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2008-10-03

デモの歌 

[The REK Friday Blog]
“エラーい空母が やって来た すぐそこ すぐそこ / 進~む力は 原子力 コワイぞ コワイぞ“ を「フニクラ フニクラ」のメロディーに乗せて歌ってみてくれ。
 横須賀の「よろずピースバンド」はソプラノサックスとギター、コンガにヴォーカルという編成だ。リヤカーにアンプとスピーカーを積んで、いつでもデモの名物だし、みんなに愛されている。
よろピー


 私は学生のとき、“立て 飢えたる者よ”とは別のグループの集会に出ていた。今でも口ずさめるのはメロディーが覚えやすい「沖縄を返せ」。
 その一節に“民族の怒りに燃える島”がある。私はこの時代がかった言い回しが、声を張り上げながらも恥ずかしくて仕方なかった。

 復帰1年前に沖縄へ行って、恥ずかしさの源が分かったような気がした。
 怒りに燃えているのは確かだが、果たして民族とはウチナンチュだろうか、それともヤマトンチュだろうか。両方だとは軽々しくいえない印象をもった。

 岡林信康の「友よ」。68年の作だからベトナム戦争の真っ最中だ。その歌い上げるようなフレーズに“夜明~けは近い”がある。
 これもまた、恥ずかしかった。果たして当時はそれほどの闇だったか。闇だったとして、夜明けは近いだろうか。このようなセンチメンタリズムが恥ずかしかった。
「若者たち」の歌詞と較べてみれば生活実感の有無が歴然としている。
“君の行く道は果てしなく遠い”

 先日NHKBSで1969年を回顧する番組があって、「友よ」を歌った山本コータローが涙にくれコメントしようにも声が出なかった。当然だと思った。もともとセンチな歌なのだから。未だにセンチの連鎖を断ち切れないのかな。
 断ち切っている人もいる。新宿地下広場で歌い始めた大木晴子はこの番組で歌うように請われたが断ったそうだ。

 3,4年前、“銀座1万人デモ”に出たとき、私の隊列の後ろのグループが「世界に一つだけの花」を歌っていた。恐らく“争わない”という歌のイメージが戦争放棄に合っていると思ったのだろう。このような絵空事を並べた歌詞もまたセンチだね。聞いていても恥ずかしかった。デモには似合わない。

 室井尚はこの歌についてこう書いている(『教室を路地に』岩波書店)。「書き写しているだけでも、虫酸が走るくらいだ。“人はみんな生まれながらに個性をもっているのだから、そのままでそれを伸ばしながら生きているだけでいいのだ”という現状維持的なイデオロギーにほかならない」

 これらの歌に較べて冒頭の“エラい空母”の乾いた感じはどうだろう。ソプラノサックスの響きが乾いた印象を増しているが、ドライというのは開かれていることにも通じる。逆にセンチは内に籠って、仲間内の感情だ。運動の広がりに繋がらないと思うのだね。

GW入港の日に横浜から監視した写真を参考までに掲げよう。横断幕”NO CVN"はNO CARRIER VESSEL NUCLEAR(いらない 原子力空母)の略だ。
(この写真は拡大しません)



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