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2007-03-31

懐かしい原稿(5)

『優駿』は愛読誌だった。特に新種牡馬紹介のページ、あの紙面体裁がたまらなく好きだ。切り取って集めたものだよ。
 写真に血統図。戦歴と産駒一覧。スタミナインデックスなんていうのもついていたかな。生い立ちが一目で分かるなんてうれしいじゃないか。想像力がどこまでも膨らむ。

2007-03-30

懐かしい原稿(4)

 秋、丸目のアカネテンリュウ。これ以降菊花賞に向けてファンは誰でも第二のアカネテンリュウを探すことになる。
 一方、10.21国際反戦デー、新宿。

2007-03-29

懐かしい原稿(3)

 東京はすごい。私は浦島太郎の心境だった。新宿で京王線に乗ると、東府中で競馬場まで引込み線だ。京成では西船か東中山からと、いつも思った。そんな財力はないな。
「競馬場正門前駅」の改札口は世界一の数を誇れるのではないか。改札を出るとまるで百米道路を思わせるそのままの幅で、向かう先は目の前に府中の入り口だ。感激した。

2007-03-28

懐かしい原稿(2)

 私は馬に一度だけ乗ったことがあった。大学入学のオリエンテーション期間、馬術部が新入生勧誘のデモンストレーションをやっていた。北海道に来たら馬に乗りたいじゃないか。入部の気はさらさらなくても、さりげない顔で体験乗馬を申し出た。

2007-03-27

懐かしい原稿(1)

“競馬”という新しいジャンルの記事を初めて書く。というのも東京MXテレビが見られるようになって、大井のトウィンクルレースを見ているうちに懐かしくなったからだ。小回りの田舎競馬でも1200mレースはコーナーが一つだから追い込みが決まって結構おもしろい。

2007-03-26

散々だった佐倉マラソン

 駅まで歩く途中で傘が壊れたら面倒なことになるから、雲が切れて雨が止んでいる頃合いを見計らった。30分早めの5:30に家を出た。
 前夜10時に寝て4:30に目覚ましをセットしたが、3:30に目が覚めて外を見れば相変わらずの強風だ。30分ばかりベッドでからだを休ませて4時に起き上がった。

2007-03-22

日比谷へ!

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(萩原恭次郎『死刑宣告』1925)

 一昨日イラク開戦4周年を受けて全米で反戦デモや集会が繰りひろげられたと、夕刊に報じられた。21日の休日、首都は燃えたか?

2007-03-17

「雨に打たれ続ける」人々ーおばあちゃんの家

 韓国映画『おばあちゃんの家』を見た。エンディングに「すべてのおばあちゃんに捧げる」とあった。これは私のような“おじいちゃん予備軍”にも捧げられていた。


2007-03-16

『雨にも負けず』な人々ー阿弥陀堂便り

-『阿弥陀堂だより』断想-

 前職場の再雇用が決まって一応お祝いだから、いつもよりたくさん飲もうと思った。7時から“独り・部屋で”飲むのは初めてだ。チャンネルを廻してもくだらない番組だらけだから、たまっている映画のヴィデオを見た。これはぜいたくだ。

2007-03-14

我慢比べのノーベル賞ーわたしの名は紅

 10月に購読予約した本が準備されたと図書館から連絡が入った。ノーベル賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクの『わたしの名は紅』(藤原書店)。船戸与一シリーズを一時中断した。
 パムクはトルコ国内のみならず海外でも高い評価を受けて数々の文学賞を与えられているらしいが、本書が初邦訳だ。

2007-03-11

生真面目な老人たち

 憲法集会に行った。
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2007-03-07

曇る人々

 気分が晴れない。憂国の士を気取るつもりはさらさらないが、安倍首相の従軍慰安婦問題に関する答弁が私の心を曇天にさせる。今までブログでは直接の政治状況にコメントしなかったが、何か書いてストレスを発散させるしかない。

2007-03-02

パンガpタ

 15,6年前、前回表紙絵で紹介したテキストを開きながら、初めてハングルラジオ講座を聴いた。最初は挨拶だ。“パンガpスmニダ”。「お会いできてうれしいです」
 語句の欄に パンガpタ:(会えて)うれしい
 私は「会えてうれしい」という言葉をもつ朝鮮民族はやさしいのだなと思った。大陸から突き出た最果ての半島で暖かく人を迎える。

2007-03-01

金斗鉉ギャラリー

私がハングルを勉強し始めたのは1991年だ。今から15,6年前になる。NHKラジオ講座のテキストを開いてみた。先生は渡辺吉鎔(キルヨン)、1944年生まれの女性。姓から判断して渡辺という日本人と結婚したのだろう。テキストの登場人物は吉鎔さんと渡辺さんみたいで、何かほほえましかった。次に買ったテキストは2000年になっていた。本格的にやり始めたのはそれからだ。