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2007-10-26

横須賀へ横須賀から

[The REK Friday Blog]

 横須賀に“三笠公園”という海に面した公園がある。岸壁には“戦艦三笠”が横付けになって展示されている。船腹に「戦艦大和特別展」予告の文字が大きい。対岸は米軍横須賀基地だ。この日、基地公開日で見物人が続々詰め掛けていた。
 毎年この公園で“横須賀ピースフェスティバル”が開かれる。いつも賑わいはイマイチだが、会場中央に設置された展示物は一級だと思う。基地の変遷や反基地闘争のパネルは説得力があるし、横須賀を母港とするイージス艦や空母の説明も明解だ。
 それに加えて、イージス艦と原子力潜水艦の模型が7~8メートルの長さでドンと据えられている。さらに畳3つ分はある基地全貌を俯瞰した地図模型は、10数箇所の注釈付で基地の問題点を洗い出す。

 2003年3月イラク戦争開戦の日の朝、私は三笠公園の岸壁に立って対岸の基地を眺めていた。基地に何かしらの変化が見られるのか、それを目で確かめたかった。しかし、ハレの日の兆候は何もなく平常の風景だった。その日の経験は『横須賀日記』に書いたとおりだ。

 横須賀基地には来年原子力空母が配備される。現在の通常型空母キティホークの耐用期限が来て代替の予定だ。米軍は今後通常型を建造しないと明言している。
 原子力空母には原子力3原則(民主・自主・公開)が適用されない。海に浮かぶ原子炉の危険は誰もが承知だ。まして三浦半島の活断層に乗る基地の母港化。事故が起きれば横浜・川崎を越えて東京にも及ぶ。

 原子力空母反対運動が最後の最後に選び取った手段が「母港化のための港湾浚渫工事」差し止め訴訟だ。米軍基地の港とはいえ、一歩陸を離れれば市長が管轄する公の海なのだね。
 冒頭に紹介したピースフェスティバルでは“ヨコスカ平和船団”が海上からの基地巡りボートを出している。通常活動として平和船団は艦船の出入りや資材の運搬を監視して基地に関する情報を得る。定期的に乗船者を募集しているのだが、私は泳げないからこのボートには乗れないのが残念だ。
 会場の平和船団用パネルには私たちは平和な海で遊びたいだけだと屈託ない。私にはこの軽いノリが足りない。

 訴訟は9月3日に第1回口頭弁論が開かれた(横浜地裁)。しかし、被告の国は十分な答弁をせず空母配備まで裁判が遅々として進まない危険があるので、反対運動側は浚渫工事禁止を求める仮処分申立を新たに行っている(地裁横須賀支部)。(詳しくはhttp://cvn.jpn.org/cvn/参照)

 アメリカ・ワシントン州にある米陸軍第1司令部がそっくり厚木に移る。戦後マッカーサーが厚木飛行場に下り立った話は戦後史ならどこでも紹介されている。60年を経て再びと、そんな感傷に浸っている場合じゃないね。もはや9条を守れという意思表示の運動だけで済む段階は過ぎている。
今回の米軍再編に座礁をもたらす障害を一つでも二つでも発生させて、米軍の作戦完璧性に風穴をあけたい。その一つが横須賀基地への原子力空母配備の延期だ。
 
 私は9条を具体化する一つの運動に横須賀基地原子力空母配備反対運動を選んだ。横須賀では計画漏れの時期には市長が反対を声明していたが、計画が具体化するに従って当然の如く国の専権事項に口は出せないと容認した。市長リコール、母港化反対の住民投票と運動は展開されたが、これらは市民に限られる。集会に出てももどかしさを感じたものだ。

 横浜は横須賀基地と厚木基地に挟まれているが、不要米軍施設が返還されて米軍再編の危機感が薄い。特に横浜市長は、米軍の夜間離発着訓練(NLP)の中止を求める、横浜市と隣接する厚木基地周辺市長及び県知事の抗議にも加わらない。この市長は今年再選で大勝した。
 私の住居は横須賀まで電車で30分の距離にある。地元といってもいい。まして訴訟が横浜地裁で行われれば、地元としての小さな運動の芽が探せるかもしれない。私は横須賀に戻る。
 

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