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2019-01-27

日誌29


日誌29

1月21日月曜日 朝6時半 便(3日ぶり)。 11時半玄関を出る。今日はこの道の終点までいく。郵便ポストまでは苦しいなりにたどり着いた。ここは足の乱れを気にせず108へ突入。106は最初のカギだ。左右交互に歩む。ここから苦しい道のりで終点に着いた。ちょっと休憩してから帰りに向かう。

右足を左足より前に出したり、同じになったり、エレベーターの前まで来た。それから玄関まで一直線だ。

昼1時半 階段を行く。玄関を出て少しのぼりを上がって、階段の下に着く。上りは以前より厳しい。何とか2階、3階に着いた。これから下り。以前と変わらず。下までついて玄関に入る。

1月22日火曜日 朝9時 10時半 合わせて100メートル。

昼2時 玄関を出て通路の一番外れまで行く。郵便ポストからエレベーター前を通って108へ行くのがつらい。足が上がらない感じがする。106をクリアーして終点まで死に物狂いだ。終点で休憩する。帰りはコンクリートの線から左右交互に行ってエレベーターまで1直線だ。

郵便ポストから景気をつけて玄関に入る。

1月23日水曜日 昼1時 病院の行きかえり100メートル。

1月24日木曜日 昼11時 玄関を出て通路の終点まで行く予定だったが、風が強すぎて郵便ポストで引き返した。帰りは通路の区切り線に沿って、右足を前、後ろと交互に行って玄関に着いた。

昼1時 玄関を出て左に少し行って上りを行けば階段に出る。3階まで行って降りる。これを3セット。風が相変わらず強いのでしっかり階段の手すりに手を握らせている。特に2階では1メートルばかり階段の手すりがないので、風を見計らって相手のほうに左手を出して手すりに預ける。

3セットだから3回あった。しかし全体として足は大丈夫だ。

1月25日金曜日 朝7時45分新聞紙と牛乳パックをもって玄関を出る。3軒隣の部屋で職人が何かを取りに行っている間に、ドアーを開けておいたので部屋の中を見た。リビングは広いし畳の部屋も布団を敷いても、まだまだ空いているようだった。もちろん玄関から見える範囲だが居住者は文句を言えないだろう。

郵便ポストでごみを出し、このまま真っすぐ終点まで行く。終点に着いたら少し休憩し、1軒に2つあるコンクリートを目安にして左右交互に歩く。エレベーターの付近に着いたらあとは左足を中心に右足をなるべく遅れないようにして、玄関に着いた。

午後3時玄関を出て少し左の方に行って上りをこなし、階段の下に来た。今日は風がないから少しは楽だろう。3階まで行って戻る、それを3セットした。

1月26日土曜日 風が強く1日家にいた。

1月27日日曜日 朝8時 ごみ置き場まで行く。中央玄関を出て表を団地の建物側に歩を進める。途中で4回休んだ。やっと道路に着いた。人は誰もいなかった。帰りは右足を先頭に左足を右足を追い越すほど大きく出すが、そのうち右足と同じに、そして少し遅れるくらいになった。

やはり4回休んで中央玄関まで行き、あとは知った道であり、玄関に着いた。時計を見たら後半25分だった。

昼12時半 階段の下まで行って呼吸を整える。風があるので2階の踊り場は杖もないので厳しい。3階まで3セットする。1セット7分だ。

2019-01-20

日誌28


日誌28

1月14日月曜日 昼2時 玄関を出る。まず左へ行ってアスファルトの終点まで行ったら、位置を変えて郵便ポストまで行く。通路の標識3つ分を一くぐりにして、左右交代に歩く。ポストに着いたら右に曲って白い線まで行く。そこまでは左右交代といってもなかなか厳しい。何とか終点に着いた。

そこから左に2メートルぐらい行って、電柱でUターンして元に戻る。これから帰りだ。この通路は久しぶりだから、足が利かない。ようやく郵便ポストに着いて、ここから玄関まで行った。全部で150メートルぐらいかな。


1月15日火曜日 昼12時 便。 1時玄関を出る。昨日とは違ってすぐ右の郵便ポストまで行く。通路の標識2つずつだ。右、左と交互に歩く。ちょっと苦しいようだ。ポストに着いたら右へ曲がる。ここも苦しい。右、左1回ずつで白い線に着いた。両膝を曲げる運動10回やる。

帰りは一番苦しい。ポストに着いたら玄関めがけてフーフー言いながら着いた。

1月16日水曜日 朝5時半 便。 病院にリハビリに行く。

1月17日木曜日 昼11時半 玄関を出る。とりあえず郵便ポストまで行く。ここからどうするか。右に曲がって白い線まで行くのか、あるいはまっすぐ行くのか、ここではまっすぐにした。左右交互に歩く。106あたりで足元が乱れる。ここで引っ返そうか、それとももっと行くか、もっと行こう。

とうとう1号棟の外れまで来た。2週間ぶりかな。帰りは2軒ずつ左右交代で行く。そこが通路になっている。108へ来たらエレベーターの前で態勢を整え、郵便ポストへ行きそこから玄関まで行った。

1月18日金曜日 6時 便。 7時半玄関を出る。中央玄関に新聞紙と牛乳パックを置きに行った。行きも帰りも左右交互にやろうとするが、足並みが揃わない。何とか玄関に着いた。

昼11時半玄関を出て1号棟の外れまで行く。郵便ポストまでは普通に歩いていたが、ポストを過ぎると足並みが乱れる。108からは足の不便を気にしないで、左右交互に頑張っていく。外れまで着いた。ここから帰りだ。左足が右足を超える、それがうまくできない。だから左右交互に歩く。

郵便ポストに着いたら、あとは右足前に、右足平行線、右足後ろと、気分良く歩いた。玄関でゴールだ。

1月19日土曜日 朝10時 ごみをもって玄関を出る。ごみの重さと足の重さが重なって全然進めなかった。ドアを開けてごみを置き手ぶらで行ったが、2軒先でUターンした。そのまま玄関に入る。

昼12時半 下の娘が来て、車いすでごみ置き場まで行き、そこで降りてコンビニ方面に行くという案を娘が出した。私が歩いている間に彼女はごみをもってGTに行く。GTから帰ると私がどこまで行けるかだ。私は久しぶりに段差を降りた。そこから歩く。最初のうちはまずまずだった。

そのうち上りになると足が乱れる。なるべくリズムをとり左足は右足を超えて出す。そのうち右足と同じになり、とうとう左足は右足に追い付かなくなる。あと少しで50メートルだが、車が止まっていた。ちょうどその時、娘がやってきた。まだ収集車が来てなかったので、ごみは大丈夫だといった。

私はそこで車いすに乗った。100メートルでUターンした。今日は晴れて気持ちがいい。富士山も白い峰がくっきり見える。私が車いすに乗ったところで、おじさんが、どこまで行くのですかと聞いた。少し歩いては休み、腰を下ろしてしまう。帰るのだというと、私は神経痛でこの通りだ。辛いという。

辛いだろうと私は思う。娘に年を聞いたら、70だと言っていたとのこと。私も負けないように頑張らなくちゃ。私はまた車いすを降りて歩き出した。帰りはあまり調子が良くない。道路が平坦になったところで車いすに乗った。また段差のところで車いすを降り、上ったらまた車いすに乗った。

団地の中の通路は天国みたいだ。玄関を開けた。

1月20日日曜日 昼12時半 玄関を出て郵便ポストでUターンした。そのまま帰った。

昼2時 下の娘が来てリハビリをやっている間、私は朝はごみ置き場まで1周し、昼は階段を3階まで行き、戻ってくる、これをやろうとしたが、できなかった。私の夢を語った。

2019-01-13

現代のユマニスト・メルケル首相


現代のユマニスト・メルケル首相
 帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」から

 帚木蓬生の「三たびの海峡」を読んだ。韓国が舞台で日本との交流を扱ったものである。日本人では書けない韓国人を、釜山に住んでいたかのように緻密に書き上げていた。ここで取り上げる「ネガティブ・ケイパビリティ」は彼のエッセーである。「ネガティブ・ケイパビリティ」には重要な要素が数多く出てきて、帚木蓬生が精神科医として診療室を立ててもいる尊敬すべき人間であることもわかる。

 帚木蓬生は「第十章 寛容とネガティブ・ケイパビリティ」でドイツのメルケル首相を取り上げた。彼はメルケル首相を現代のユマニストと呼んでいる。彼女は1年の間に三度もあったEUの危機で、敢然とした態度をとっている。その政策を彼の「第十章」の中で紹介する。

一回目は、EUの一国ギリシャが財政危機に瀕した際に、あくまでもギリシャを排除せず、救済策とともに改革案を突きつけたときでした。膨大な赤字を負ったギリシャを切り離せば、EUの理念が崩れ去ります。他国の赤字を救うのに税金を使われてはかなわないと、不満をもらすドイツ国民をまず説き伏せます。一方で放漫な国家運営で赤字を膨らませたギリシャ政府には、血のにじむ緊縮財政策を突きつけました。結局この説得が功を奏し、他のEU諸国はメルケル首相のあとに続くしかなかったのです。
 
二回目は、ロシアのプーチン大統領が指揮したウクライナ領クリミア半島への侵攻に際し、直ちにロシアへの経済封鎖という対抗策を打ち出し、他の欧米諸国も足並を揃えました。ロシアのクリミア侵入は、まさしく一九世紀風の野心であり、二十一世紀の近代国家のやる振舞いではないからです。
 
そして三回目が、中東からの避難民に対していち早く受け入れを表明した決断です。半年後にもうこれ以上受け入れは無理だと声明を出したものの、結局は二〇一五年中に百万人もの避難民がドイツで新生活を始めました。避難民による犯罪が多発したとき、首相の決断への非難は最高潮に達しました。しかしメルケル首相は怯むどころか、百万人の避難民が将来必ずドイツのために働いてくれると確信しているようでした。その後、避難民を嫌う人々に極右の党が訴え、フランスでもドイツでも票を大幅に伸ばしました。しかしそれでもメルケル首相は、自分の決断が正しかったと思っているでしょう。私もそう思います。

 避難民の受容に反対するドイツ国民の怒りに対処するメルケル首相の態度には、ネガティブ・ケイパビリティを感じます。非難されながらも一線は譲らず、相手を静かに説得し、理性をもって結論を導くやり方に、時が経つと反対派もいつの間にか矛を収めているのです。避難民の多くは、現在語学教育や職業訓練に励んでいることでしょう。メルケル首相が受け入れた百数十万人は、今後十年後二十年後にはドイツの底力を担うとともに、出身国の復興を支える人材になっているでしょう。

 以上が、2015年の「タイム」誌の「今年の人」として二十九年ぶりに女性を選んだ、メルケル首相の中身である。日本でもメルケル首相の来歴が紹介されているが、彼女の今までの政策がドイツの将来に役立つよう祈っている。


1月7日月曜日 昼12時 便。 14時玄関を出る。久しぶりだから歩きがぎくしゃくだ。113辺りで右足が利かなくなった。115では両足厳しい。何とか踏ん張って郵便ポストに着く。一番外れにカードを入れる。帰りは余計厄介。左足、右足を交互にやって玄関に着く。明日はもう少し楽になるだろう。

1月8日火曜日 昼2時 玄関を出る。112辺りで足が乱れる。郵便ポストまで行ったら、行けるところまでと思ってまっすぐ行った。106辺りで足が利かなくなり、Uターン。帰りは厳しい。足が動かないまま、エレベイターにて休憩。その後何とか家のドアまで行った。

1月9日水曜日 病院へリハビリに行く。

1月10日木曜日 1日家にいる。

1月11日金曜日 朝6時 便(3日ぶり)。

1月12日土曜日 午後1時 便。

1月13日日曜日 朝8時玄関を出る。外を歩くのは何日ぶりか。道路の区切りを2つずつ交代で歩いた。郵便ポストでUターンして同様に歩く。左右交代で家に着いた。


こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の栄です今日のテーマは「今年の年末年始はどう過ごしますか?」です今年もあっという間に終わりですね、1年間お疲れさまでした。年末年始は、いつもより時間をゆったり使うことができて、毎年おなじみのテレビの特番を見たり、おせち料理を楽しんだりと楽しいことが盛りだくさんですね栄の年末年始は初の餅つきをやります!みなさんは今年の年末年始はどう過ごしますかたくさんの回答...
FC2 トラックバックテーマ:「今年の年末年始はどう過ごしますか?」


2019-01-06

新しい年へ + 日誌26


2019年を迎えた。カーテンを開けると庭は10センチほどの雑草がところどころに顔を出している。ベランダ付近では雑草ではないのではないか、円い小さなピンクの花びらが、日が出ていると姿を現し、日没には消えてしまう。その横の大きめの葉も目立つ。また細いたくさんの葉も地面に出て、そのありかを人に知らせる。

真ん中から向こうは茶色い土が顔を出しているが、その中に雑草が平たく満ちている。三方のまわりは白い金網にそってうっすらと葉が茂る。木々は枝と幹が高くそびえ、そのてっぺんに細い枝が四方に伸びている。どの木にもあって、桜の花を邪魔しそうだ。右側に山茶花が咲く。その右には赤い豆をつけた山茶花ようの灌木が植わっている。

それらの木々の中央に丸裸のハナミズキが立つ。落葉する前には鳥たちがやってきたものだ。何という鳥か、15センチぐらい、大きめだ。小さいスズメも来る。庭の動植物の名はサクラ、サザンカ、ハナミズキ。年に2回咲くヒガンバナ、あとは忘れてしまった。雑草は名前もわからない。

 今はサクラの枝の間に、遠くマンションが見える。その下の道路には車が走っている。桜が落葉している時だけそれらが見えるのだ。もっと見えないかな。左側の白い金網の向こうは木が生えていて何も見えないが、そこの木が無くなれば急こう配の坂道が見えるはずだ。人の姿が欲しい。

 

12月31日月曜日 朝6時半 便。 ずっと家にいた。

1月1日火曜日 朝6時 便。 1時郵便ポストまで歩く。帰りもそのまま。

1月2日水曜日 朝11時 玄関を出る。郵便ポストまでは右足を引きずりながらもなんとか歩く。右に曲って緑の網まで行くのだが、久しぶりか、足が上がらず無理に歩いた。途中にバイクが止まっているので厄介だ。金網に着いたら休憩。そこで両膝を曲げる練習をした。

練習中、帰りの歩きが心配になったが、何とか歩けた。郵便ポストから帰る。最初は歩きにくい。左右交互にやって玄関に着いた。

昼1時半 郵便ポストから先へ行こうとしたが、調子が出なくて郵便ポストから帰ってきた。

1月3日木曜日 6時 便。 10時半 はがきをもって玄関を出た。なかなかごみ置き場に着く足ではなかった。郵便ポストを右に曲って白い金網に着く。ここで両足を曲げる運動をする。車が4,5台通った。この坂の行き止まりは車がないといけないのかな。帰りははがきをもって玄関に着いた。

1月4日金曜日 朝6時半 便。 昼12時半 玄関を出る。右左交互に歩く。郵便ポストに着いたら、右に曲って白い金網に向かう。着いたら外は何もなかった。2階の婦人が来てよもやま話。帰りはちょっと辛い。郵便ポストから家を通り抜けてアスファルトの終点まで行く。それから家に帰った。

1月5日土曜日 朝6時 便。 昼12時半玄関を出る。どこまで行こうか。まずは左のアスファルトの終点まで行く。そこから郵便ポストまで歩く。いつも110辺りで足がおかしくなる。通路の何かがおかしい。郵便ポストに着いた。ここで右に曲る。白い金網まで行く。オートバイが止まっている。ジャマだ。

金網につかまって膝の屈伸をする。それが終わると鉄棒まで行って帰る。帰りはジャマなオートバイを呪いながら郵便ポストへ行く。どこかのおばさんが、大丈夫といった。そんなおかしな格好だろうか。郵便ポストからは家まで一直線。ここから110までは何ともないが。右左交互に行く。

家に着いたらもう一息、アスファルトの終点に行き、どこまで行けるか歩く。2軒先でUターン。あまりやっても無理なようだ。家に帰る。

昼2時半 玄関を出て郵便ポストへ向かう。何か調子が悪いが100メートルを歩いた。

1月6日日曜日 朝6時 便。 今日は一日家にいた。