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2007-08-05

韓国紙に載った沖縄県広告(上)

「朝鮮日報」には題字以外ほとんど漢字が見当たらない。たまたま「文化面」下段の広告に“沖縄県”という漢字があった。“平和の礎(いしじ)”に名前を刻むから該当者は申請してくれというものだった。

 ところでこの6/11付けの新聞は、だいぶ前になるが友人の韓国旅行土産の一つとしてもらったものなんだ。彼の娘はちょっとした有名人なんだよ。バスケット日本代表だ。負けちゃったけど応援に行ったというわけなんだね。
 私がハングルを勉強しているのを知っていて、お土産に買ってきてくれるなんてうれしいじゃないか。ちなみに“日本”はハングルで“イルボン”だ(ルでも母音を含まないからrと発音してくれ)。覚えておこう。
 さて、その広告だ。
20070804123438.jpg

 日本沖縄県「平和の礎」  追加刻銘案内

 第2次世界大戦中故郷を遠く離れた沖縄で、戦争の犠牲となった韓半島出身戦没者の御霊に対し、心から哀悼の意を表します。
 
 戦後62年が過ぎた今も、家族や友人など愛する人を失った悲しみは癒えることがありません。

 沖縄県では沖縄の歴史と風土の中で培ってきた「平和の心」を広く内外に知らしめて、世界の恒久的な平和を願うため、「平和の礎」に沖縄戦に関わって死亡された方の名前を、国籍や軍人・民間人の区別なく刻み込んでいます。

 また、沖縄県では6月23日を「慰霊の日」と定めて、毎年沖縄のすべての戦没者に対する追悼式を行って戦没者の霊を慰め、世界の恒久的な平和の実現を目指した誓いを新たにしています。

「平和の礎」の刻銘は沖縄戦50周年を記念して始められ、その後にも新たに判明した戦没者の追加刻銘は毎年6月23日に実施しています。今年は5人の韓国出身者を含めて235人の名前が刻銘され、建立後12年が過ぎた今年、全刻銘者数は240,609人になります。

 その間、韓国出身者に対しては韓国関係者の方々にご尽力いただいたところ、351人の名前を刻銘することができました。

 沖縄県は韓国行政機関の理解と協力を得て調査を継続してゆきますが、すべてのご遺族の皆様による申告をお待ちしております。

○刻銘対象者は次の通りです
 1944年3月22日から1946年9月中に、沖縄地域の戦闘に基づく作戦、あるいは沖縄地域の戦闘に巻き込まれて死亡された方
○追加刻銘の手続きに必要な書類は次の2種類です。
 ①戦没者申告票
 ②戸籍謄本(戦没日時及び戦没場所を確認できるもの)

 
 私にはこのような広告をいつから行っているのか分からない。
 沖縄タイムズにこんな記事が見つかった(07.6.7)。「韓国の新聞二紙に県が年一回掲載している広告を見た遺族から申請があり、広告掲載三年目で初めて同国出身の戦没者一人が判明した。二十二日までに追加刻銘される」。
 第1回目の広告には韓国人刻銘に対してもっと詳しい経緯が説明されていたかもしれない。それはそれとして、この広告で疑問に思う点は三つある。

 第1に、国籍や軍人・民間人の区別なくというが、性別を意図的にはずしたのだろうか。実際には韓国人は男性だけだ。
 第2に、韓国関係者の尽力とあるが、どのような人々の協力をえているのか。
 第3に、戦没日時・場所をどのように確認するのだろうか。

 実はこの広告を読んだだけで疑問が浮かんだのじゃないんだ。残念ながらそんな知識も炯眼もない。グーグルで次のサイトを探し当てたというわけだよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/izumatsu/4018
 長いと思ったらあとで時間のあるときゆっくり読んでくれ。

 刻銘対象者の項で、1944年3月22日とあるのは沖縄守備軍第32軍が創設された日、1946年末は降伏文書調印から1年以内に死亡という期限だ。実はこれも沖縄平和資料館のHPで調べた。ついでにいえば、その中の「平和の礎」概要に上記「広告」を訳した文が載っているんだよ。何か沖縄県の刻銘案内もお座なりだなとがっかりしちゃった。

              

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