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2022-12-30

電気釜で肉じゃが

電気釜でいろんなものがつくれる。娘がつくるのを私は横からみているのだが。28日から始めて野菜と肉のいためたものなど種類は豊富だ。今日は肉じゃがだ。きわめてうまい。40分くらいかかるが.その間洗濯物やらベッドの片づけなど仕事をこなせる。
この電気釜、やってるうちに女性の声で調理人とやりとりする。きつね色に染まりましたとかあと5分ですなど語り合いである。

2022-12-30

新しいキッチン

娘が木材のキットを買ってきて新しい棚をつくってくれた。横幅が80センチくらいだ。三段になっている。一番上にはトースターと湯沸かし器をおいた。その下には昔入れていたもの。電気釜と新しい器具はその下。さっぱりした。棚のこちら側には昔からの救急箱をおいた。前の棚は壁際に置いて食べ物で十分だ。

2022-12-29

目の前が真っ暗

二十八日のことだ。娘が食事の準備をし、私が食べた。ここまではいつものことだ。私が三口目を食べたとき、突然むせこんでしまった。豆腐を油揚げで包んだ2センチのものが右の奥歯に挟まったのだ。吐き気も自由にならず、ただむせるだけ。私の顔がどこにあるのか分からない。娘が背中をさすっている。そのうち電話したようだ。1時間半が過ぎて医者がきた。私の奥歯もつかえがとれた。豆腐を包んだ油揚げは:;娘が小さくきってくれた。

2022-12-19

葉も今や

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昨日の大風で桜の葉とおおがらのつるが無残にも散って、残りの葉が数えるほどになってしまった。木々の間に電線が見えるようになった。いよいよ桜の枝もおしまいだ。三月まで風が吹こうが雨が降ろうが枝だけがさわぐだろう。いま大きく育った緑の葉だけが桜の反対側に一面茂っている。

ヘルパーさんの一人に中国人女性がいる。彼女は料理が上手でベットメイキングも得意である。しかし難点がある。日本語が余りできないことだ。ある朝彼女が帰った時、車椅子で食堂からベッドの部屋に戻っていたら押し入れの扉があけてあった。おまけに靴下がいれてある引き出しが中途半端に開いていた。私は唖然とした。来週彼女に注意しよう。

チャイムがなって彼女がやってきた。彼女が食事を作る前に私は一言注意した。ところが注意しようにもことばが出てこない。仕方がないからベッドの部屋につれていった。そしてこうなっているといった。ここから彼女の出番だ。扉が開いて引き出しがでている。しかし彼女にはそれがわからない。私がやったと思っているらしい。私が曖昧な言葉で言っても彼女にはわかりようがない。彼女はメモを取るといった。私はいいたいことを何度もいってやっとわかってもらった。寝椅子を使うとわかりにいものだ。

次の週私はベッドの上に半袖シャツが置いてあるのをみた。この時期半袖はないだろう。また彼女が食事を作る前に車椅子でベッドに来るようにいった。長袖じゃないとダメだといった。しかし半袖と長袖の意味が分からない。彼女に引き出しから長袖を出すようにいった。シャツの手がぐっと長いのを説明しながらだ。彼女は半袖と長袖の違いが分かったようだ。
お互いいうこができないのだ。彼女には食事でがんばってもらおう。

2022-12-15

庭の写真

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写真をブログにのせるには簡単ではなかった。
次回は娘に頼らずできるだろうか。

酒を送ってもらった。三本は冷蔵庫の横に、一本はガス台の上にのせた。この一本を飲もうとびんをあけた。ところがびんのふたがなかなかあかない。車椅子のあいだに酒のびんをおき両足で踏ん張ってやっとあけた。飲んでみると甘いのでぐいっと飲んだ。びんを確かめると辛口と書いてあった。生協のとは違う。北の庄という。本当の味だ。

2022-12-10

暖かい冬の日

前の時から半年が経った。丈が伸びた雑草もきれいにかられ土が見えた。今は雑草取りからひと月ほどである。桜の枝の葉ももう少しでなくなるだろう。桜一面に垂れていたおおがらの雑草と思しきつるも今はなくなっている。三月の末まで桜もおしまいだ。
庭に一本あるハナミズキもまる裸だ。桜も終わればこれは花を咲かせる。
今日の午後は15度もあった。しかし朝の五時には2度だった。夜は寒い。

私の頭はどうかしている。上の文も30分かかった。字が出てこないのだ。普段読んでばかりいるので、文を書こうにも書けない。それをなおす意味でブログを始めた。そのうち「を」が出てこない。何度かやっているうちに「wo」にたどり着いたのだった。文を書けるようになるか。

二ヶ月ほど前だったか、散歩から帰って玄関の扉を開けようとしたら、すべって私の足が扉を背にして倒れてしまった。尻もちになった。どうしようもない。それから1時間くらいして女性のヘルパーさんがやってきた。彼女は仲間を呼んで、助けてくれた。これを機に私の散歩はダメとなった。

今は歩行器で週に一度ヘルパーさんがついて散歩をしている。50メートルくらいか。余りに足を使わないので、玄関から入った部屋つまりダイニングルームで4,5メートルくらい往復する。最初は5往復、今は8往復、そのうち10往復になるだろう。この往復をする前は本当にひどかった。ダイニングルームに机と椅子を置いているのだが、トイレに行くときは寝椅子ではいけないので、後ろに戻って6畳に置いてある歩行器に乗って行く。それから台所、テレビの部屋も歩行器まかせだ。運動といえばそれだけだった。