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2008-12-26

空母行く年来る年 

[The REK Friday Blog]
 今年は横須賀の空母で明け暮れた。その間に韓国旅行をした。ブログに精一杯報告したが、40年前にこのような経験をしていたらとも思う。しかし、ただ行っただけに終わってしまっただろうと想像もつく。今このようなことができた。それが私の生き方だ。友人の不幸もあった。これは重大ニュース的に書けることではない。


 いよいよ来年の6月に横須賀市長選挙がある。私は選挙活動などに何も興味はない。しかし“我らが弁護士”が立てば、人生最初で最後の選挙応援をするつもりだ。
 年の締めくくりとして、GWが配備された日の記憶を綴っておく。

横浜GWウオッチング

 9月、いよいよジョージ・ワシントンが来るというので、横浜から入港を監視しようと思った。横浜で初めてのGWに関する集会も控えていた。GWは横須賀だけの問題ではないというテーマだ。その集会でGW横浜監視行動を訴えたら多くの賛同が得られるのではないか。
そこで、地図を参考にして横浜・八景島へ下見に出かけた。“恋する八景島”のキャッチフレーズは車内の広告でよく見かけている。

 同行のNさんとモノレールの駅を降りて橋を渡り、小高い丘に登った。八景島は西武系企業が運営するレジャーランドだが、市の公園も隣り合っているから島の出入りに時間の制限はないだろう、そのような話は聞いていた。しかし道々、通路を閉鎖する門や工事用遮蔽物がないことを確認して歩いた。
 丘の頂上に着いた。Nさんと私は180度の眺望を期待していた。ところが、頂上の公園の周囲には木々が生い茂っていて海は何も見えない。樹木の隙間から海が望める場所といっても、カメラのファインダーが切り取るほどのわずかな範囲だった。
 途方に暮れかけたとき、そのわずかな眺望の先に海に突き出た堤防が見えた。Nさんはあそこへ行って見ましょうといった。私たちは丘を駆け下りた。
 堤防にも立ち入りを禁止するものは何もなかった。待望の180度の眺望だった。目の前をGWが通過してゆくのだろうと思うと興奮した。

 帰途について橋を渡りかけたとき、Nさんが島はいつでも出入りできるのか八景島の案内所で聞いてくるといった。私が立ち入りを制限するものが何もなかったから大丈夫だといっても、Nさんは確かめても損はないといって案内所に向かった。
 私は内心、付き合ってられないなあと思って海を眺めていたが、果たせるかなNさんのもたらした情報は驚くべきものだった。橋の駅側にゲートがあって、朝は8時30分開門だというではないか。確かにゲートはあった。橋のアーチにぴったりくっついていて気が付かなかったのだ。ゲートには入島時間を知らせる注意書きがあった。

 私は自分のいい加減さを痛感した。同時にNさんの細心の準備を怠らないという心構えに脱帽した。朝7時に集合して、門にしがみつきながら開門時刻を待っている図を想像するとぞっとする。私はNさんに頭が上がらないだろう。
 さてどうしたものか。私たちはもう一度丘のいくつかの斜面から海を眺めているうちに、堤防よりさらに海に突き出た場所が目に入った。地図で確認するとヘリポートとあった。恐らくフェンスはあるだろう。しかしその手前までなら行けるかもしれない。
 今はもう日が暮れかかっているから私が明朝行ってみることにした。そこがGWウオッチングをした横浜市大医学部脇にある海辺の散歩道だ。

 25日午前8時過ぎ、遥か岬の先端から水平線上に黒い船影が私たちの目に入った。船は30分ほど直進したあと向きを変えて徐々に姿を大きくして戻ってきた。9名のウォッチャーは代わる代わる双眼鏡を覗いて、特徴のあるマストを確認した。
 9時過ぎGWは横須賀の軍港に姿を消したが、恐らくこの監視ポイントは横須賀の久里浜より米軍基地から近いのではないだろうか。海上を徘徊している抗議船からのシュプレヒコールが風に乗ってはっきり聞こえてきた。
 行政区画上、横須賀市民はGW母港化を自分の問題として闘っているが、横浜でも他人事ではないことが距離感覚からもはっきり意識できた。そしてそのことはGWの海外初母港化という歴史的事態を横浜から見守った記憶、それを私に大切な財産とさせるだろう。
 

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