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2008-08-15

小田実と原体験

[The REK Friday Blog]

私は小田実の短編集『子供たちの戦争』のうち、『匂いと臭い』を小田の“ヰタ・セクスアリス”ではないかと書いた。『暗潮~大阪物語~』(河出書房新社、1997)にも同じようなエピソードが書かれているから、それは小田の原体験といってもいいかもしれない。


「千登世、脱げ」ニホンダンジ(兄健太郎)がいった。
「チイちゃん、脱いでエな」チャンコロ(同級生正次)がいった。---
 ニホンダンジは黙って手を千登世のオシッコの出るところにあてがってから、まえにかがみこんだ。--- 健太郎のすることは、いつもそこまでだった。ころあいを見はからったように健太郎は千登世のオシッコの出るあたりから指を離し、手を離した。---
 チャンコロは小さな懐中電灯をもっていた。「チイちゃん、見せてエな」

『匂いと臭い』ではこうだ。
 マサコは下ばきを取り、うしろに放り投げたが、プンとも何んとも一向に匂うてこなかった。仕方がないので、わたしは手を伸ばし、人差し指を5歳の女の子の股のつけ根に押し当てた。---
「おじいちゃん、何するんですか」とマサコは金切り声をあげた。---「大丈夫、いい匂いをしとった。安心したらよろし」

 ところで、小田に『玄』(講談社、1996)という中編小説がある。女装する性倒錯者との係わり合いの中で、主人公の女性が自己を見出すという内容だ。私は小田実のアメリカ体験を総括した小説だと読んだのだが、その設定に不自然を感じてもいた。

 男の子が家族に隠れて女物の衣服を着てみるというエピソードが、『子供たちの戦争』と『暗潮』の二つの小説の中に描かれている。この記憶が『玄』のモチーフに影響を及ぼしているのではないかと思って、私は小説の設定に納得した。これもまた小田の原体験だろう。

 さて、“オシッコのでるところ”を見るということにまつわる記憶は私にもある。

 サッチャン(仮名)は「見せてあげる」といってヨシオとヘイゾウを手招きした。私は除け者にされた。私は「僕にも見せてくれ」とサッチャンにせがむことはなかった。二人が戻るまで塀に寄りかかって待っていたし、彼らが戻ってもどうだったかと訊くこともなかった。「やっぱりダメ」とサッチャンが二人を帰らせたかもしれない(サッチャンはきまぐれだ)。その顛末を尋ねる好奇心も私にはなかった。

 サッチャンはときどきこういうことをした。彼女の家は町内では“いいうち”の部類だったが、サッチャン自身は外でみんなと遊ぶということはなかった。
 理由は分からない。彼女の母親は精神に病をもっていた。いつも赤い襦袢の前をはだけながら町内をぶらついていた。それが外で遊ぶことをサッチャンにためらわせていたのかもしれない。彼女はおばあちゃん子だった。

 千登世と同じようにサッチャンも3年生だったと思う。私はヨシオとヘイゾウといつも一緒に遊んでいた。なぜ、3人つるんでいるところを同級生のサッチャンが私だけ除け者にしたのか、私は物心つくまでその疑問を反芻してきた。

 好意をもっている者を苛めるという理由をつけることは可能だ。しかし当時、私は全く目だったり取りえがあったりという子供ではなかったから、サッチャンに気に入られると考えることには無理があった。
 5年生になったら、私は“勉強できる子”で通っていたから、サッチャンが“できる子”を敬遠するということはありうる。ただし3年生では勉強ができるかどうかは誰も意識していなかった。

 サッチャンに除け者にされたことを根に持って、私はその後、性の享楽に走ったかといえば、私はその方面ではオクテだったから平穏な思春期を迎えている。そうではなくて、私は“きちんとしている”ことから外れようと務めた。服装や表情を崩そうという類だ。

 小田は1932年生まれ。上記二つの小説を書いた1996,7年は64,5才だ。人生を振り返る年齢か。『子供たちの戦争』は2003年だから71才。
 小田の心の歩みに重ねれば、私はこの先の10数年、長いという感じを強くする。

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