しむ。だいたい誰が払うのか、安いから自分で払う。店を出たらタクシーだ。これも徒歩で帰るのと同じくらい安い。
 奥田は40を過ぎている。日本の戦争で節子の父親についていた。中東で節子にまた出会ったわけだ。節子は20代中ごろで、ナイル川の周辺の遺跡を調査する身だ。小説の終わりで奥田が節子にプロポーズした。それまでそれらしいことは何もなかったが、読者にとっては見え見えだった。


歩行距離
2月5日(月)朝0・2キロ昼0・6キロ計0・8キロ
      昼は250メートルまで行った。足がおかしいが、それなりに歩けた。 
  6日(火)朝――――昼0・6キロ
      昨日と変わらず。
  7日(水)朝0・2キロ昼0・6キロ計0・8キロ
      昼は250メートル行ったら1棟南側を行く。まだ300メートルは無理なようだ。
  8日(木)朝――――昼0・6キロ
      本当に300メートルはまだ先だ。
  9日(金)朝0・1キロ昼0・5キロ計0・6キロ
      昼は調子良くなくて200メートルで切り上げた。
 10日(土)朝昼 ̄―――
      曇っていた。
 11日(日)朝――――昼0・5キロ
      250や300メートルは可能だと思うが、実際歩いてみるとそうもいかない。断固やるという気持ちだろう。

2018-02-04

『巡査の首』 又吉栄喜 講談社


 20代の兄妹の関係があいまいだった。兄が妹を連れて旅をする、そんな光景は見たこともない。しかし舟に乗ってある島へ行く、そんなことは可能だなと納得した。祖父の首を確かめるため、島は垂下島。
 今住んでいる謝名元島は那覇から大分離れている。兄妹は別々に那覇に渡ったことがある。謝名元島に戻って、島の生活を営んでいた。そこで祖父が死んで首が垂下島にあるという話を聞いた。
 二人は舟に乗って垂下島へ向かう。垂下島にある国、垂下国だ。右往左往しながら祖父の首に出会った。妹は垂下国にはまりそうだ。兄は一人踏ん張る。祖父の首は謝名元島から持ってきた祖母の遺品と一緒に土に返した。
 全体として読みにくい小説だ。読みにくいといっても言葉がわからないということではない。スラスラ読めるのだが、小説の意味が伝わらないのだ。謝名元島にいる間は、いつ垂下島へ行くのだと気がめいる。
 そして垂下島に着くと、「巡査の首」に出あうまで、中年の男が二人を案内する。ほうぼう歩いた末、ようやく祖父の首にであうというわけだ。
妹が垂下国にはまりそうだ、と書いた。60を過ぎた男の持っている薬が効いたようだ。しかし兄が帰ろうというと、妹は正気に返る。この辺が弱い気がした。


歩行距離
1月29日(月)朝0・2キロ昼0・6キロ計0・8キロ
       昼は250メートルまで行った。帰りの1棟南側は苦しいのだろうが何とかクリヤー。いやだなあ、と思っていてもやることが肝心だ。
  30日(火)朝昼――――
       なかなか日が出なかった。
  31日(水)朝0・1キロ昼0・6キロ計0・7キロ
       帰りの1棟南側は時間がかかってもクリヤーだ。
2月1日(木)朝昼――――
      曇っていた。
  2日(金)朝昼――――
      一面雪。
  3日(土)朝昼――――
      寒い1日。
  4日(日)朝――――昼0・5キロ
      富士山の見える駐車場まで。来週は晴れなので250メートル、300メートルになるだろう。

2018-01-28

『遅れてきた青年』 大江健三郎 新潮文庫


 第1部 1945年夏、地方
 わたしは小学校の六年生である。いつでも天皇が偉いと思っていた。担任の女教師は、戦中の女に代表されるような怒りを取ってつけたような感じだ。わたしの父親が生きていたら良い子だったのに、今は何も話さないといっていじめにかかる。

(私の記憶
小学校の高学年だったか。家からちょっと離れたところに朝鮮人が住んでいた。一家族だけなのか、他にも朝鮮人家族がいたのか、思い出せない。そこに女の子がいた。彼女は私より一つか二つ年下だった。彼女の家から少し行ったところに野球をする広場があって、私は毎日野球をしに行った。だから彼女とは話したこともなかった。
ある日私の母が、彼女にリュックを持って行ってあげなさいといって何かの袋にそれをしまっていた。私は、何でよといった。それは面倒だからではない。彼女と彼女の母親が受け取らなかったらどうするのかということだ。私の母は、いいから持って行ってあげなさいといった。私はその袋をもって外に出た。
我が家ではリュックはみんなで使っていた。兄も姉も文句をいわなかった。だが姉がそのリュックを朝鮮人家族が使ったと知ったらなんというだろうか。母は返ってきたリュックを洗って干しておくのだろう。
私は朝鮮人のうちに持って行った。幸か不幸か、女の子はいなかった。母親が出てきて礼をいった。母がいうには、遠足が終わって向こうの母親がリュックを返しに来た。母はもう一度リュックを洗って干したという。
私の知らないことだが、母と朝鮮人の母親は何らかの関係があったそうだ。その後どうなったかは覚えていない。)

 わたしは朝鮮人部落の康青年と親しくしており、敗戦でみんなうなだれている時、隣町で武器をもって戦おう、戦争はこれから始まるというビラに刺激を受け、わたしと康は隣町に急いだ。
 隣町に着いたら食べ物屋の群衆の前で二人は行方不明となり、わたしは教護院に入れられてしまった。そこで勉強して東大に入ることになった。康はどうしたのか。
 ここまでは村の生活の一部としてよく書けている。高所(タカジョ)部落もわたしにとってなかなか切れない存在である。わたしについて回る弟もいい。

第2部 195:年 東京
 わたしは保守政治家の家で18歳の女の子にフランス語を教えている。その一方で学生運動に顔を出す。自分でも良くやったと思っていたら、お前は政治家の娘の家庭教師かといってリンチにあった。わたしはそれを忘れることはできない。
 朝鮮人の康が新聞に出ていた。懐かしさに会いにゆく。康は北鮮の金将軍と会えたのだろうか。実際彼にはコネもなかった。金と敵状態にいる韓国軍に入り、そこで北も南もない戦場を知る。彼は日本に帰ってきた。
 全学連は校内がガタガタになってしまった。わたしはまた康のいる神戸に行き、ストリップ劇場の音楽家である康と海辺を散策した。彼の妻は死んでしまったのだろうか。わたしは康の話にうなづくしかなかった。

 私は、この小説はここまででいいと思った。保守政治家の娘とフランスに行く話は余計に思う。


歩行距離
1月22日(月)朝0・2キロ昼――――
       かじかむ寒さ。
  23日(火)朝昼――――
       雪はとけない。
  24日(水)朝昼――――
       相変わらず雪がとけない。
  25日(木)朝昼――――
       1番の寒さか。
  26日(金)朝――――昼0・5キロ
       富士山の見える駐車場まで行った。帰りは1棟の南側を行く。今週初めてだが、それなりのタイムでゴールした。ほとんど人通りがない。
  27日(土)朝――――昼0・5キロ
       昨日と同じだが、足の運びが少しおかしい。右足がすぐ着いちゃう感じ。
  28日(日)朝昼――――
       曇り、寒い。

2018-01-21

『地を這う虫』 高村 薫 文芸春秋


 The Best Stories とあったので中身を見たら短編集だった。5編が入っている。いずれも元警官の話だが、今から思えば高村薫は長編しか頭にない。その中で『地を這う虫』はちょっと変わっている。
 〈地を這う虫〉とはゲジゲジのことだ。冒頭にこうある。「足元のコンクリートを一匹のゲジゲジが這(は)っているのに気付いた。―――海ほど広い平坦な場所で、ゲジゲジがどこへ行こうとしているのか、省三はちょっと見守った」。
 省三は会社と夜勤の両方を担当している。つまり会社は午前八時から午後6時まで、会社の倉庫で商品の山を置き場所に備える。夜勤は薬品製造会社で劇薬を取り扱う。それなりの警備員であり、午後7時から午前7時までである。これは夜間2時間ごとの見回りだけ。2つの勤め先の給料を合わせると月36万円になる。
 倉庫から薬品会社まで歩くと3分ぐらいだが、省三は住宅街の中をゆっくりジグザグに歩く。倉庫から薬品会社までの300メートルを一辺とする正方形を考え、東西8本、南北8本の細い道路が碁盤の目のように走っている。これを毎日省三は違った道を選んでいる。
 庭の手入れがしてある家、してない家、屋根の瓦が省三から見れば整っていない家、どぶ掃除が必要な家など一筋縄にはいかない。こうしているうちに事件が起こったのだ。省三は自分の推理を働かせる。闇屋の社長とその愛人。
 警察に電話して、最後に元刑事がばれる。省三はもうこの事件とはおさらばだ。日曜だけ帰る実家へ足を向けた。


歩行日記
1月15日(月)朝0・2キロ昼――――
       朝はゴミ出し、昼は風がものすごい。
  16日(火)朝0・2キロ昼0・4キロ計0・6キロ
       昼は富士山の見える駐車場200メートルまで行った。時間がかかるが徐々にふやしていこう。
  17日(水)朝0・2キロ昼――――
       昼は雨っぽいが本当は降っていない。
  18日(木)朝0・6キロ昼0・4キロ計1・0キロ
       朝はまずまず、昼は調子悪い。
  19日(金)朝0・1キロ昼0・3キロ計0・4キロ
       昼は300メートルの方に行こうと思ったが、日が照っていないので1棟南側だけにした。
  20日(土)朝0・2キロ昼――――
       寒いからやめた。
  21日(日)朝――――昼0・5キロ
       100メートルずつ増やしていこう。

2018-01-14

映画「わが青春に悔いなし」 黒沢 明


 昭和21年、黒沢が戦後初めて撮った作品だ。原節子が主人公。京大の法学部教授八木原の家に生まれた幸枝(原節子)は、教授のところに遊びに来る数人の学生のうち糸川と野毛に好意を寄せていた。
 糸川は学生運動に首を突っ込みながらある一線を越えられない。野毛はある一線どころか学内を大きな渦にしたいと考えている。幸枝はピアノに迎えながら二人を同時に愛されるかどうか考えていた。
 八木原教授は治安維持法違反で学外に散った。もう数人の仲間たちも転々バラバラだ。幸枝も仕事を求めて東京へ行った。そこで野毛に出会う。いっぱしの中国通だ。幸枝は野毛の本当の姿を知りたい。野毛は話した。
 ここまではどこにでもある話だろう。しかしここからが違う。

 野毛は警察の拷問に遭い死んでしまう。幸枝は野毛の両親のところに遺骨を持って行った。田舎は両親の一人息子に対してアカ呼ばわりする。父親はやる気がなく、母親が日が暮れてから田圃を耕した。幸枝は朝早くから田圃を整理し、田植えを待った。
 母親がそれを見てともに精を出す。田植えが終わり、幸枝と母親は喜びにあふれた。ところが一夜のうちに田圃の苗が根こそぎ散って、アカはどこにも要らないという看板が立っていた。幸枝と母親は顔を見合わせて憤怒に燃えた。その時父親が看板を破り捨てた。一家三人はもう一度田圃の苗を植えた。
 戦後治安維持法はなくなり、八木原は復帰した。あいさつで野毛をいたわった。幸枝は農村の民主化運動に貢献している。

 
歩行距離
1月8日(月)朝0・3キロ昼――――
      朝はゴミ捨て。
  9日(火)朝0・2キロ昼――――
      すごい風だ。
 10日(水)朝0・2キロ昼――――
      2日連続の風だ。
 11日(木)朝――――昼0・2キロ
      ゴミ置き場まで行ったがあまりにも風が強いので帰った。
 12日(金)朝0・1キロ昼――――
      寒い。
 13日(土)朝0・2キロ昼0・5キロ計0・7キロ
    昼は久しぶりに富士山が見える駐車場の先、250メートル行った。明日も天気が良ければ300メートルにしよう。
 14日(日)朝昼――――
     冷たい1日だった。