辺野古基地建設阻止訴訟
[The REK Friday Blog]
この訴訟の原告になった。といってもブログから委任状をダウンロードして、住所・氏名を記入し印鑑を押す手続きをしただけ、訴訟費用の2000円を振り込んだ。
この訴訟の原告になった。といってもブログから委任状をダウンロードして、住所・氏名を記入し印鑑を押す手続きをしただけ、訴訟費用の2000円を振り込んだ。
訴訟団の呼びかけはこうだ。
「辺野古新基地建設を止めるために、あなたも原告になりませんか。」
沖縄県民の基地負担の軽減をはかるというまやかしのSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意を口実に、世界中の米軍飛行場の中でも最も危険だといわれる「普天間飛行場の代替基地」として、辺野古キャンプシュワブ海上を埋め立てる、新たな基地の建設計画がすすめられています。
辺野古地先周辺、そこに広がる大浦湾は《豊かな生態系の命の海》。国際自然保護連合・環境省・沖縄県が絶滅危惧種に指定する《ジュゴンの生息する北限の海》です。
この海には、ウミヒルモなどの海草類、ミナミトビハゼなどの貴重な生物が育ち、アオサンゴの群落が広がっています。沖縄は、北限のカメと南限のカメとの交差点で、基地建設予定地内にはカメの産卵場が存在します。陸地には多数の稀少植物が生息しています。この《貴重で多様な生態系》を埋め立て、陸地を削り、広大な基地を建設しようとしているのです。
なによりも、海とともに生きてきた辺野古の人たちの静かな暮らしが脅かされます。
訴訟は次の2点を対象としている。
1の柱 違法確認の訴え 【「方法書」「準備書」手続きをやり直せ】
2の柱 損害賠償請求の訴え 【被った被害を賠償せよ】
1の柱については、防衛省が作成した「方法書」「準備書」はでたらめだからアセスの手続きをやり直せという主張で、分かりやすい。
2の柱の“損害賠償”とは、住民には意見を述べる権利があるのに、意見を述べる機会を奪われたというものだ。
私は毎日「辺野古浜通信」というブログを開いている。私が開くブログは少ないが、その中でも現場報告型のこのブログは“ブログ大賞”でもあげたいくらい充実している。毎日何回か更新されていて、アセス作業・座り込みテントの訪問者・浜の自然などが紹介される。“いま、辺野古では”をみんなと共有しようという姿勢の表れだ。
何よりテントを訪問する人々に対する接し方がいい。有名人や活動家・大学のゼミ学生がテントを訪れるが、彼らだけではなく名もない市民や中学生、高校生もやって来る。そうすると、地元の人々は分け隔てなく訪問者に現状を説明し、浜に案内する。その姿がブログにアップされるのだね。
辺野古浜通信
例えば、横須賀はどうか。確かに横須賀の運動を知ろうと訪れる人はいる。市民グループのメンバーが基地や海を案内することはあるようだ。横須賀には基地や原子力空母に反対する運動の事務所がないから、辛うじて手狭な事務所をもっている市民グループが対応するということになるのだろう。
もっとも、そのような事務所の問題は瑣末なことだ。横須賀では“米軍基地による被害が見えない”ことが、決定的に横須賀とほかの基地の街とを隔てていると思う。
今日はGW母港1年を迎えた。原子力空母の放射能事故という不安は大きい。米兵犯罪は現実に起こっている。市内のマンション借り上げ型米軍住宅は近隣住民との軋轢を起こしかねない。
それでも、空母の艦載機は空母が入港する前に大島沖合いの海上から厚木へ飛び立つ。その爆音は厚木基地周辺住民に降りかかる。
それが、米軍再編という大きな問題を意識しないと、横須賀基地周辺住民でさえ現実感覚としては空母の存在に関して見て見ぬ振りをしてしまう要因になっているのだろうと思う。
レン在日米海軍司令官は空母を横須賀に配備する意義を問われて次のように答えている。
「地域の安定や抑止力が最も重要なポイントだ。島国の日本が位置する地域(東アジア)は潜在的に不安定だ。迅速に移動できるプレゼンス(軍事的な影響力)を維持する意義は大きい」
「GWが離れた時に、原子力空母ニミッツが寄港したのは日米同盟へのコミットメント(責任)だ。不測の事態に対応できるように、常に我々は空母を日本の近くに持ってきている。我々は同盟関係のもとで日本を守るためにここにいる」
いまは、横須賀基地からインド洋へ艦船が出陣する点は措いておく。
“東アジアは潜在的に不安定だから米軍に日本を守ってもらう”必要性を感じている日本人は少ないと思う。冷戦終息後20年、米軍のこのような論理は破綻している。もちろん日本は自分で守るという裏返しが課題ではない。
そもそも東アジアは潜在的に不安定だろうか。不安定はむしろ中国と朝鮮半島の人々が日本に対して感じているものだ。日本が過去をはっきりと清算しないから日本をまるきり信用するわけにはいかないと。
一方、日本では日本が中国と朝鮮半島に脅威を与えるわけがないと多くの人が考えている。それなら米軍の存在はまるで無意味であるばかりでなく、東アジアの将来にとって危険でもある。
残念なことに基地の街横須賀ではこのような考えを棚上げして、「見えない被害」とともに「基地と共存」という意識は根強い。沖縄の「見える被害」と「基地と共存」との葛藤は、よほど想像力を豊かにしないと感じ取れないようだ。
ところで、私がこの訴訟の原告になろうと思ったきっかけはこうだ。
9.12(土)に「沖縄に基地はいらない ジュゴンの行進!」というデモが銀座で行われた。首都圏38団体のネットワークである「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が主催した。私は行かなかったのだが、「ブーゲンビリアのきちきち日記」によれば参加者は約150人だったという。
東京で150人。0が一つ足りないではないか。主催者の団体から数人ずつ。いやいや、主催団体の参加者は1人でも構わない。個人で参加することが大事だ。その個人が参加しなかった。これはまずいと私は思った。辺野古で座り込みを続けている人々を勇気付けられないではないか。
東京でも大阪でも、日本の各地で辺野古移転に反対して運動を続けている人々がいる。民主党は県外移転というが、移転先では大きな反対運動が湧き上がるだろう。国内たらいまわしが許されるわけがない。「米軍のプレゼンス」という米軍には米軍の論理があるのなら、グアムと沖縄にどれほどの地理的差異があるのか。普天間代替基地は国外移転しかないのではないかと私は思う。
「辺野古新基地建設を止めるために、あなたも原告になりませんか。」
沖縄県民の基地負担の軽減をはかるというまやかしのSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意を口実に、世界中の米軍飛行場の中でも最も危険だといわれる「普天間飛行場の代替基地」として、辺野古キャンプシュワブ海上を埋め立てる、新たな基地の建設計画がすすめられています。
辺野古地先周辺、そこに広がる大浦湾は《豊かな生態系の命の海》。国際自然保護連合・環境省・沖縄県が絶滅危惧種に指定する《ジュゴンの生息する北限の海》です。
この海には、ウミヒルモなどの海草類、ミナミトビハゼなどの貴重な生物が育ち、アオサンゴの群落が広がっています。沖縄は、北限のカメと南限のカメとの交差点で、基地建設予定地内にはカメの産卵場が存在します。陸地には多数の稀少植物が生息しています。この《貴重で多様な生態系》を埋め立て、陸地を削り、広大な基地を建設しようとしているのです。
なによりも、海とともに生きてきた辺野古の人たちの静かな暮らしが脅かされます。
訴訟は次の2点を対象としている。
1の柱 違法確認の訴え 【「方法書」「準備書」手続きをやり直せ】
2の柱 損害賠償請求の訴え 【被った被害を賠償せよ】
1の柱については、防衛省が作成した「方法書」「準備書」はでたらめだからアセスの手続きをやり直せという主張で、分かりやすい。
2の柱の“損害賠償”とは、住民には意見を述べる権利があるのに、意見を述べる機会を奪われたというものだ。
私は毎日「辺野古浜通信」というブログを開いている。私が開くブログは少ないが、その中でも現場報告型のこのブログは“ブログ大賞”でもあげたいくらい充実している。毎日何回か更新されていて、アセス作業・座り込みテントの訪問者・浜の自然などが紹介される。“いま、辺野古では”をみんなと共有しようという姿勢の表れだ。
何よりテントを訪問する人々に対する接し方がいい。有名人や活動家・大学のゼミ学生がテントを訪れるが、彼らだけではなく名もない市民や中学生、高校生もやって来る。そうすると、地元の人々は分け隔てなく訪問者に現状を説明し、浜に案内する。その姿がブログにアップされるのだね。
辺野古浜通信
例えば、横須賀はどうか。確かに横須賀の運動を知ろうと訪れる人はいる。市民グループのメンバーが基地や海を案内することはあるようだ。横須賀には基地や原子力空母に反対する運動の事務所がないから、辛うじて手狭な事務所をもっている市民グループが対応するということになるのだろう。
もっとも、そのような事務所の問題は瑣末なことだ。横須賀では“米軍基地による被害が見えない”ことが、決定的に横須賀とほかの基地の街とを隔てていると思う。
今日はGW母港1年を迎えた。原子力空母の放射能事故という不安は大きい。米兵犯罪は現実に起こっている。市内のマンション借り上げ型米軍住宅は近隣住民との軋轢を起こしかねない。
それでも、空母の艦載機は空母が入港する前に大島沖合いの海上から厚木へ飛び立つ。その爆音は厚木基地周辺住民に降りかかる。
それが、米軍再編という大きな問題を意識しないと、横須賀基地周辺住民でさえ現実感覚としては空母の存在に関して見て見ぬ振りをしてしまう要因になっているのだろうと思う。
レン在日米海軍司令官は空母を横須賀に配備する意義を問われて次のように答えている。
「地域の安定や抑止力が最も重要なポイントだ。島国の日本が位置する地域(東アジア)は潜在的に不安定だ。迅速に移動できるプレゼンス(軍事的な影響力)を維持する意義は大きい」
「GWが離れた時に、原子力空母ニミッツが寄港したのは日米同盟へのコミットメント(責任)だ。不測の事態に対応できるように、常に我々は空母を日本の近くに持ってきている。我々は同盟関係のもとで日本を守るためにここにいる」
いまは、横須賀基地からインド洋へ艦船が出陣する点は措いておく。
“東アジアは潜在的に不安定だから米軍に日本を守ってもらう”必要性を感じている日本人は少ないと思う。冷戦終息後20年、米軍のこのような論理は破綻している。もちろん日本は自分で守るという裏返しが課題ではない。
そもそも東アジアは潜在的に不安定だろうか。不安定はむしろ中国と朝鮮半島の人々が日本に対して感じているものだ。日本が過去をはっきりと清算しないから日本をまるきり信用するわけにはいかないと。
一方、日本では日本が中国と朝鮮半島に脅威を与えるわけがないと多くの人が考えている。それなら米軍の存在はまるで無意味であるばかりでなく、東アジアの将来にとって危険でもある。
残念なことに基地の街横須賀ではこのような考えを棚上げして、「見えない被害」とともに「基地と共存」という意識は根強い。沖縄の「見える被害」と「基地と共存」との葛藤は、よほど想像力を豊かにしないと感じ取れないようだ。
ところで、私がこの訴訟の原告になろうと思ったきっかけはこうだ。
9.12(土)に「沖縄に基地はいらない ジュゴンの行進!」というデモが銀座で行われた。首都圏38団体のネットワークである「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が主催した。私は行かなかったのだが、「ブーゲンビリアのきちきち日記」によれば参加者は約150人だったという。
東京で150人。0が一つ足りないではないか。主催者の団体から数人ずつ。いやいや、主催団体の参加者は1人でも構わない。個人で参加することが大事だ。その個人が参加しなかった。これはまずいと私は思った。辺野古で座り込みを続けている人々を勇気付けられないではないか。
東京でも大阪でも、日本の各地で辺野古移転に反対して運動を続けている人々がいる。民主党は県外移転というが、移転先では大きな反対運動が湧き上がるだろう。国内たらいまわしが許されるわけがない。「米軍のプレゼンス」という米軍には米軍の論理があるのなら、グアムと沖縄にどれほどの地理的差異があるのか。普天間代替基地は国外移転しかないのではないかと私は思う。
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