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2008-08-01

小田実の小説

[The REK Friday Blog]

 今春NHK『小田実 遺す言葉』で、小田は「作家として死ぬ」というようなことを病床で語っていた。この場合、作家とは著述家一般ではなくて小説家だ。“最後の仕事を完成させたい、私は作家だから”というんだが、小田が自分を作家だと強く規定していることに私は奇妙な印象を受けた。


 小田実の小説は読んだことがなかった。新聞広告から受ける印象として、一つには長いこと、二つには“状況小説”ともいいたい内容だったからだ。政治状況に人物を置かなくても、小田の目を通した記録・評論のほうを読みたい、そんな感じだね。私が小田を小説家とは見ていなかったということだ。

『子供たちの戦争』(講談社、2003)を読んだ。大阪の空襲を題材にした短編連作集だ。とてもいい。

初15 最初の3編には、これだけは書いておきたいという気負いが感じられたが、あとの3編はあるがままの子供の暮らしを描いて読後は気持がいい。空襲下の暮らしを読んで気持がいいとは、よく描かれているということだ。
 私が10年早く生まれたとしても、大日本帝国の立派な少国民として生き、立派な帝国軍人を理想としていたことだろう。物心つけば私も小田のように変わりえた。
 そのような読後感は反戦のはの字も出てこない“あるがまま”から生まれると思う。
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本書の末尾に小田は次のような作者注意書きを添えている。
あと10 何をいっているのだか簡単には理解できない。「そのことばで考えたことば」とはまだるっこしくて、読者を混乱させるだけだ。






 小田の弁解は“今から考えられもしないこと”つまり、中国人・朝鮮人に対する差別語を小説で使っていることに向けられている。

 そのような言葉は大人が使っていて子供が使った。大人のセリフに差別語を使わせれば、それは著者の思想と関係するが(差別語を使う大人に与しようと、その大人社会を告発しようと)、子供のセリフだと世の中のあるがままを示すことになる。
 私がこの小説を評価する理由だ。

 4編目の『匂いと臭い』は小田の“ヰタ・セクスアリス”ともいえる短編だ。しかし、これは単なる小田の創作かもしれない。それは読後にリアリティーを感じるかどうかにかかっている。“ヰタ・セクスアリス”が書ければ小説家だ。小田は小説家になったと私は思った。ただし小説として成功しているとは思えない。

 ところで、あるがままの子供の戦争を書いたのは2002年から3年にかけてだが、この時期小田に何かからだの変調があったのだろうか。そう思えるほどこの短編連作集は遺書的雰囲気があるんだね、最後にあるがままを書こうという。4年後小田実は亡くなった。

次回は8月4日(月)に掲載します。






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