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2017-03-12

『太陽を曳く馬』髙村薫 新潮社


 高村薫は刑事合田雄一郎の作品を長い間発表し続けていた。しかし彼もこの作品でお終いである。ちょうど2000年9月11日のニューヨークテロ事件のあった年であった。若い僧侶がトラックに轢かれてしまう。捜査の行方も叶わぬまま、合田はこの事件を終わりにして刑事をやめた。
 若い僧侶末永の死について合田は、不慮の事故か自殺かは扱いかねていた。三人の先輩僧侶、若い僧侶の師ともいうべき高名な明円、今は東京郊外で僧侶をしている年配の男、かれらに話を聞いてある結論を出した。
 「長谷川明円は末永和哉に通用門の鍵を渡した。いつどんな時でも、人間は閉じ込められてはならないという理由だ。さらに長谷川と末永は宗教対話を重ねた。対象に向かう限りで現れる私に自由な意思があるなら、それはどのような形で可能であるかについてである」
 このようなものを送られた検事は怒りに達し、末永の死について長谷川は黒と決めつけた。合田は立件できるはずのない事案を立件するという検事の暴言を放置し、警察を辞めたのである。
 警察をやめるという合田の振る舞いは最後を読めば簡単であった。しかしここまで全2巻があるのだが、果たしてそこまで必要だろうか。上巻の殺人事件は関係者が多すぎる。多くの人物が2,3行でいいのに、1ページも2ページも使っている。
 いや、2,3行でいいなら全部カットしてもいい。下巻の最終章は、東京郊外で僧侶をしている年配の男福澤が、殺人犯である子供相手に手紙を出している場面だが、これもカットだ。上巻の3分の2と下巻の最終章はなくなった。
 こんなことをしていたら高村薫は怒るかもしれない。下巻でも難解な言葉がたくさんある。特にオウム真理教に関して三人の先輩僧侶はアラを探し、合田もうなずく。私にはこの章は斜めにページを追っていたにすぎない。
 いずれにしても私がカットしないで残しておいた上巻の3分の1と、最終章を除いた下巻は、並み以上である。


歩行距離
3月6日(月)朝0・9キロ昼――――計0・9キロ
       朝はゆっくりで仕方ない。午後は曇って今にも降りそうだ。休みにした。曇っていて富士山は見えず。
  7日(火)朝0・9キロ昼0・7キロ計1・6キロ
       500メートル43分。遅い。ゆっくりだから後の400メートルもダメだ。午後はこれもゆっくり、700メートルでやめた。曇ってて富士山は見えず。
  8日(水)朝0・7キロ昼0・9キロ計1・6キロ
       500メートルは大いにタイムがかかった。昼も同じ。足を大きく出すと時間がかかる。富士山はよく見える。左側は真っ白だが、右側は五合から下は雪がない。
  9日(木)朝0・7キロ昼0・9キロ計1・6キロ
       ゆっくり歩く。富士山がきれいだ。午後はこちらもゆっくり。
 10日(金)朝――――昼0・7キロ計0・7キロ
       夕べ、こたつの横に足がぶつかって、あれよあれよという間にこたつの長い方の端と閉めてあった襖の間に落っこちてしまった。もんどりうったわけだ。背と畳がくっついている。どうしようもなくあれこれ考えた。とりあえず閉めてあった襖を開けて、右足をついて脱出に成功した。腰の後ろが痛い。立ち上がると何でもないが、椅子に座るとダメだ。
       今日は大分よくなった。朝の歩きはお休み。
 11日(土)朝0・7キロ昼0・2キロ計0・9キロ
       直立して座ると少し痛みがある。500メートルを過ぎてポストへ行ったら足が上がらないようになったので700メートルでやめた。富士山は見えず。午後は張り切って家を出たが、足が上がらないので200メートルでやめた。
 12日(日)朝0・7キロ昼0・6キロ計1・3キロ
       朝昼ともゆっくりだ。昼は800メートル行こうかと思ったが、自然と600メートルになった。自然とというのが何か不思議だ。富士山は見えず。娘が来て尾てい骨の痛みを見てもらおうと尻を出したが、何ともないといった。これで痛みも気にしないですむ。

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