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2008-05-16

Windows

[The REK Friday Blog]

 マイクロソフトの“Windows”というネーミングは改めて考えてみるまでもなく、利用者と外部世界とを結ぶ媒体という意図があってのことだろう。
 私にとっては必要不可欠なものではない。いくらか快い、あるいは刺激的な風を運んでくれるほどのものだ。
 しかし、“Windows”でしか世の中と繋がらない人もいるようだ。
 

 韓国には“考試院”という宿泊施設がある。もともとは考試(大学入試や資格試験)に臨む人々のために提供された賄つきの宿泊所だった。それが最近では、中高年の日雇い労務者から“青年白髪”(大学出の就職浪人)にいたるまで、家のない貧困層の簡易宿になっている。

 2000年代になってここを居住空間と設定した小説が若い作家によって数多く書かれているという。
 チャチャンリョンの詩『考試院にて』は端的に描写する。

  ここで暮す家族と離れた人々
  家族を忘れるために
  家族を忘れることができないまま
  家族と永遠に離れるために
  ------
  換骨された身体、そのような小部屋
  窓のない僕の部屋

 キムヨンハの小説“クイズショー”の主人公もまた考試院の4畳半に住み着いている。大学出の就職浪人だが、宿泊費の安い窓のない部屋を選んだ。
「“Windows”が現実の窓の代わりだ。日光を仰ぎ見ることができないにしても、毎日インターネットを開き、その仮想空間で現実と絶縁している」

 これは去年の6.11付け朝鮮日報に掲載されたコラムから引用したのだが、私がなぜこのような古い記事を思い出したかといえば、あるブログを読んでのことだ。

訪問者数が頭打ちになるたび閉じようと思った。ーーー立ち上げた頃(04年10月)、訪問者数は1ケタだった。部屋のパソコン、職場のパソコン、友人のパソコンと携帯……。指を折ると悲しい事実に行き当たる。ミクシィ参加が固定読者獲得に繋がった。足繁く訪ねてくれる寛容なマイミクさんたちに、この場を借りて感謝の気持ちを表したい。(2008.5.11)

 果たしてこれを書いた人の年令はどうなんだろう。せいぜい30代か。
 私はパソコンを開くと数人のブログ日記に目を通す。その中の一つだ。実はもう50そこそこなんだね。この人がどのように生きているのかは分からないが、ここまで書く以上何かしらの理由があるにちがいない。
 とはいえ、50で“考試院”症候群かと、ちょっぴり暗澹としたんだよ。

 5月11日横須賀の公園で住民投票の実現を求める集会があった。何と2200人集まった。今どき2千人以上の規模の集会はざらにない。私はうきうきしてその日を過ごした。そして翌朝、このブログに接した。
 他人のブログをあげつらうつもりはさらさらない。ただ、口直ししたかった。

 中央日報の噴水台というコラムに「春、詩の饗宴」と題されて数編の詩の抜粋が載った。詩を訳すのは楽しい。
 チェスンジャ「望祭」より

  春には明るく透ける服まとい
  7房の花、髪に挿し
  とうとう裸足。
  青坡洞から水踰里へ
  指差し指差し足取り弾んで
  春には黄絲の如く陽炎の如く
  思いのままに

 乙女の伸びやかさがうらやましいほどだ。「因習を抜け出した逸脱の欲望を解脱の境地へと高めた」という解説は要らない。

 イソンボク「暗くなる前に」より

  たそがれ行く山を指差してあなたが
  ほら、あそこに山ツツジ、あそこにも
  あの向こうにも。
  あなたが驚いて指を向けるたびに
  夕闇と鮮紅が織りなす花々が
  あなたの指先から咲き始めました。
  そのとき、あなたが呼びかけてくれさえしたら
  あの崖の上で私は
  開き始めた花のよう

 男はみんなこうなのか。

コメント

なんとなく想像つくから…て、言い過ぎ?

>考試院を居住空間と設定した小説が若い作家によって数多く書かれているという

内容は似たり寄ったりになってしまっているのかしらね?

どんな想像?

調べておこう。ちなみにどんな内容だと想像するかな。旅の参考にしたい。小説家は同じ設定でもそれぞれ異なった心の世界をつくっているがね。

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